源頼朝の腹心の家臣に纐纈源吾盛康という人物があった。盛康は頼朝が鎌倉に幕府を開いたときには、母親が高齢であったために京都に残り、そのために領地を与えられなかった。後に頼朝に謁見した折にこの地域に所領を与えられたようである。この盛康は願興寺が最初の兵火により焼失した折に、田畑の寄進や市場を開き、そこでの収益により再興に貢献した人物として寺伝「大寺記」にも記されている。
この地の鬼伝説「関の太郎」はこの纐纈源吾盛康も大きく拘わっている。源吾が開いた市場は十日市場と呼ばれ、十の付く日に開かれていた。この頃、鬼岩に関の太郎という鬼が棲みついて、娘をさらったり盗みや市を荒らしたりで住民を混乱に陥れていた。鬼岩に行ったことのある人なら、なるほど鬼の棲家になりそうだと思われたであろう。
この関の太郎は、願興寺祭礼のときに源吾の贈り込んだ4人の家臣が願興寺の薬師如来の助けを借りて捕らえ首をはねた。そして、太郎の首を京にいた源吾のもとに運ぼうとしたが途中で急に重くなり、運ぶことができなくなり、道運んでいた桶を地面に置くと首が飛び出してきて「我は悪逆無道を働いてきたが、薬師如来様のご加護で成仏することができた。これよりはこの地の守り神になって五穀豊穣と民衆の幸福に貢献する」と言ったといわれている。
写真は地元の人々が手入れをしている鬼の首塚である。
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願興寺・・・願興寺公式サイト
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