これまで、覚えの対象を見てとってきたが、
今度は対象から覚えの主(=自分)見てとっていこう。
私は外の世界の物事を「覚える」だけでなく、
自分のことも「覚える」ことができる。
自分について覚えるからこそ、自分は自分だと言える。
他の覚えの像は、どこかから来て、どこかに去っていく。
「私が私である」という覚えは、
私の意識の中に他の何がある時でも、
他にどんなことを考えている時でも、
「私」のことは「私」として覚えられる。
何か、他のことを深く考えている時にでも、
また、他のことを軽く意識しているだけの時にでも、
私の中で「私は私」ということがわかっている。
「私は私」ということを知っている。
そして、私は他のものを意識しているだけでなく、
他のものを意識しているのが「私」で、
「私」自らがどういう人なのかも意識している。
※人は、外の世界にあるさまざまなことを知り、
多くの経験を積みながら成長していく。
それと同じように、
自分の中にあるさまざまなことを知れば、
同じように多くの経験を積みながら成長していけると思う。
どこに行くとか行かないとか、
何を見せるとか見せないとか、
何を与えるとか与えないとか…、
子供を育てていると、あれこれ思う。
それと同じように、
自分の中にあるものをきちんと見ることも大事だ。
たとえば、どんな時にはどう感じるとか、
どんなことがあるとうれしいとか悲しいとか、
そういうことも、人の成長にとって必要なものなんだな。
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