「毛刈りをした羊の毛を染めたものから、
毛糸を作るのだ~」と、道具を借りて来て、
昨日、突発的に羊毛をほぐし始めました。
手持ちの羊毛のうち、
大体3分の2くらいできたかな。
そして、出来たフワフワ。
そのふわふわをカーダーにかけて、
縒りをかけて、毛糸にしていきます。
コタツに大風呂敷を広げてやってたら、
中3の子どもがまたしても「やりたい」と。
テストを受けて、結果が出るまでの数日。
気持ちに余裕が生まれたんでしょうか。
手を動かしていたら、
素直に話をするモードになり、
学校のあれこれや、今考えていること、
流行っている歌などなど、
いろんな話をしていました。
こんなに素直でいいのか、反抗期??
ちょっと水を向けてみたら
「反抗期? 今の中学生は、
そんなんダサいって思ってるんちゃう?」
と来たもんだ。
夜の校舎、窓ガラス壊して回れ、
とは思わないけど、
いーのか、それで??
思春期に、
己を棚に上げて社会に腹を立てることが、
大人になってから、
それを変えて行こうという原動力になる
って理解してるんだけど…。
そんなことを、尊敬する20代女子に話すと、
「私も反抗期は特になかったんです。
幼い頃から充分に主張できて受け入れてもらえて、
信頼関係が出来ていたのかもしれません」だって。
それならいいんだけど。
幼少期に思い切り聞かん坊ちゃんだったから
反抗は、その時に終えたのかな?
また、後から来るのかもしれないな。
まぁ、その時はその時で。
見本通りに仕上げるのが目的じゃなくて、
モノと対話しながら仕上げていく
こういう素朴な手仕事をしてると、
ほんとに自然に、素直に話をしたくなる。
手を動かしている間中、羊を感じる。
牧草を食べて、犬に守られて、
牧場で日向ぼっこしてる羊を。
隣の羊に、もこもこくっついたり、
草の上を転がって遊んだり、
伸びた毛をスッキリ刈ってもらい、
暑さから解放されて草原を走り回る時に
肌に感じる風の気持ち良さを。
その一部をわけてもらって、
洗って染めて乾かして、
ほぐして梳いて草取って、
毛並みを整えて、紡いで
毛糸になったのがコレか~。
こうやって、自分でひとつずつ工程をやってみると、
「ちまたで売られている毛糸、安すぎない??」
って心配になる。
誰が泣いて、あの値段になってるんだろ?
羊から毛糸になるまでの循環の中で、
どの局面でも地球と共に生き、
羊も人も地球も、関わる人・生き物がみんな幸せになる、
そんな金額で取引されて欲しい。
高すぎると買えないけど、
この地球の命のリズムの中に溶け込んでいる
安心感を、曇らせたくないから、
誰かが泣いてると思うと、安すぎても嬉しくない。
なーんて、イイカッコ言っても、
やっぱり安いものは嬉しいから、
商品として見てる時はスルーしてるけど…。
想像力を使うと、全然違って見える。
いいものを買って、使い切る。
そんなスタイルを、
無理ない範囲で増やしていきたいわ~。
人も羊も、アレもコレも、
それもどれも、一緒に生きてるもんね。
そんなことを、
実際に手の中で形を変えながら感じるのは、
理屈でわかっているのとは全然違う。
なんか、いろいろ話をしながら
手を動かしているのが心地よくて、
気づけば、全部毛糸になっていました。
終わっちゃうのが名残惜しい
糸紡ぎでした。
↓ 昨日のはじまりは、
洗って染めて乾かした、この状態でした。
ほぐして
梳いて、ゴミ取って
縒りをかけて、紡ぐ!
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