"頭痛の種"と言うと本当の頭痛ではなくて頭痛になるほどの悩みであるとか困り事、または負荷のようなものを指すけれども、マレーシアでもそう言う言い方は同じらしい。仕事で解決の難しいいろいろな問題が発生したり次から次へと負荷のかかる仕事がやってきたりする場合にそれを頭痛と表現する。もちろんマレーシアだって英語圏であるとも言えるのだから欧米から入ってきた言い方を真似しているのだろうけれども。
英語で"ヘッド・エイク"と言うと本当の頭痛でもあり仕事上の負荷でもあるけれど、マレー語で"サキッ・クパラ"だと肉体的な頭痛の意味でしか聞いた事がない。やはり英語圏の表現を使っているのかと思われる。
肉体的な頭痛であればこれはもう薬、休む、医者しか解決の手段は無いが、解決の付かない問題での頭痛についてはどうだろう。
まず、してみると良いのが散歩だ。自転車を漕ぐのでもOK。何か集中しなくてもできる軽い運動は想像力が働きアイデアを思いつくには最適のような気がしている。図書館で本を読んでは考える。そして自転車で家に帰るなどの運動は最高に良い。足と脳味噌は繋がっているらしい。(そりゃそうだ、誰が見たって外見的には繋がっている。医者に診てもらうまでもない。)
いくら考えても何も出ないと言う事は多々ある。いつも同じところを思考がグルグル回ってしまうだけで何にもならない。そう言う時にはいくら考えても無駄だ。人は自分の頭脳を過信しているようなところがあって、特にアイデアなどは考えれば考えるだけ出てくるだろうと思っていたりする。自分は頭が良くないと言っても本音ではまだいくらか期待してみたいものだ。そうは言ってもなかなか上手くはいかない。
その点、欧米人は自分の頭の使い方さへも"技術"であると解釈するらしく、その手の本は多く出版されているし真面目にそれを手本にしたりもする。それが本当に有効かどうかはいろいろ議論の余地はあるのだけれども、その考え方にも一理あるなあとも思う。
アイデアが出ない場合には、考える事を変えてみるより、考える方法を変えてみる方が有効であるように思うからだ。例えば、友人との無駄話はとても良いアイデアの源泉であるし、他人の思考方法を真似るなり、興味の無い本を読んでみる、他人の選んだ本を見てみるなどは最高にエキサイティングな結果をもたらすことがある。(同じ意味で、学生に評判の悪い教師の言葉を真面目に聞いてみるなどもお勧めの方法だ。この世でこんなに有用な方法が他にあるだろうか。)
どうせいくら自分で良く考えたってその結果は今の自分の状態(経済状態、社会的地位、その他自分の求めるものとのギャップ)しか生み出してはいないのだ。だとしたら自分が何か間違っていると考える根拠はそれで十分なはずだ。それなら他人の考え方を拝借してもこれ以上悪い事はないはずだし、まして恥ずかしいことでも無い。このままの状態で沈んでいくよりはずっとマシだろう。
そう思えば頭痛がする位につまらない本を毎日のように読み続けるのも良い薬なのではないだろうか。その方法だって安藤忠雄氏が実際にやった方法でもあるわけだから。
頭痛に任せて何だかよくわからない文章を書いているようだ。
おやすみなさい。
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