『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「この年になったら、努力なんかしたくないわ」by Kさん

2020年09月15日 | 考える日々


読書会で、
人間を鼓舞するような文章があると、
「今度私も、がんばって〇〇してみます!」
みたいな話で盛り上がる時がある。

そういう時、いつもKさんが、
「もうこの年になったら、
努力なんかしたくないわ」
と朗らかにおっしゃる(^^)。

何か大事な事が含まれていそうで、
気になる言葉ではある。

何年か前なら、
「いや、Kさんも一緒にがんばりましょーよ」
って思ってたかもしれない。

でも、ふと気づいたんです。
ホントは私も別に頑張りたくない。

寝そべって本読んで、
気の合う人とおしゃべりして、
ピアノ弾いて、美味しくいただいて、
ひっかかったことをつらつら考えながら、
にょろにょろ作文してるのが一番いいわ、って。

与えられた手持ちの能力でできることを、
自分が楽しめる範囲で磨いて、
世に役立てていけたら、
それってめちゃくちゃ幸せだわ!

頭のいい、心の美しい、素晴らしい人たちが
自分では興味のない、外からの要請で努力を重ねて、
結果、幸せそうじゃない姿を見すぎた。
「もっと努力を」って、
エンドレスに次のハードルを置かれるんだもの。
ヒドイよね。

努力しないといけないってのは、
誰かの作った宗教かもしれない、とさえ思う。
努力して幸せを掴む人はいるけど、
自分を振り返って考えてみても、
努力と幸せが比例してない。

学生時代、部活でどんなに努力しても、
運動神経のいい子には追い越されたし、
寝ずに頑張っても斜陽産業での業績は右肩下がりだった。
細かい話をすると、
どんなに注意してやっても、経費計算は差し戻しになったし、
庭を片づけようと思っても、熱い時には身体がフラフラする。

いっそ「それ、無理です」って言ってみる。
周りから期待されなくなったら、
めっちゃくちゃラクチン(^^)。

「また立替えの精算で苦戦してるの?。ついでにやっとくよ」
なんて、隣の席の人が書類を書いてくれたり、
「今回はイッパツ合格でしたね!」って、
経理担当の人が通りすがりにホメてくれたり(^^)。

努力しないってのは、サボリたいという事じゃない。
誰にでも出来ることと出来ないことがあるのを
当たり前の前提とした文化にすることで、
人と人とのかかわりが少し暖かく変わる、
ってこと。

私が出来ることなんかあんまりないんだけど、
たとえば、誰かがしんどそうな顔してる時に
「最近、何かあった?」って話を聞くことはできる。

私の周りが優しすぎたのかもしれないけど、
出来ないって言った事で、
変わりのいない暖かい関係が与えられた。

外からは見えないけど、
タマゴは十分暖まったら孵るのよ♪
暖かいって、すごい力だ!

努力は美徳だし、
努力することで出来ることが増えるのは確かだけど、
努力してもできないことはある。確実にある。

これまでの経験から、
努力が報われる喜びも、
報われないやるせなさも知っている。
幸せは努力の量が決めるんじゃなくて、
心のありようが決めることも。

冒頭のKさんが
「この年になったら、努力なんかしたくないわ」
と、おっしゃるのは、きっと、
「努力が美徳って年でもないんだから、
今の自分をとりあえず認めて、
好きなこと、出来ることをしていきます」
ってことなんだろうか。

好きな事なら、大変さは楽しさの一部にすぎず、
自分が頑張ってるとは思わないだろう。

ことさらに身構えて、ヘンな努力なんかしなくても、
自分に出来る、大好きな事(=Kさんならアート)を
好きなペースで続けてたら、自分も周りもシアワセよ、
ってことを、暖かく体現しておられる。


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