『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

『くらしのアナキズム』松村圭一郎 著 ミシマ社

2021年11月19日 | 『自由の哲学』
ラジオを聞いていたら、
著者の方が自著を話す番組をやってました。


松村圭一郎 著 ミシマ社

最初、聞き流していたんだけど、
「うわ、これ自由の哲学ぽい!」と、
めっちゃ真剣に聞いてしまいました。

私たちは、
誰か(たとえば国とか)が秩序を用意してくれなくなったら、
社会はめちゃくちゃになるんじゃないの?
と思い込んでいる。

だけど、
実は、国や政府みたいな大きなものに頼らなくても、
人間は助け合うように出来てるんじゃないの?
長い間、権力による強制なしに、
人間はお互いに支え合って生きてきたんだもの。
っていう本だそうで。

そうだよな~。
サルから縄文までの長い歴史の間は、
きっとそういう感じだったんだ。
農業とかやり始めて貧富の差が出来てから、
支配・被支配ってなってきた。
ビバ縄文! 縄文LOVE!

あ、脱線しました。

えーと、ためしに、秩序がない状態、
たとえば、災害時なんかがそうなんだけど、
困ったことがあった時に人間はどうしてるかというと、
今でも私たちは、知恵を出し合って、
労力を提供し合って、互いに助け合っています。

地震の時なんかには、
市役所職員さんや政府に任せずに
とりあえず家族や近所の人に声をかけたり、
行く道中で迷子の子が泣いていたら、
一緒に避難所まで行ったりする…はず。

過去の災害でも、
必ずそうなっていたのだと。
私たちは、そうして助け合ってきたのだ、と。

「私たちは、
ピンチの時にそういう力を発揮するように出来ている」。
事実ベースで、改めてそう言われると、
「確かにな~」と思い当たる面がある。

大きなものには、もちろん
社会のために機能していて欲しいけど、
そういう秩序があってもなくても、
土壇場に立って誰にも頼れない時、
私たちは生きるために最善を尽くそうとする。

周りと一緒に、より良い状態になるために、
必要なことを考え、その時自分に出来ることを考え、
それを自由に繰り出していく。

人間って、基本性能として、
たいした存在なんだな~~!!

ニュースでは、
己のエゴによって人を害するような、
身勝手で醜く弱い面ばかりを大きく取り上げられる。

だけど、ピンチの時に、
損得を越えて必要なこと、やるべき事を、
自分で考え、繰り出して乗り越えていくように、
美しく力強くなれるのも人間。

本来、誰の中にも両方備わっている。

その時々で、
どっちに自分を支配させるのかは、
自分で決めることだね。

私の場合は、考えてることはともかく、
行動が付いていかなくて、
弱さや怠惰に支配されてばっかりなんだよな~。

ちゃんと自分から行為として繰り出しなさい、ワシ!
と、自分に熱を送りつつ。



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