趣味でピアノを弾いています。
今弾いているのが「月の光」。
のんびりやってるので、
弾き始めの頃から季節が変わりました。
秋の月も名月でよかったんだけど、
やっぱり冬だよな~、この曲は。
呼吸ひとつで、
生きたり死んだりしそうなくらい、
ギリギリの張りつめ感とか、
美しさと哀しさの混ざりあった感じとか。
これ、楽譜通りには弾けるし、
先生は「だんだん出来てきましたね」
って言ってくださるのだけれど、
イマイチ、楽譜通りにしか弾けなくて、
「もうちょっと弾きます」と、
さらに1か月くらい伸ばしています。
冬の夜。月の光。
最初は、
このくらいのイメージだったんだけどね。
もうちょっと具体的に描いてみる。
たとえば、
夜の海で、岬に突き出た岩場に一人で座り、
海にキラキラ反射する月の光を見ている。
雲が月を隠したり、また出て来たり。
なんか、そのイメージだと、
曲のフレーズごとのシーンが
イマイチ広がらないんだよね~。
で、もう一週間延ばしてみた。
目を閉じて、
いろんな人の演奏を聞いてみる。
凍えて今にも息絶えそうなチョウチョが、
疲れ果てて羽ばたきを止め、
風にふわりふわりと流される。
半分目を閉じて朦朧としつつ。
雲間を出たところで月の光にハッと我に返り、
また力を振り絞って羽ばたいてみるけれど、
それでもやっぱり、少しずつ落ちながら、
左手で必死で高度を保とうとしているような…。
死を受け入れながら、
最後に、最高に美しい月の夜を往くような、
そんなイメージ。
アニメとか映画で言うと、
「あ、私、死ぬんだ」っていう
容赦ない圧倒的な事実の中で、
本人の意識をスローモーションで描くような、
あの数分間。
そのイメージが出来てから、
同じ楽譜を弾いていても、
全然違う体験になっている。
フォルメンでも、
同じ動きを描きながら、
1人ひとり違う体験をしていたし、
同じ人を排除する人もいれば受け入れる人もいる。
同じ言葉に傷つく人もいれば笑う人もいる。
たぶん、あらゆることがそうなんだと思う。
自分次第。
自分がその出来事をどう受け止め、
それを自覚した上で、どう処理するか。
普段は、感情が反応する段階で終わってるよね。
ただ、楽しい時はいいけど、イヤな時に限っては、
その次の段階(感じて、自覚して、考えて、対処する)が、
いろいろ私を助けてくれる。
好き嫌いは、学びのセンサーに過ぎない。
そう思っておくだけでも、ずいぶん違う。
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