使い捨ての時代に育った私も、
「あるものを大事に生かす」ってことを、
父や母やまわりのみんなが当たり前にやっていたので、
同年代の中では、わりとものを大事にしたい方だ。
誰の影響だかわからないけど、私も
てぬぐいは最後雑巾にして油拭きにして捨てる、
というような「始末をつける」ということを、
美徳だと思っている(←身にはついてないけど)。
昔の人にとって、
繕い物は必要に迫られての手仕事だった。
必要に迫られる中で、いかに美しく仕上げるかを、
できる範囲で精いっぱい楽しんだんだと思う。
その心意気があるから、なのかな?
手縫いで繕ったものとか、刺繍の針跡って、
ホントにあったかくていい感じ。
幸田露伴は
「布巾はスッキリ清潔なのが一番だから、
布巾を繕うなんて貧乏くさいことはするな」と、
娘の文さんに教えたみたいだけど、
それでも、一部だけ薄くなったりほつれたようなのは、
そこだけ直せば使えるから、繕わずにはいられない。
布巾がほつれかけていたので、
ほんの3センチ四方ほどを、何か所か、
母がくれた刺し子の糸でちくちくと、
タテヨコに補強してみた。
繕うことが必要な時代があって、
モノが豊かになって使い捨てが当たり前になり、
もうちょっと進んで今。
買ったら買えるけど、繕いたいから繕う。
縫ったら美しいし、楽しいから繕う。
ダーニングがこんなに流行るとは思わなかった。
今日片づけてたら、子どもが保育園の頃のタイツが出て来て、
10年ぶりに対面した。
ダーニング知らないのに、ダーニングしてた(^^)。
すんごいビックリ!!
↑新書より細い足。懐かしい~。
けど、もう捨てなきゃね。
そういう、小さな手仕事は、
貧乏からの必要というよりは、
持ち物をより好きになれる魔法、のようなもの。
木のカトラリーも、時々オイルを塗って保護する。
ていねいに淹れてもらったコーヒーは、普段よりおいしい。
雑巾で水拭きした日は、机をなでまわしたくなる。
飾った花は、雑草と呼ばれる花でもかわいい。
デキのいいヨソの子もかわいいけど、
手をかけた子どもが一番愛おしいのと同じかな。
あくまで自分の思い通りにできると思えるものに限るわけです。