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こないだ、
神戸シュタイナーハウスのnoteに、
というコラムを書きました。
シュタイナーの勉強をしていたら
「うわ、ほんとにそうだ!!」って感動することがあって、
それを誰かに伝えようとしても、
なかなか伝わらないな~って思ったので、
それについて考えてみました。
その時の結論としては、
「本の言葉じゃなくて、
自分の経験として、実感が込められる話をすればいい」
って考えました。
でも、今日ふと
「伝えたいとか、わかって欲しいとか、
共感して欲しいとか言うのは、
ぜんぶ、相手をコントロールしてることだよね?」
と思い当たったのでした。
そりゃ無理だ。そうしたいなら、
「相手を操るブラックなナントカ」
みたいな本でも読んでみる方がいい。
そう思ったのは、又吉直樹さんの
youtubeチャンネルを見たから、でした。
「繊細さん」である彼が、
自分がどれだけナンセンスに、
あれこれ気にして生きているかを、
ユーモアたっぷりに語ってる動画。
(又吉 渦 繊細さん で検索)
「笑ってくれたら嬉しいけど、
なかったことにはせんといて欲しい」
「あるんやから、あるんです」って。
そっか~。
自分に出来るのは
「私はこうです」って自己開示するところまで。
あとは、相手が煮ようが焼こうがお好きにどうぞ。
何なら笑ってくれる方が受け入れてくれて嬉しい。
というスタンス。ほほ~~。
その軽やかさがすごいと思うんだけど、
笑ってもらおうとしたら、
思い切り自分のヘンなとこと向き合って、
コンプレックスとか怖れとかも消化して、
客観的に自分を見て、受け入れて初めて、
「自分を笑ってくれていいよ」って
笑いの主導者が逆転する。
考えてみたら、
笑ってもらうのって、誇らしいことね。
見てる方も、
「そこまでか~、大変だな(笑)」って笑いつつ、
「あれ? でもちょっとは心当たりあるかも」
って自分の許容量が広がるのが楽しい。
まぁ、何にしろ、自分に出来ることは、
伝えることじゃなくて、表現すること。
そこから先は相手の領分だ。
それが相手にどう伝わるかは、
相手の受け取り方に任せればいい。
何にせよ、
「わかって欲しい」という思いに行動を縛られるより、
「わかってくれなくても伝えてみる」に絞った方が、
違いも込みで、一緒に愉しめていいね。
▼本日のフォルメン 58/100
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同じぐるぐるの、重ね方を変えて3種類。
昨日、触れ合わなかったから、やっぱり嬉しい。
結びのある方が断然美しく感じるわ。
特に3段目の結び方が好き。
ちなみに、昨日描いたもの↓
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※「何コレ?おもしろそー」という方は、
コチラをどうぞ。
私にとっては、
コチラをどうぞ。
私にとっては、
心を整えるヨガであり、瞑想の時間です。
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