『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

心配ゼロは目指せない

2020年08月22日 | 考える日々
コロナで亡くなった人と
交通事故で亡くなった人と、
熱中症で亡くなる人と
失業を苦にして自ら命を絶つ人と。
コロナだけが特別多いわけでもない。

地震 雷 台風 山崩れ 津波 火事 テロ…。
生きてる限り心配はゼロにはなりません。

コロナは、
進行が早いこと、隔離されることはコワイけど、
いつまでも分断していられるわけもない。

今回は、なんで緊急事態とか、
ロックダウンとか、全国一斉に学校休みとか、
そんな経済的、社会的、教育に激しいダメージのある方向で
対策を立てることになったんだろう。

誰か教えて欲しい。
そのうち、歴史がひも解いてくれるかな。
その時は、それしかないと思ってたから、
余計に自分の中にもやもやと違和感があります。

コロナ下で学んだこと。
心配をゼロにするためには、
誰とも会わず、どこにも行くことができない
ということ。
だから、ゼロを目指しちゃダメってこと。

家にこもって、誰とも会わず、どこにも行かなければ、
コロナどころか、自分の心が傷つくこともありません。
心配ゼロです。

だけど、
孤独にただ命を伸ばす、なんてことを
社会が目指したり、生きる目標だったり、
ってのは、ちょっと違和感もあります。
人や社会の活力が奪われて、
人が全員、無菌室で延命治療を受けてる状態になっちゃってもコワイ。

触れ合わないことで、
失われる状況にも目を向ける必要があるかも。

オンラインでやりとりできるのは言葉と画像だから、
たとえば、赤ちゃんが祖父母や親せき、
親の友達などに「かわいいかわいい」って
むぎゅむぎゅしてもらえないんだな、
親もワンオペで、「ちょっと見てて」って、
赤ちゃんのお世話を誰かに頼んだりもできないんだな。

目を離せない子どもとみっちり一緒で、
合理的じゃない要求に振り回され続けたら、
イライラする時もあるだろう。

そんな密室育ちの赤ちゃん、
10年後、20年後にどんな影響が出るんだろう、
とか気になる。

大人だって、会社に行かなくていいなら
もういっそ、ずっと在宅でもいいや、
どうにもこうにも、外に行きたくない、
というような話も聞く。

自分がどういう状態で生きたいのかを、
それぞれでイメージしてみる機会かもしれないな。

私は、移動しなくていいのがラクだし、
遠くから参加することもできるから、
読書会など言葉をやりとりするものは
オンラインでもいい。

だけど、オンラインは参加者同士が
まったく知りあえないんだよなぁ。
実際に会ってたら、休み時間に雑談することから、
何かが広がったりするんだけど、それがない。

それに、オンラインで学んで、
頭ではわかっちゃいるけど、
暮らしには全然使ってない、という理解は、
なんとも軽い。

今はやりにくいけど、
ワークショップみたいに
身体を使って自分でやってみることで、
「理屈はわからないけど、知っている」
っていう方向の理解は力強い。

知っているだけでアクションしないなら、
人は性能の悪いデータベース。
知っていることと、やっていることを
少しずつ重ねていけるように、
自分の行動を意識しなきゃな~と思う。

その時に、やっぱり、第三者に見られてると、
あとひと踏ん張りできるのよ(^^;)。
誰も強制しない状態で、自分の意志を鍛える時間、
っていう意味もありそうです。


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