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そっか~。もう11年前になるんですね。
「自由の哲学」に出会ってから。
ブログの昔の記事に、
「この本は私にとって何なのか」ってのがあって、
11年ぶりに目を通してみました。
へぇ~~。
読む前に、「この本は私にとってめっちゃ大事」
って、予感してたのが、何とも不思議だね!
ちょっとビックリしたのがコレ( ↓↓↓ )
生きることは不自由なことだらけ。
学生時代みたいに時間の制約がなければ、
今度は自分の怠惰さが自分のやりたいことを妨げる始末。
って、11年間、成長してないじゃん!!
今のところの対応策としては、
週に2~3日、拘束時間があって、身体を使う方が、
自分が生まれてきた役割みたいなものを考えるし、
拘束されない時間を、やりたいことにちゃんと使える、
という、ややこしいウルトラCのバランス技(^^)。
それから「わかるなぁ」って思ったのが、
…そりゃ、自分の11年前なんだから
「わかる」だろうけど、
自由すぎると不安になったりもします。
フリーで編集の仕事をしている時には
「所属感」を求めました。
だってさ~。
「自由すぎる」って何だろうね?
自由について「好きな時に好きなことできる」、
くらいの感じで捉えてたと思うわ。
「誰からも邪魔されない」くらいのイメージ。
ってことは、
自由=孤独 もしくは
自由=君臨 って思ってたのかな。
今なら、それを「自由」とは呼ばないなぁ。
そして、最後の方で、書いていたこと。
私が私であることを楽しみ、
自由に羽ばたきながら、なおかつ、
まわりの人と一緒に幸せになっていきたいのです。
う~む。真っすぐでキラッキラしてるなぁ。
だいぶん、この10年で薄汚れた気がするし、
力不足なことも思い知った。
だけど、
「まわりの人と一緒に幸せになっていきたい」
っていう思いは、変わらないんだなぁ~。
何も出来ないヤツに、
そんなこと言う資格はない、と言われても。
11年前みたいに、自分を生かせる仕事に就いて、
わりと余裕を持って働きつつ
「私が私であることを楽しむ」んじゃなくて、
今は、私を生かせない…つまり、
全然向いてないことにも挑戦しつつ、
「私を育ててあげる」ことを楽しんでる。
あ、あとは、
「みんなと一緒に幸せに」なんていう
壮大な思いを書き付けている、この人、
この時は、わりと自分の半径3mくらいのことを
見てなかったかもしれないなぁ。
「シュタイナーはこうしろって言ってる」
とか一番気になってた頃だわ。
今なら、
「人の言うこともいいけど、
アンタの目でアンタの子どもを見てあげたらいいよ?」
って、親の方の肩の力をふわ~っとゆるめてあげたいなぁ。
今は、どこかで読んだ言葉に依存するよりは、
「具体」と「抽象」の間を、
別の言い方をしたら「自分の行動」と「考えること」の間を、
往復することが必要だと考えています。
自分の身の回りで「?」って思ったことから
考えをたどって行って、次元を上げて行って、
何かの法則に近づいていきたいと願う
「具体」→「抽象」の方向性。
逆に、何か自分が「考えたこと」や、
何かで見聞きして「これは大事だなぁ」と思ったような言葉を
「日々の自分の行動」に活用してみた時に、
実際に何が起こるのかを確かめてみる方向性。
この両方をやることで、
どこかで見聞きしたことや
自分が考えたことの答え合わせができるし、
身の丈の行為から、哲学的な法則に近づいていける。
11年間のいろんな経験が、
こういう形で生きていくというのは、
人一人ひとりのかけがえなさを感じます。
正解とかどうでもよくて、
確かめる作業、考える作業自体が楽しい。
とっても楽しいです。