昨日は広島に原爆が投下された日だった。
日本という国としての太平洋戦争の記憶は徐々に薄れつつある。戦争体験者は減っているしあまり話題にもならなくなっている。自分も戦後生まれであるし、実際の体験談をほとんど聞いたことがない。社会の授業で戦争があったことは知っているし、日本は永久に戦争を放棄した国だとも習った。
けれど、結局のところそこで止まっている。その後はテレビで戦争は悲惨なものであり、多くの人が怪我したり死んだりしてしまう。もうあのような事は起きてはならないと繰り返し聞いた。これは他人を傷つけたり殺したりしてはいけないというのと同じレベルの考え。
ここで止まっている戦争を体験していない我々は自分よりさらに若い世代に対して戦争はすべきでないというのをちゃんと伝えることができない。他人を殺すのはいけない。戦争になるとたくさんの人が死ぬ。だからしてはいけない。そんな当たり前の言葉のどこに説得力があるのか? 無い。そんなの言われなくてもわかるよ、と言われてしまう。
そのうち(もう来ているが)、それなら隣国が攻めてきたら戦わないのか?もし隣国とアメリカが戦闘状態になったとしても黙って見ているだけなのか?と言う者が出てくる。そして軍隊を持たないで国がどうなっても良いのか?とも言う。それなら戦争はしないという意味は何だったのか?あれは愚かな決断と行為だったと考えたあれは空想のようなものだったのかとだんだんと薄れてきて、特攻隊で死んでいった人たちがいたから今の日本があるとか、あの戦争は欧米の植民地主義からアジアを解放するものだったとか良い始める者が出てくる。すると戦争はいけない、永久にもうしないという考えは無意味なのじゃないかとなってくる。
そうなったのは我々があのポイントで停止してそこから何も咀嚼して考えを進めていないからだと言えないか?戦争をすべきでないのは単に人を殺してはならない、あの悲惨な思いを次の世代にさせてはならないからで止まっているからだろう。
もっと根本の原理のところまで進めて考えないと言えもしないし伝えることもできはしない。それって何かと言うとやはり人権だ。人の生きる権利をどんな大義名分があろうとも侵害してはいけない。だから戦争に是が非でも勝たなければならないからと言って、爆弾に人を括り付けて発射するような戦術は行うべきでない。また広範囲に人を殺す爆弾を落として勝利を決定付けようとする戦法も同じだし、勝手に敵として指定した民族などを片っ端から投獄や処刑したりするのも全く同じだし、自国民と他国民の生命を秤にかけて重み付けするのもそもそも間違いだ。
そう考えれば聖なる戦いなどないし、正しい戦争もあり得ない。