『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「生きるのは辛いこと」って口にした途端

2019年11月18日 | 考える日々
ある勉強会で、ある人が、
何かを話す前に、前提として、
「生きるって辛いことでしょう」と言いました。

「人間とは」みたいな勉強会に集まったメンバーだったにも関わらず、
みんな反射的に
「そうとは限らないよ」とか、
「考え方次第じゃない?」とか…。
あれこれ、慰めにかかってしまったのです。

隣にいる人が
「生きるのは辛い」って思ってる事が辛かった。
だけど、それは、
間違いだったな~と反省しています。

その人が話したかったことを聞けなくなってしまった。
残念だったな~と思います。

その人も、周りの反応を見て、
「いや、私に辛いことがあるとか、今精神的に不安定とか、
そういうことじゃなくて」と
慌てて言葉を継いだのですが、本題には戻れませんでした。

前に私があれこれ考えている事をを話したら、
聞いた人が「そんなことでずっと悩んでるの?
もっと気楽に考えていいんじゃない?」と、
アドバイスしてくれた事がありました。

「えっ、考えたいから考えてるだけよ? 考えさせてよ」という感じ。

「一緒に考えたいのであって、
落ち込んでもないし、慰めて欲しいわけじゃないねん」
と伝えているうちに、
何を考えていたのかわからなくなってしまったことがありました。

あー、同じことしちゃったなぁ。
きっと、言いかけた人もがっかりしたと思う。

あの時、ホントウに言いたかったのは何だったんだろうなぁ。
あの時にみんなで聞いていたら、
もっと深め合えたであろう、大切で、もう戻らない言葉。


明るく生きることを強要する側に回ってしまった。
考えるってことは、それほど人をギョッとさせるんだなぁ。
「考える」っていう前提で集まっている人にすら、
「楽になって欲しい」と願わせてしまうような力。

ホントに、フラットに考えたくて、
「なんで生きてるんやろ」とか言うと、
「何か悩んでるなら聞くよ?」と言われてしまいそうな、
ポジティブの強制。
自由に生きることと、明るいことの混同。

今でも、この人生を生きている意味とか考えて、
人に言うと困惑されることがありますが、
やっぱり、考えた方が、楽しく生きられるので。

こないだ別の人と話していて、
「私は楽しかったらいいと思うねん」と言われました。
ホント、私もそう思います。

生きていることを本当に楽しむためにも、
充実感と手応えをを持って生きるためにも、
「私が大事にしたいことって何かな?」とか、
「何をしてる時に充実感感じるやろ?」とか、
「私にとって何が本質的なことかな?」とか、
時々立ち止まって考えて、
自分で出した答に向けて自分を使って行けたら、
それこそ本気でめっちゃ楽しいよなー!
と思います。






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