女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

見わたり捜査(金玉姫)

2012-12-05 | 日記
捜査員は、サウナで仕事をしていた。
手配写真を頭に、叩き込んでいた捜査員はある男に気が付いた。

その男は、裸の体にものすごい特徴があるのだった。
男性の局部が、以上に小さく目立たないので、その部分が女のような特徴だった。

強盗事件を起こした犯人は、パチンコなどで昼間金儲けなどして、家を持たないで、
サウナや、ドヤ暮らしのようだった。

いつも、あたりの様子をうかがい、きょろきょろ落ち着かない様子と身体的特徴が、
まさに、犯人に違いなかった。

サウナにいた捜査員の仲間を、呼んで確認した。
間違いなく、犯人であり、裸なので、逃げることもできない状態だった。

「おい、●●さんだろう?!」警察手帳を見せながら言った。

「いや、違う」

「おまえまちがいないな?!」

「体の特徴がお前に間違いない、逮捕する?!」

犯人は、ややあきらめ気味に、つかまった。
サウナの中なので、逃げ場はなかった。

身体的な特徴を風呂場で見られているし、顔は整形しているものの、あそこまでは治してない。
もちろん、刑事もホモでもないので、たまたま見ただけなのだが、あそこが子供なみとは。

見わたり捜査は、大阪府警の得意とする捜査だった。
サウナ、パチンコ屋、三角公園、場外売り場、ありとあらゆるところにいる。

顔を覚える特技のある捜査員も、あそこまで覚えているとは、すごいとしか言いようがない。
大阪府警は、あなたのそばで、今日も見わたり捜査をしているのだ。

幻聴、幻覚(金玉姫)

2012-12-05 | 日記
いつも、聞こえる女の声と、男の声壁が薄いからなのか、
隣との壁の薄さは、わからないが、確かに女の声が、

「大嫌い?!」
「外人さん」

など、きこえるのだ、たぶん気にしすぎなのだと感じた。
しかし、幻覚なども見たのだ。

トイレに、知らないうちに、トイレットペーパーの芯が投げ捨ててあったり、
パソコンの画面が知らないうちに、割れていたり、ごみがとんでもないところに捨ててあったり、幻覚なのだろうか?!

そうならば、私はやばいかもしれない、どうして、幻覚など見てしまうのだ。
でも、パソコンは確かに壊れていたし、トイレにもいたずらが、ごみが捨ててあったり。

何を自分として、正しいのか、最近分からないのだ。
そして、幻聴が今も続いている。

訳の分からない女の声、それは壁に筒抜けで、男の声もする。
気にしていたらいけないのだが、こんなことで相談しても、わからないだろうから。

あきらめていたら、そのうちに、幻聴、幻覚らしきものはなくなるのだろうか。
なくなるわけもなく、病んで死んでゆくのだろうか?!

しかし、幻覚、幻聴、されるぐらいなら、いっそ隣の人に、殺されたらいいのだ。
そして、幻覚でいたずらされぐらいなら、いっそそいつに、消されたらいいのだ。

と考えたのだ。
弱い人間だから、いたずらされても、何を言われても信じてもらえないのはつらい。

しかし、幻聴とか幻覚は確かに、私にはおこってはいない。
人によるが、嫌がらせは必ずある、だから私はこの幻聴と幻覚にして、生きているが。

いつかは、仕返しをするために、生きている。
隣の人間は、たいてい悪魔と思って生きている、だって幻聴を起こさせる見た目と、気持ちの悪い声、確認したのだ、あのいたずら電話の相手も、隣の人だった。

今でも、ワン切りできる、おかしな人は、たいてい隣の人なのだ。


中村勘三郎さん死去

2012-12-05 | 日記
今日突然届いた訃報、57歳は惜しい年齢です。
この人は、中村勘九郎さんとして、私は知っていました。

歌舞伎の道に生まれ、歌舞伎の役者として死んだ人です。
さて、人は生まれながら、宿命というものがあり、運命に流されていきます。

この歌舞伎という世界は、特殊な世界で、ほかの世界で生きるのは難しいところです。
生まれながら、生きていく道が決まっている運命なのです。

どこか、地区の世界と似ていませんか、そうおなじなのです。
生まれながら、生きていく世界が決まってしまっている。

その世界から、逃れられない宿命と運命。
たまたま、華やかに見えるけれど、親から代々続いていく仕事を継いでゆく、の仕事と同じなのです。

でも、差別とかいうものは、感じられませんし、生き生きと楽しく生きているように見えます。
しかし、どうなんでしょうか、太鼓屋に生まれたら、太鼓屋でおわる。

なんか、運命の切なさと、はかなさと、かなしさをかんじてしまうのです。
地区においての、差別は今でもあるのです。

そして地区の人は言いました。
「歌舞伎役者も、おなじなんだよ?!」

外の人を、怖い人と教えて、自分たちの子供たちを守る。
差別を恐れて、生きる、これは現代の矛盾であり、どうしょうもない貴賤です。

職業に貴賤なしは、建前で、やはり人を見下げる人はたくさんいます。
そんな世界で、生きるのはとてもつらいことで、幸せも少ないと感じました。

でも、立派に生き抜いた、勘三郎さんに心から拍手をおくりたい。
そして、現代に残る差別がなくなり、みんなが幸せになるのを祈りたい。

ご冥福を祈ります。

お疲れ様でした。