「自由の哲学を読む」というブログのタイトルどおり、
今年から哲学マダムスのグループで
自由の哲学を読んでいます。
何度読んでも、新たに味わい深くなる、昆布系の本。
この自主的な読書会。
「先生」に頼れないから、
各自でちゃんと読んでくることが前提の会です。
先生が居たら、手ぶらでそこに行って、
話だけ聞いて帰ってくる状態になります。
だから、これはいい感じだな、と思っていた。
それぞれ、いろんな人生を歩んできた私たちが、
同じ本を一緒に読んで、
大事なところやわからないところを深め合って、
なんてステキな時間!と思っていたのよ。
だけど、今日は、「ちょっと待って…」と、
少々ひっかかりを感じた。
端的に言うと、おしゃべり率が高すぎる。
本を読むより、長いくらい。
前回と今回、全員そろってなかったせいか、
誰もコントロールしなかったせいか、夏のせいか、
とにかく、やたらおしゃべりしてました。
もともと、関心対象が近いメンバーなので、
誰かが何か話だすと、それをどんどん広げちゃう。
それだけで十分なほど楽しい。
だけど、みんなで同じものを読んで、内容を深めて
「そーゆーことかっ!!」と目からウロコをポロリンコ。
ってするために、毎月集まっているはず。
おしゃべりの時は年に2~3回しか
日が合わなかったもの。
やっぱり、みんなホントは読みたいんじゃないのかな。
私は読みたい。
こういう仲良しメンバーで読書会をする時には、
ファシリテーター役が必要なのかも。
最初にコレやって、次にコレやって、
これはどう思う? っていう水先案内人。
今度、私それ意識してやってみよう。
最初に、ちゃんと集中してスタートできるよう、
瞑想的な言葉にひたる5分を共有する、とか。
その前に、
前もって読んで気になること、
ここがよくわからないけど、どう思う?とか、
これ次に話したいから考えてきて、とかを
LINEで投げておこうかな。
自分が単なるイチ参加者の立場なら
「どうこうしたい」がなかったの。
「おもしろいから参加する」か、
「方向性が合わないから、辞める」の2択。
満足が不満足かの2色しかない。
だけど、自分が(そして、全員が)メインでやっている時は、
ここがちょっと違うから、こう修正したい、
望ましい方向に舵を切るためにこういう役割ならできる、
今度、試しにやってみよう、とあらゆる色で考えられる。
違和感を感じた時に、
力関係や知識の多寡や地位に関係なく、
「こうしたい」と言えて、そのために
それぞれが自分なりに貢献していくスタンス。
こういう、健全な会に慣れてしまうと、
ふつーの社会の部長だの社長だのの立場の違いやら、
誰の派閥だとか、マウンティングだとか、
相手の顔色伺いながらとか、
相手の性格次第で言うことを変えるとか…が、
め~~~っちゃくちゃめんどくさくなってきて、
もう、私はそういうのは要らないな、と思ってしまう。
そういうめんどくさいことがなくて、
本質的なことを大事にできる会は、
ホントにそれをやりたい人だけでやってたら、成立する。
むしろ自分が力を出すのが嬉しい、
ということがこの2年でよーく実感できた。
資格や仕事に役立つとかじゃなくて、
大人になって「人間って何?」みたいなことを
知識のためじゃなくて、
自分を知って育てるために学びたいような人なら
自分のエゴを日常的に意識できるから、
その分、エゴから自由になりやすい、
ってのはありそうだ。
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