『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

一服のお茶が 77/100

2021年10月25日 | 手足を使う日々
アルバイト中、
出社予定のなかったボスが登場した。
「あ、お疲れ様です^^」。

ボスは、しばらくゴソゴソと片づけたり何かして、
そのまま私の気づかないうちに消えた。
あら、いつの間に? 挨拶しそびれた。

とか思いつつ、仕事してたら、
1時間ほどして、ボスがふたたび登場。
「あら?? こんにちは」。

ボスに「こんにちは」って言うのも
ご近所さんみたいで妙だけど、
まぁ、なんというか、
そういう空気感だったのよ(^^)。

んで、自分の持ち場に籠って仕事中、
ふと視線を感じて顔を上げたら、
ボスがじーっとこっちを見ている。
声かけるタイミングをはかっていたっぽい?

「ん?」と、目で問いかける。
「お仕事中、すみません。
お茶をごちそうしたいんですけど、
どのタイミングならいいですか?」
「は???」

「お茶を習い始めたので、練習がてら」
ということらしい。
「え~、ビックリ! いつでも大丈夫ですけど、
ちゃんとしたいただき方、知りませんよ?」
「いいのいいの、私も習いたてだから」。

てなことで、急遽、
その日にいたもう一人と私で、お茶の時間。
わざわざ、お菓子も用意してくださっていて、
「どれがいい?」って。わお!
「コレおいしそう!」と躊躇なく選ぶ妹気質。
新入りのくせに、遠慮するべきであった(^^;)。

茶釜の代わりにティファール、
畳の代わりに、ままごとの茣蓙(ござ)、
かけ軸のかわりに、季節物のかぼちゃ…。
小さな部屋が茶室風にしつらえてある。

引き戸を開けて茶室に入るところから始め、
袱紗の扱いだの、棗の持ち方だの、
いろんな所作を思い出しつつ、
丁寧に、一幅のお茶を点ててくださる。

こまやかな手の動き、背筋の伸びた所作、
水を注ぐ音、茶筅のシャカシャカ音、
茶筅を置く時の鹿威しのような音…。

私たちも正座して、
かしこまってその時間を味わう。

3人で、耳を澄ませて、
同じものに注目し、見守り、
全てを受け入れながら、
ゆっくりした時間が流れます。

おいしいお菓子と、
ちょっと薄めのお茶をいただいた、
たどたどしくも、心のこもった時間。

特別に何か深い話をしたわけでもないのに、
この時間を共有したことで、
一気に壁が低くなる。距離が近づく。

「お話できて良かったです」
「また声かけてください」
「オシゴト中、ありがとうございました」
どっちがどっちを言ってるんだか、わからない
この展開。

チェーン系やフランチャイズの会社では、
たぶん、コレはないよね。
大所帯の会社なら、
出先で休憩がてら、ねぎらいのお茶、とか、
話題のスイーツ買ってきたよ、とかかなぁ。

仕事に関係のないことをしゃべって、
何を大事にしている人なのかに想いをはせ、
立場を越えて、一人としての相手を知る、
こういう余計な時間。

小さい所帯だからこその、この柔軟性。
マニュアル(←これも大事)があっても
人が人でいられることを優先できた頃の、
お店や会社の古き良きつながりを思い出す。

不要不急の話ができて良かった。
時代のせいにしないで、
いろんな人とこういう時間を持てたらいいな。


▼本日のフォルメン 77/100

法則に沿って動く中で、
少し自由に動いてみる。
方眼にいっぱい描きまくったので、
もはや方眼はガイドではなく、リズムが私を導き、
結果的に方眼の上に動きが整っていく感じ。
上の方の飛躍的な動きは、
リズミカルでダイナミックで楽しかった~。

※「何コレ?おもしろそー」という方は、
コチラをどうぞ。
私にとっては、
心を整えるヨガであり、瞑想の時間です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿