自分で考えて納得している事に関しては、
人の意見がAでもBでもCでも
「へ~、何それ、おもしろ~い!
なんでそう思うの?」ってなる。
何かについて、
それぞれが長い時間かかかって、
その人の人生の中で磨いてきた考え方がある。
尊敬できる人から、自分と違う考え方を聞いたら、
「どういうこと? もっと聞かせて?」ってなる。
自分を守るためではなく、
相手を否定するためでもなく、
「ホントウ」に迫るために言葉を使えたら、
話せば話すほど、自分と相手、両方から、
「ホントウ」に迫っていける。
「ホントウ」に迫りたければ、
「今の自分の考えは最高のホントウじゃなくて、
究極のホントウに至る途上だ」と、
未来の可能性に開いておくこと。
私は、人に否定されたくないからと、
20歳と80歳の考えが同じままで、
成長しない自分を望んだりしない。
自分の考えを育てるには、
日常の失敗体験や、
他の人の意見が砥石になってくれる。
失敗しようとしたら、挑戦も必要。
でも、自信を失っても復活できる程度で(^^;)。
そして、信頼できる相手との
違う意見の擦り合わせのキャッチボールの中で、
「そういうことか!」って気づくこともあるし、
「だから違うのか!」ってわかることもある。
どっちにしても青空の下のキャッチボールは、
ちょっとくらい息切れしたって、楽しくて清々しい。
自分の考えを大切にして、
そこからさらに考えを深めていくためには、
日常的なそういう作業が役立つ。
だから、
何かを学ぶには、
素直に言葉を聞きたくなるような
尊敬できる師や友人がいてくれると助かる。
尊敬できる師や友人に出会えない時には、
書物もいいかもしれない。
時代を越えて残っている、普遍的な古典。
その中で、自分と同じ問題意識のものがあればサイコー!
特に、「どう生きるか」「人間とは」みたいな
人間全体に関わる本学の場合は。
「twitterの便利機能」とか「ウイルスの医学知識」みたいな
各論の末学の場合は、もちろん最新情報を(^^)。
自分をココから一歩成長させるための対話は、
キャッチボールと似ているけど…、
もしかして、むしろバスケに近いのかも。
向かい合うんじゃなくて、同じ方向に走る!
お互いに相手が受け取りやすいパスを出しながら、
ともにゴールを目指す、チームのメンバー。
信頼できる相手と協力して、力を尽くしながら。
どっちがゴールを決めても自分たちのポイント!
自分のボールを持ったまま離したくない気分の時は、
他人との対話が難しいから、
自分との対話で、考えを育てるのがいいかもね。
何にしろ、せっかく考え始めたことは、
そのまま手放さないでなるべく突き詰めていく。
頭だけじゃなくてカラダで確かめてみる。
大人は自己教育。
それぞれが、その時の自分に合った方法で
いろいろ考え、学び、実践しながら、
より人間らしくなっていけたらいいな。
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