さて、どう定義しましょうか。
「無駄」って何ですか?
広辞苑先生は
「役に立たないこと、益のないこと」
とさら~っとおっしゃいますが、
我らが哲楽cafeピーチクパーク族は、
そんなことでは満足いたしません。
それぞれ、対話の前に、
現時点での「無駄」について考えてみよう、
との提案を受け、各自、言葉にしてみました。
それぞれ、最初に定義したのはこんな感じ。
「無駄だと思うことが後で糧になる」
「快感につながることは無駄じゃない。
不快につながることは無駄」。
「今の自分に必要ないことは無駄。
「今の自分に必要ないことは無駄。
先とか後とかでも、後付けの理由とかでもなく」。
「自分が意味を見出せることは無駄じゃない」
「自分が意味を見出せることは無駄じゃない」
定義じゃない意見もいっぱい出て、
その中には、
「無駄遣い、って結局、無駄じゃない?」とか、
「無駄だからと言って省けないしなぁ」とか、
「パソコンを早くしたら早すぎて疲れるようになった。
「パソコンを早くしたら早すぎて疲れるようになった。
前は遅かったから疲れなかったけど。無駄がないといかんな」
などなど。
そのうち
「無駄って言われることは違和感がある。
「無駄って言われることは違和感がある。
子どもの頃から役に立つことをしよう、
目標決めて達成しましょうって言われてきたけど、
それも窮屈で、生きづらい。無駄もいいよね」
なんて声も出て来ました。
そして、みんながおおいに共感したのが次の意見。
「無駄って遊びとか余裕とか余白とかとも重なってくると思う。
それは人間にとってはなくてはならない気がします。
機械だったらいくらでも効率を求められるけど、
人間は生きもので、弱くて壊れるので、
そういうものが、どうしても必要だと思います」。
おお~~~。
「無駄」って何? について、
あれこれ対話してみたら、
みなさんの「無駄」についての考えが、
少しずつ膨らんでいきました。
「それに意味を見出せるかどうか」。
嫌なことでも、そこから学んだとか、
自分が変わったとかがあれば、無駄じゃないと言える。
「基準は国によっても人によっても違う」
たとえばインドに行くと、
時間もお金も無駄なことばっかしてるように見えるけど、
日本人は無駄に対してシビア。
「無駄の基準は、責任と時間と退屈」
「文化や経済状況でも違う」
葬式や結婚式を1週間くらいやる地域があるけど、
あれは外からは無駄に見えるけど、
共同体の楽しみでもあったと思う。
「誰かに自分の基準を押し付けて迷惑かけたり、
一緒に行動させた時間は無駄だったかな」
「忘れた失敗は無駄、覚えてたら生かせる余地がある。
忘れた失敗は、自分でコントロールできないところで
勝手な悪さをするけど、
覚えてたら自分でコントロールできる」
遊びなんて、まさに無駄だけど、
それがあってこその成長。
「効率」以外の価値観を大切にしたら、
新幹線で2時間半のところを
自転車で1週間かけて行くなんてのも、
すんごい意味のあることになり得る。
そして後半は、
「無駄な経験を生かすには」について、
話していきました。
それはまた今度。