女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

私が、自殺しなかったわけ。(不細工人生万歳?!)

2012-11-09 | 日記
私は、大切な人を、14年前に、なくしている。
自殺でもして、生きることに終始符を打つべきだったと今後悔している。

その人は、私の生きがいであり、すべての生きる意味だったから。
どうせなら、一分でも早く、私のほうが死にたかったくらい今でも苦しい。

でも、こうして長い間、無意味な人生を生きているうちに、自分でも、
こんなお婆ちゃんでも、不細工なデブな汚い人間でも。

必要としている人がいる。
だから、その人がいなくなるまで、生きてみようと思い、生きた。

私は、死んでもいい人間で、デブで不細工で、醜い容姿をしている。
もう、女性ではなく、ただの肉の塊の、汚物である。

しかし、汚い肉の塊は、この世で転がり続けて、この世の悲しみ、苦しみを学んだ。
本当の、人生を一人で、学んだ。

自殺していたら、人生の本当の苦しみや、悲しみを知らないままの人間だった。
一人でいたら、病気の時の、もがき苦しむ辛さが、身に染みた。

でも、そのあとに、熱も下がり、苦しみが消えたときの喜びを感じた。
一人で生きてみて、一人を楽しむすべを知った。

人の辛さ、悲しみ、苦しみを身をもって、かんじた。

不細工でも醜くても、デブでも、肉の塊最悪人間でも生きた。

今でも、人生の勉強をしているつもりで、

今日も、世界一、ぶさいくなわたしはいきる。

不細工、万歳?!

私の好きな香り

2012-11-09 | 日記
私の好きな香り

お母さんの作ってくれた味噌汁。
炊き込みご飯の香り。
醤油で煮つけた野菜のにおい。

洗濯した後の、優しい香り。
お部屋に残る、柔軟剤の匂い。

歩いているとき香る、シャンプーの匂い、
どこにでもある、食堂のサバの煮つけのにおい。

いろんな香りがみえてくる。
初めて、アイマスクをして歩いた街では、
風のにおいを感じた。
 
優しい人の、優しさの香りをかんじた。
言葉をかけてくれる、優しい人の思いやりの香りを感じた。

少しだけ、アイマスクは怖くて、あるきだせなかったけど、
それは、優しい人の香りに導かれて、楽しく町を散歩した。

電車のにおい、町のパン屋のにおい、道のほこりのにおい、
すべて、私の感じたことのない、世界。

あなたも、誰かを、ガイドさんにして、
アイマスクをして、街を歩いてみて、ほら、ほら、

風の優しい、ふんわりとしたゆらぎと、
優しい町の香りが、いっぱいで、

心がゆらりんと、暖かくなります。

芸能界の真実。

2012-11-09 | 日記
はっきり言って、普通の人はならない。
美人とは、かわいいという理由ではない。

何かに属する、まあそれは、知っている人も多いが、芸能という仕事は、昔は瓦乞食といわれ、さげすまれた仕事、身分も一番下の人がしていた。

いまでも、そのために地区の人が多い。
それから、普通の仕事にはつけない人、在日の人がその一人。

つまり、芸名と、通名と、民族名を持つ人が、ほとんどの世界。
それから、やくざとの絡みは、必ずある。

豪華の暮らしのように見えるが、それはそれで、すべて自由でないし、
差別があるから、本当の幸せを、感じているとは思えない。

民族名と、本当の国はかくして生きている。
そんな人々を、かわいいとか、きれいとかは言いたくない。

私は、どんなに儲けようが、何度生まれ変わっても、こういう世界。
芸能界などは、たぶんかかわらないと思う。

身分がどうのというよりも、人をだまして金儲けをする世界が、芸能界というところ。
私は、こういうたぶらかしの世界を、すきではないが、まあ暇なときテレビを見るから、必要性は、感じている。

しかし、そういう世界は、知らないほうがいいし、不幸になり自殺した人がいるのを案外知らないのは、おかしく思う。

偽りの世界は、楽しくないときでも、笑顔でいる。
私は彼らを、いつみても、うそつきな人々として、敬遠しているのだ。

悪い人は、幸せになれない?!

2012-11-09 | 日記
あの尼崎の女のように、悪い人は所詮しあわせになれない。
家族の愛が欲しいなら、どうして身内たちを殺したのだろう?

人間として、人を殺してまで、しあわせにいきたいものか?
でも、私は、●成で、悪い人々をたくさんみてきた。

人間不信になったのはそのためだ。
介護の現場を見て、私は本当に驚いた。

人間は人間らしく、介護するのではなく、動物にエサを与えるように人権無視。
その上に、死なない程度の介護。

それでも、介護されるほうは、ヘルパーなり、ケアマネなりの言いなりの人もいる。
しかし、それでは、殺されてしまうかもしれない。

私は、現実を見たのだ、介護会社の不正と、弱者の利用。
教会の同じようなやり方の、弱者の利用。

それもこれも、悪いやつの金儲けの方法でしかない、弱者たち。
私は、優しく接する人の心の裏を垣間見た。

悪いやつは、でも幸せになれない。
誰かに、この現実を知られている以上いつかは、あの女のように苦しむのだ。

介護会社の現実を見てから、私は人を利用する金儲けのために、そういう仕事はしたくないと。
これからも、金儲けの種にする悪いやつとは、接しないし、かかわりたくない。

それが、孤独であれ、現実は尼崎事件なんかより、恐ろしい。
法律に触れない程度に、弱者を利用して、殺している。

事件にならない、恐ろしい現実を見た。
人間不信は、もう治らないだろう。

でも、私はそういう現実を見たから、偽善者ではなく本当の優しい人間になりたいと感じた。
損や、徳ではなく、人間として、自分より弱いものを、いたわりたい、だから生きている。

人間はいつかはみんな、弱者になる。
それなのに、まったく、この世の中は、本当に弱いものを食い物にする奴が多すぎる。