ナイフやフライパン、そろばんと同じように、
電卓やコンピュータは道具です。
道具は、人間にやりたいことがあって、
それを手っ取り早く実現するためにあります。
コンピュータの発展系がAIなわけですが、
AIも道具です。
道具は絶対に受け身であるべきです。
人間がラクをするために、
能動的にならせてはいけません。
その一点はどうしても守る必要があります。
一方、人間に目を向けてみると、
中には、とんでもなく賢い人がいます。
一回読んだ本を全部覚えているとか、
見たこともない問題をスラスラ解けるとか。
うらやましい限りです。
その賢い能力を発揮する時に、
きっかけが自分の中ではなく、外にあった場合。
つまり、受け身で自分を使っている場合、
その能力は、どこかで
有機的なコンピュータのような道具になっていないでしょうか。
機械であることの条件が、
「受け身であること」だとしたら、
人間が人間であろうとする時、どうしても必要なのは、
「能動的であること」「主体的であること」だと思います。
子どもたちの様子を見ているても、
「七並べしよう!」と言い出してみんなが賛成した時、
言い出した子はとても生き生きしています。
「大富豪がいい!」と言ったのに 七並べになった子は、
最初どこかつまらなさそうで、受け身の空気が混ざっています。
学校でも、すでに設定された課題をこなす時、
特に、一つの正解をマークシートなんかで選ばされる時、
机の前の子どもは、どこか機械的です。
美術や技術家庭、体育や部活なども、
課題が先にある点では同じですが、
ゴールや正解を自分で決められるので、
主体性を発揮しやすいです。
「大人の設定した課題を数多く解けたら、
昇りのエスカレーターに乗せてあげるよ」
と言われて、受け身でいることを求められた私たちの世代。
「受け身を求められた」どころか、
主体性を発揮したら「ワガママ」「問題児」とか言われて、
「そんな事では社会に出てやっていけない」と
将来を心配されたりもしましたが、
どっこい、生きてます(^^)。
そんな私たちが、子どもを育てる立場になって、
「人間だけにできることは、
問題を設定したり、 自分で考えて動くことだよ。
それができなければ機械に劣るもの」などと、
主体性が問われる時代が来るとは思いもしなかったよー。
自分が立たないといけないって、厳しい時代だよな~。
受け身世代の私たちが、
主体性を求められる世代を育てるのですから、
自分の時と教育が変わるのは当然です。
無知でも何でも、「人間」を育てるなら、
クイズ王を育てるように子どもを育てるのではなく、
子どものやりたいことを全力で応援して、
「やりたいことをやっていいんだ」と伝えたい。
そして、
「あなたが今大事にしたいことは何?」と問い続けて、
自由に向かって人間を育てて行く必要があると思います。
機械や動物のような扱いじゃなくて、
人間にふさわしい扱いをすることで、
生き生きと自分の課題に向けて挑戦することを喜ぶ
本来の人間の姿になっていけばいいな、と思います。
子どもにも、自分にも、ね。
当方へのコメント、並びにフォローありがとうございました。御礼申し上げます。合掌