『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

芸術と物理。身体使わないとな~

2022年09月19日 | 考える日々
大人になってから、
もう一度ピアノを習っている。
今で3年目くらいかな?

憧れていた曲が弾けるのは
達成感があって嬉しい。
中秋の名月の時に
ドビュッシーの月の光なんか弾いた日にゃ、
めっちゃ気持ちいい。

だけど、ホントにやりたいことは、
もっと美しい音色を出すこと。

譜面通りには弾けるし、
自分なりの「音楽的」な表現もしてる。
だけど、今一歩、物足りないのは、
自分の望む美しい音が出せていないから。

特に、繊細で粒立つ感じで弾きたいパッセージや、
最後に消えるような天に昇っていく極々小さな音。
を、がちゃがちゃした音でしか弾けない悲しみ。
それが、思い通りに弾けたら、どんなに美しいだろう。

「この人(曲)の本来の実力を発揮させてあげたいのに!」
って、ピアノの先生に言ってたら、手首の使い方とか、
関節の動かし方とか、教えてくださるんだけどね。

「こうですか? こうですか?」っていう私に、
「一回コツを掴んだら出来るんですけどね~」と、
残念がってくださる。
「あ、今の感じ! 今いい音出てました!」って、
励ましてもくださる。

「今、出来ましたよね!! 
我ながらいい感じで弾けました!」
って再現しようとしたら、また出来なくなっている。
大人になって、慣れた動きを変えるのは、
なかなか難しいのよ。お箸の持ち方ひとつでも。

おもしろいな~。
いや、自分が出来ないことじゃなくて、
偉大なる芸術のくせに、物理に縛られてるのが。
芸術は、物理から自由ではありえないのか?

精神の世界、というか脳内では美しく鳴らせるから、
芸術は物理から自由だ。
現実世界では、腕の使い方はもちろん、
熟練度にもピアノの性質やホールにも影響される。
つまり物理に縛られている。

脳内で自由に鳴らす音楽は、
誰とも共有できないけど、
現実世界の音楽は、物理に縛られてようが何しようが
聞く人に届けることができるし、受け取ることができる。

やっぱし、生きてる間は、
カラダ使わないとな~。


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