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もんく [とある南端港街の住人になった人]

大阪・関西万博で建築家は敗退したのか?それとも敗退していたのか?

今日は大阪・関西万博の話題。(建築を主に)

とりあえずこの動画を観ていただきたいが、長いので下に概要メモを書いてある。
また、最初に言っておくと、自分は万博反対派でも賛成派でもない。・・・なかった。なぜなら興味が無かったから。この動画は建築仲間から紹介していただいて観た。



(更新)
スーパーザックリ要点
1) 万博開催、メンバー選定、各段階での意思決定プロセスが何も公表されておらず、また350億円の予算についても根拠が開示されていない。
2) 建設に適していない場所で行われているせい等で建設不可能、遅延、撤退が発生しているが、場所決定もプロセスが開示されていない。
3) 建築家が建築を行う考え方がおかしい。本来は原理を明らかにしそこから全てが発生するべきであるし、建築には批評性があるべきだが、見た目だけ他者参照して(パクリ)いるように見える。(リング)
4) 建築家の仕事は役所と住民の調停役でもあるが、そうした意識の無いままに建築が行われている。前記の決定プロセス不明瞭なままであることと併せて独裁的(2重の意味で)になっている懸念。しかも指揮者に責任感が無い無責任。


上記を大きく2つに分けて言うと
a) 維新の中で適当に物事を決められる体制であったことと、そもそも以前から日本の政治制度(慣習)がおかしいのが東京オリンピック含めて陰を落としている。市民の意見が政治もこうしたイベント開催にも反映されない「独裁」政治の様相。
b) 建築家が見た目の良いものを作るだけを目指すようになっている。(これは建築のあり方の議論) こうなったのは世代性や徒弟制度的であった建築界のあり様が変わってしまったことによる。


ここからは感想(番号は上の番号とは無関係)
1) 万博自体に何の興味も無かったので政治とその周辺での決定プロセスはノーマークだったが、オリンピックやそれ以外の多くの事案(例えば原発問題、高速道路や各種施設建設、制度他)に関して昔から何処かの料亭で決定されているというのは変わっていないと考える。たまたま今回は維新であっただけ。今の具体的な政治家のせいとも言えるが、それを許してきた我々のせいでもあるはず。
2) 建築論に関しては建築勉強すればここであげられたのと同様のことは勉強するが、結局議論しないとただの知識、それも使われない知識にしかならない。建築家になりたいと言っても建築家という職業は無く建築士となるだけだし、建築士になるには徒弟制度も議論も不要なので知識は知識のままになってしまうのは必然性があると考える。
3) 建築家は徒弟制度からしか生まれないと言うならば徒弟制度を一般のものとして普及させる努力は行われるべきだっただろうが、若手を育てる他のやり方が無かったかなどもこの時代の前に誰かが考えておくべきだったはず。すると問題はこの万博だけのことではないだろう。
4) 建築には批評性があるべきというのは一般にそうだし、正しいと考える。(天才除くかもしれない)けれど、閉じた国内で小さな家屋を建てることで生計を成り立たせなければ(つまり建築家でなくて建築士)ならない者は批評性を捨ててLDKでやらなければならないと想像する。大先輩、先輩建築家飲み歩いたり殴り合いする輪に入れないなら国際コンペにどんどん出すことでもしないと批評に耐えられるデザインはできないかもしれない。けれど現実には資格取り学位取りの場以上のものでは無いのでは?


5) このシンポジウムの議論と万博内の個別デザインの議論は分離すべきではないだろうか?森山氏は日経の記事(つまり建設前中の断片情報)だけ元にして批判しているが、理解せぬままに言うのはどうかと思う。
6) シンポジウムと言ってもこちらも居酒屋での話から始まったようなもの。なのでこの動画だけ観ているのは情報の非対称性を増加させることになり、また分断を促進する危険も含む。安藤忠雄なども読んで議論する形の方が好ましいが、無理だろう。


7)(各論)建築というのは原理、根源のようなものを探し出すこととそれを適用して表現するというのはわかる。日本の建築にそうした姿勢が希薄というのもわかる。ただ、日本で行う建築に西洋の根源を適用すべきかどうかというのもあり、そうでないとした場合に日本における根源とは何かという議論がどれだけ深まっているか?というとここは手薄ではないだろうか?公共建築物だから神社の構造を適用するような安易な発想は建築全体での議論の薄さの現れとは言えないだろうか?(LDKの方が手っ取り早くお金になる国でで何ができる?)


建築家の敗退も万博の迷走も歴史の必然のようにも思える。



追記
実はこれに先立って、例の石を吊った休憩所の件に関して別のところに書いた。こちらは万博全体についてではなく、しかも石吊りの構造にも触れず、ただ外見上のデザインについてのもの。建築は総合的なものなので、構造その他と体験分離して評価することも可能だから。

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