久しぶりに絵を見に行きました。
絵を見に行った、というよりは、
アートの中に包まれに行った、という感じ。
京都と大阪の間にある大山崎山荘です。
建物や調度品が重厚で、
庭が、周囲や絵と絶妙に調和してて、
歴史と豊かさと静かな時間を感じて、
そこにいる数時間、
「いいなぁ~」ばっかり言ってました。
絵の点数はそれほど多くないんだけど、
それでも、というか、だから、というか、
人も少なくて、
好きな絵に、1点ずつゆっくり向き合えました。
数点が展示された部屋では、
まず私の好きなルオーが目に飛び込んできました。
その前に直行してタイトルを見ると、
「貴族的なピエロ」。
おお~~。
そのタイトルだけでももう、
「ヤラレタ感」があります!
見られて笑われる存在じゃなくて、
見られたい姿を演じて、見せてる。
このピエロの人が自分を見る視点は、
内からじゃなくて、観客と同じく、外から。
何なら、左の丸いところから、
肩越しに、観客もセットにして見ている。
「こんな風に見えてるんでしょ?」
「こんな風に見たいんでしょ?」
っていう、視座の逆転。
「あ、こんな風に見せてるの、気づいた?」
って、にんまり笑われたような気も。
ってことは、お笑い芸人さんたちも、
見せたい自分を客観的に演出して演じてるあたりが、
この絵と似てる、プロの世界だなぁ。
な~~んて、
感じたことを好き放題書いてますが、
画家のモチーフは全然違ったりして。
いわゆる美術の教科書的な「正解」に沿って見ると、
画家の気持ちに近づけます。
一度は、そんな風に見るのが
画家へのマナーのようにも思います。
でも、許して!
こんな風に、その絵を見て、
「自分がどう感じたか」を、
素直にすくい取るような見方をすると、
その時々の自分を反映しててオモシロイから。
その後、モネの睡蓮がいくつか並べてある部屋では、
それぞれの睡蓮にサブタイトルを付けてみました。
「空の深さ」「水底の竜宮城」「輪舞」…。
一緒に行った人とイメージが似てて、ビックリ。
アートって不思議だわ。
こういう体験をすると、
言葉って何だろうな~って思う。
ゆっくり絵に向き合った後は、
ぼ~~っとしたくなって、庭へ。
東屋で寝そべりながら、草花を眺めていました。
和むわ~。
先端の葉っぱが白く化粧したような、
半夏生があちこちにいっぱい花をつけてて、
「そういえば、七十二侯の半夏生って今ごろだよね?
ちゃんとその時期に咲いてるじゃん!」って話していたら、
「あれは“半夏生(はんげしょう)”って書いて
“半夏・生ず(はんげ・しょうず)”って読むんだよ」
という思いがけない発言が。
調べてみたら、
「半夏生」と「半夏」という植物は、
全然別モノでした。
ちなみに、半夏はこんな毒草っぽいビジュアルのもの。
(https://tenki.jp/suppl/yasukogoto/2016/07/01/13671.html様より)
ええっ、「半夏、生ず」って読むってことは、
ハンゲショウの方じゃなくて、
実は、こっちのハンゲの方なの?????
いや、初夏なら半夏生の方がイメージなんだけど…。
調べたけど、結局よくわからないままです。
ともあれ、
久しぶりにアートに包まれた、
いい時間でした。
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