『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

データ復活! 白黒に分けられる?

2020年06月28日 | 考える日々
6月11日と13日の記事が謎に消えていたので、
ブログの事務局に問い合わせてみたら、
テキストデータを探して送ってくれました。
あーー、残ってて良かった~。
ありがとうございました!

さて、その文章をもとに戻すに際して、
最終形に整え直そうと思って読み返してみました。
(自動保存の途中のデータが残ってたみたい)
てか、これだけ分の人数のバックアップ取ってるなんて、
すごいサーバー容量だな。写真もあるだろーに。

内容を読み返してみると、
自分で考えたことだから、完全にしっくりくる。
あたりまえか。
でも、そこから成長してないってことやんね(^^;)。

■モトのエントリー
→次に学ぶべき異文化は精神界?!
https://blog.goo.ne.jp/oneby1/e/1bb56bc1677b293c429bed1b9ba3513c

その続きを考えてみたくなったので、
ココに残しておきます。

上のエントリーの要旨は、

平安貴族は、漢文の読み書きが出来ることが、
江戸の学者は、阿蘭陀語が出来ることが、
ひと昔前の多くの人は、英語が出来ることが、
ある社会的役割に参加する条件だった。
関係ない人からも、なんとなくカッコよく見える。

今度は、学校で全員が英語を学ぶことになったように、
全員プログラミングの言語を学べってことになった。
それって、人間の異文化に学ぶの辞めたって感じやんね?
1と0の二元論の上に文化を構築する事に同意したってことよね?
イヤや~。白黒つけるのキライ。

ってなことでした。

ブログの記事が消えた事故は、
私にとっては「悪」だけど、
それを探し出してくださったのは「善」。
どっちも同じ会社の行為。

禍福は糾える縄の如し。

人も組織も、一人の中に善悪共存してる。
街の安全を守る警察官だって、
人を導く教師だって、政治家だって、
人であるからには、当然、共存してるのは当たり前。
力があるだけに悪の出し方が問題で、
悪があることは私もあなたも誰でも一緒。




子ども見てたらわかるじゃん。
自分を見ててもわかる。
一人の中に天使も悪魔もどっちもいる。
目と鼻が両方あるように、たぶん役割が違うだけ。
両方共存しているのがその子(私)なんだよな。

天使は、善であれ、真であれ、美であれ、と応援してくれるし、
悪魔は、逆をささやいて私の弱さを教えてくれる。
2人で対話できるように、
何なら黙ってしばらく様子を見てたっていい。

状況が厳しくて、
極悪なことを考える時は
悪い人間っていうより、
弱ってる時だろうしなぁ。
自覚ができないのが問題か?

自分が耐えられそうにない時には、
生きるために身を守る。
私だって、そうする。
たかが会議で反対意見を出すだけでも
我が身の保身を考える。

とすると、
悪をまっすぐ100%責められる人は、
被害者とその関係者くらいかも。
少なくともニュースを消費する野次馬ではない。

そういう所が、
昔の日本人ってすごく精神力が強かったんじゃないかな。
武士は食わねど高楊枝。
侮辱されたらまっすぐ勝負する。
名前を汚すくらいなら命を捨てる。

自分の精神を濁らせてまで守る身なんか、
何ものでもない、と。

これから学ぶべき言葉が
精神界の言葉なんだとしたら、
そう。
気持ちひとつで右往左往せず、
揺るぎない精神力を持つ事が
これからの私たちの課題なんだとしたら、
中国語やオランダ語や英語やプログラム言語に憧れるより、
日本じゃない?

精神力の強かった時代の、人のあり方を
日本の古典から学ぶ。
世界中で教える…のは無理でも、
せめて日本では、というか、私は
もっと大事にしていこうと思います。

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