18日は二度寝した。。。 続きをUPしようと思っていたのに。。。
妖怪のせいなのね・・・・
一時帰還から、約一ヶ月間神戸での生活となった。
3月に出張先の鎌倉に戻った時、「地下鉄サリン事件」が発生し、まぁ色んなことが起こった年だった。
一時帰還中、水は出ない下水も配管が壊れマンションの管理会社からトイレを使わないでくれと言われ難儀した。
大の方は平日は極力会社で済ます様にして、土日は近くの公立学校や公園の避難所に簡易トイレが設置されていたがかなり汚く、贅沢だがわざわざ大阪梅田まで阪神電車で出て朝昼兼用の食事を取り、阪急or阪神百貨店や駅ビルなどの綺麗なトイレで用を足した。
小はベランダで用を足して水で流した。
梅田まで出る手段が無ければ、我慢して簡易トイレを使ってただろうな。
水は20Lのタンクを大阪で購入し、阪神本線御影駅の高架下にある御影市場「旨水館」のお豆腐屋さんが、地下水をくみ上げていて無料で提供してくれていると言うことでそこを利用させてもらった。
食料は近くのコンビニやスーパーは物が入らず、学校などの避難所でパンやパックジュースの配給があり、土日はそこを利用させてもらった。
何度か御影公会堂で炊き出し(配給車が来た)があり、暖かいビーフシチューなどを食べたこともあった。
お風呂は平日、会社の帰りに阪急塚口駅近辺で被災を免れた銭湯を利用した。(それらの銭湯は、現在すべて廃業して無くなった)
自宅の近くにも銭湯があったのだが、震災でつぶれてしまった。
土日も入りたいときは、阪急塚口まで出てきて利用した。
春になって水道、ガスが復旧したがシャワーの最中、急に赤水になるなど不安定な供給がしばらく続くた。
徐々にライフラインが復旧してくると、コンビニやスーパーも営業し始め食料や生活必需品の入手に苦労することもなくなってきた。
鉄道3線の6月になっての完全復旧【大阪-神戸間】は、人の流れが頻繁になり神戸の街(三宮だけだが)も活気を取り戻すきっかけになった様だ。
私はというと国道はなんとか復旧し利用できるようになった5月頃、電車での移動がまだ不便なとき、無性に車が欲しくなって買ってしまった。
車所有開始は震災からということで、丸20年ということだ。
(実際は、大学院卒院まえ3ヶ月間中古のスターレットに乗っていた/就職後処分)
まぁ、車を買っても買った最初の頃は出張三昧であまり乗れてなかったなぁ~。
しばらくの間、鎌倉に行ったり来たりだったが神戸に滞在中は余震に悩まされた。
揺れが来るのが判るんですよね。
揺れが始まる直前、外から『ごーぉぉぉ~』と言う音が聞こえてくる、そして『グラグラ』。
震災当日を経験した人は、余震もたまらなかったことだろうな。(精神的に)
震災から20年経って、神戸市民の40%以上が震災以降に生まれたか転居してきた市民になっているらしい。
東日本大震災も時が経てば、阪神淡路大震災同様それを経験していない世代となるのだが、後の世代にこの体験、その対策・対応を語り継いで忘れないようにせなあかんのやろうなぁ。
では、このタイトルはここまでで
妖怪のせいなのね・・・・
一時帰還から、約一ヶ月間神戸での生活となった。
3月に出張先の鎌倉に戻った時、「地下鉄サリン事件」が発生し、まぁ色んなことが起こった年だった。
一時帰還中、水は出ない下水も配管が壊れマンションの管理会社からトイレを使わないでくれと言われ難儀した。
大の方は平日は極力会社で済ます様にして、土日は近くの公立学校や公園の避難所に簡易トイレが設置されていたがかなり汚く、贅沢だがわざわざ大阪梅田まで阪神電車で出て朝昼兼用の食事を取り、阪急or阪神百貨店や駅ビルなどの綺麗なトイレで用を足した。
小はベランダで用を足して水で流した。
梅田まで出る手段が無ければ、我慢して簡易トイレを使ってただろうな。
水は20Lのタンクを大阪で購入し、阪神本線御影駅の高架下にある御影市場「旨水館」のお豆腐屋さんが、地下水をくみ上げていて無料で提供してくれていると言うことでそこを利用させてもらった。
食料は近くのコンビニやスーパーは物が入らず、学校などの避難所でパンやパックジュースの配給があり、土日はそこを利用させてもらった。
何度か御影公会堂で炊き出し(配給車が来た)があり、暖かいビーフシチューなどを食べたこともあった。
お風呂は平日、会社の帰りに阪急塚口駅近辺で被災を免れた銭湯を利用した。(それらの銭湯は、現在すべて廃業して無くなった)
自宅の近くにも銭湯があったのだが、震災でつぶれてしまった。
土日も入りたいときは、阪急塚口まで出てきて利用した。
春になって水道、ガスが復旧したがシャワーの最中、急に赤水になるなど不安定な供給がしばらく続くた。
徐々にライフラインが復旧してくると、コンビニやスーパーも営業し始め食料や生活必需品の入手に苦労することもなくなってきた。
鉄道3線の6月になっての完全復旧【大阪-神戸間】は、人の流れが頻繁になり神戸の街(三宮だけだが)も活気を取り戻すきっかけになった様だ。
私はというと国道はなんとか復旧し利用できるようになった5月頃、電車での移動がまだ不便なとき、無性に車が欲しくなって買ってしまった。
車所有開始は震災からということで、丸20年ということだ。
(実際は、大学院卒院まえ3ヶ月間中古のスターレットに乗っていた/就職後処分)
まぁ、車を買っても買った最初の頃は出張三昧であまり乗れてなかったなぁ~。
しばらくの間、鎌倉に行ったり来たりだったが神戸に滞在中は余震に悩まされた。
揺れが来るのが判るんですよね。
揺れが始まる直前、外から『ごーぉぉぉ~』と言う音が聞こえてくる、そして『グラグラ』。
震災当日を経験した人は、余震もたまらなかったことだろうな。(精神的に)
震災から20年経って、神戸市民の40%以上が震災以降に生まれたか転居してきた市民になっているらしい。
東日本大震災も時が経てば、阪神淡路大震災同様それを経験していない世代となるのだが、後の世代にこの体験、その対策・対応を語り継いで忘れないようにせなあかんのやろうなぁ。
では、このタイトルはここまでで
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます