『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

テレビなぁ~

2012年08月22日 | 考える日々
別に困ることもないので、地デジ未対応のままいたら、
ある日、突然テレビが映らなくなった。
有料のケーブルテレビは、
いくつか見られるチャンネルもあるみたいだから、
壊れたわけじゃないみたいだけど。

で、こないだの休日。
「映らなくなったので受信料の引き落としを止めてください」
と夫がNHKに電話をしたら、
「見てるのになんで払わないんだ」呼ばわり…。
なんだよ~、それ!
笑えるのが「こういうものやこういうものが家にあれば、
払う必要があるんだよ」と言われたガジェットやツールが、
自宅に何もなかったこと(^^)。

「調査員を自宅にやって調べますよ」とかアレコレ言われて、
来るなら来てもらってもいいけど、
結局、引き落としを止める書類が送られることになった。
朝からあちこちで電話させられて、
たったそれだけの依頼をするのに、夕方までかかった。

はぁ~。なんてムダな時間・パワー・気分。

「誰もがテレビを見たがっているはずだ」
という前提が、あるんだろうな。
「新聞を取らない家庭はない」という前提で、
市の広報誌も新聞の折込と一緒に来るらしいんだけどさ。

人のライフスタイル、自由に選ばせて欲しいわ。

帰ってから寝るまでのほんの2~3時間、
見たくもないものをぼーっと見て時間をつぶすなんてあり得ない!
ぼ~っとしたい時は、テレビの騒音の中じゃなくて、
たとえば風に吹かれながら、心底からホントにぼ~っとしたいの!

ごはん食べながら家族とゆっくり話したり、
自分の考えたいことを考えて、読みたいものを読んで、
書きたいことを書いて、描きたいものを描いて、
作りたいものを作っってる贅沢な時間が好きなの。

なんというか、
自分のやりたいことを普通にやりたいだけなのに、
悪意のない邪魔がいろいろ入って、
しょうもないパワーを使わされることがあるんだな~
と感じた一日でした。
中学時代、制服がイヤだった時も同じだったけど。

でも、そこを乗り越えると、
「みんな一緒」を強制されない、
つまり、同じ土俵での優劣を付けられない、
自由な豊かさが広がっているような気がする。

情報に刺激され、モノを消費して生きるんじゃなくて、
自分で「こうしたい」と考えたことにしたがって、
自分の欲しいものを身の丈に応じて作り出して生きる。
そういう、自分の中の地面に足をつけた確かさや静かさを
作り出して、そういうものに囲まれていたい。

判断力のまだ未熟な子どもにも、
人と比べなくていいんだよ、
自分を信頼して自分で決めていいんだよ、
と感じる素地を伝えたいな。
ただ、そういうこと伝えると、
高校までは困ることもあるだろうけどな~。
そうなった時、ちゃんと子どもをバックアップしなきゃなぁ~。

高校卒業以降は、周囲からの圧力も減る。
その時、自分を信頼して動けるようになっていたら、
刻々と移り変わる周囲の状況に右往左往しないで、
自分の足で、自分の道を決めて、歩いていける。

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