『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

11年前の予感「この本は私にとって」

2021年06月29日 | 『自由の哲学』
そっか~。もう11年前になるんですね。
「自由の哲学」に出会ってから。

ブログの昔の記事に、
この本は私にとって何なのか」ってのがあって、
11年ぶりに目を通してみました。

へぇ~~。
読む前に、「この本は私にとってめっちゃ大事」
って、予感してたのが、何とも不思議だね!

ちょっとビックリしたのがコレ( ↓↓↓ )

  生きることは不自由なことだらけ。
  学生時代みたいに時間の制約がなければ、
  今度は自分の怠惰さが自分のやりたいことを妨げる始末。

って、11年間、成長してないじゃん!!

今のところの対応策としては、
週に2~3日、拘束時間があって、身体を使う方が、
自分が生まれてきた役割みたいなものを考えるし、
拘束されない時間を、やりたいことにちゃんと使える、
という、ややこしいウルトラCのバランス技(^^)。

それから「わかるなぁ」って思ったのが、
…そりゃ、自分の11年前なんだから
「わかる」だろうけど、

  自由すぎると不安になったりもします。
  フリーで編集の仕事をしている時には
  「所属感」を求めました。

だってさ~。

「自由すぎる」って何だろうね?
自由について「好きな時に好きなことできる」、
くらいの感じで捉えてたと思うわ。
「誰からも邪魔されない」くらいのイメージ。

ってことは、
自由=孤独 もしくは
自由=君臨 って思ってたのかな。
今なら、それを「自由」とは呼ばないなぁ。

そして、最後の方で、書いていたこと。

  私が私であることを楽しみ、
  自由に羽ばたきながら、なおかつ、
  まわりの人と一緒に幸せになっていきたいのです。

う~む。真っすぐでキラッキラしてるなぁ。
だいぶん、この10年で薄汚れた気がするし、
力不足なことも思い知った。

だけど、
「まわりの人と一緒に幸せになっていきたい」
っていう思いは、変わらないんだなぁ~。
何も出来ないヤツに、
そんなこと言う資格はない、と言われても。

11年前みたいに、自分を生かせる仕事に就いて、
わりと余裕を持って働きつつ
「私が私であることを楽しむ」んじゃなくて、
今は、私を生かせない…つまり、
全然向いてないことにも挑戦しつつ、
「私を育ててあげる」ことを楽しんでる。

あ、あとは、
「みんなと一緒に幸せに」なんていう
壮大な思いを書き付けている、この人、
この時は、わりと自分の半径3mくらいのことを
見てなかったかもしれないなぁ。

「シュタイナーはこうしろって言ってる」
とか一番気になってた頃だわ。
今なら、
「人の言うこともいいけど、
アンタの目でアンタの子どもを見てあげたらいいよ?」
って、親の方の肩の力をふわ~っとゆるめてあげたいなぁ。

今は、どこかで読んだ言葉に依存するよりは、
「具体」と「抽象」の間を、
別の言い方をしたら「自分の行動」と「考えること」の間を、
往復することが必要だと考えています。

自分の身の回りで「?」って思ったことから
考えをたどって行って、次元を上げて行って、
何かの法則に近づいていきたいと願う
「具体」→「抽象」の方向性。

逆に、何か自分が「考えたこと」や、
何かで見聞きして「これは大事だなぁ」と思ったような言葉を
「日々の自分の行動」に活用してみた時に、
実際に何が起こるのかを確かめてみる方向性。

この両方をやることで、
どこかで見聞きしたことや
自分が考えたことの答え合わせができるし、
身の丈の行為から、哲学的な法則に近づいていける。

11年間のいろんな経験が、
こういう形で生きていくというのは、
人一人ひとりのかけがえなさを感じます。
正解とかどうでもよくて、
確かめる作業、考える作業自体が楽しい。





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2 コメント

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共感。 (ella)
2021-06-29 05:40:52
自由っていつできたんでしょうね。

とっても楽しいです。
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Unknown (オキツ)
2021-06-30 00:01:49
抽象と具体の往復、頭と身体の往復、の両者をつなぐ「感情」。「気のせい」とか言わないで、人に迷惑かけない程度に大事にしてあげたいです。
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