『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「これはこれでありだ」と感じる時も

2020年05月09日 | 考える日々


ゴールデンウィークが終わった
という意識もなく、ゴールデンウィークが終わった。

いつものように遠出もせず、
かといって、特別に何をするでもなく、
家族それぞれ一人時間を楽しんだり、団らんしたり、
近所の友人と散歩したり、
遠い人とはオンラインでおしゃべりしたり、講座受けたり、
ベランダでごはん食べたり、庭仕事したり…。

お金もあんまり使わなかったし、
旅行で移動疲れすることもなかったし、
経済的な不安を考えなければ、
これはこれで、のんびりいい感じ。

私は、この程度で幸せなんだ、ということがわかった。
これはこれで「あり」だ。
あとは、自由に人に会えることと、
書店や図書館、文具屋や喫茶店に行けたら十分。
あ、ホームセンターも欲しい(^^)。

このサイズで幸せを感じられる私に、
今、一番欠けているものがある。
それは「一所懸命さ」。

それって、外の状況じゃなくて、自分の内面の問題。
意識では、「人が人として大事にされる方向で、
自分を役立たせたい」とか、高校の頃から願ってるくせに、
無意識では、たぶん、失敗したくないし、しんどいのもイヤなんだ。

今まで、気づかなかったけど、「
今さら、気づいたわ。
だから、巣穴の中でじ~っとしてて、
それほどストレスもないんだ?

「世界平和」とか神様にお願いしてる場合じゃない。
自分で出来ることをやれ、私。

そういえば、神社にお詣りする時は、
神様にお願いしに行くんじゃなくて、
神様を喜ばせに行く、という意識の方がいいそうです。

どういう事かというと、
「神様が自分に与えた役割を、
私は無事に果たすことが出来ています。
応援してくださったおかげです。ありがとうございます。
これからもあなたの目的のために私を使ってください」
…みたいな視点で。

お、そう考えると、いつでも神様が一緒に歩いてくれてて、
心の支えができたみたいで、力強いな。
この際の「神様」は、いろんな宗教に分かれる前の、
もっと普遍的なものね。

私の役割、私の役割……はて?
ペースがゆっくりなこと、書き言葉と仲良しなこと、
話を聞くこと、暮らしに小さな工夫を加えること、
メロディ程度ならピアノで耳コピできること、
平和な思考回路があること…などなど。

そんな自分に果たせる役割…。
なまじ、仕事がないからこそ頭に据える、
この根本問題。

これも、問題を設定したら、答えが見つかるにちがいない。
この答えは、いつでも進化していっていいから、
おそれずに一度言葉にしてみなければ!


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