長崎の坂本龍馬像
土佐のくじらです。
日本の夏。
それはどこか、過去への郷愁を秘めていると感じるのは私だけでしょうか?
夏休みがあり、子供たちが無邪気に遊ぶ夏。
お盆もあり、久しぶりに家族が集う夏。
そしてかつて、戦争が終わった夏。
日本人にとっての夏とは、過去への慙愧(ざんき)の思いと、希望と開放感が入り混じる、複雑な季節なのかも知れません。
今月8月9日は、長崎に原爆が落された日です。
私は仕事で当日のニュース報道が見れておりませんが、長崎では平和の集いが開かれたのでしょうか?
そこでは通年の如く、女子学生らによる、平和への論考が読み上げられたのでしょうか?
最近は被爆地長崎ですら、若い世代への原爆への関心が、薄れてきているとお聞きしております。
しかしそれは、致し方ないのかも知れません。
なぜならば、被爆地である広島や長崎には、ただ平和を唱え、日本の過去を断罪するだけでは、その歴史的使命は果たせないことは、地元にいらっしゃる方こそ、深く認識なさっているのではないかと思うのです。
平和を願うだけで、平和だった時代は、もう終わっているからです。
日本本土の、最西端(西の国境)にある長崎。
日本の国際人のさきがけであった、坂本龍馬先生が拠点を構えた長崎。
その長崎に暮らす人々の本心は、「これで、いいはずはない」と思っていらっしゃると思うのです。
今の状況下において、日本が現実に平和を続けるためには、平和にいたるための要因を創り出していく努力が、要求される時代となっているのです。
先の大戦における、日本がしなければならない反省の大きなポイントとして、
「地政学的に、東アジア全体が平和でなければ、日本は平和でいられない。」ということがあると思うのです。
その条件に対して、国際的なパワーバランスが、急速に崩れてきているのです。
超大国アメリカの没落が目に見えて顕著となり、共産主義の中国が、急速に軍事的脅威を増しているからです。
日本はその中で、国の自由と未来を賭けて主体的に判断し、それを実現できるだけの力を、現実的に持たなければなりません。
でなければ、日本の地理的条件であれば、2つの大国に翻弄され続けるか、いずれかに飲み込まれるかの、どちらか一つの選択を、絶対にしなければなりません。
日本がそういう未来で、本当に良いのか・・・ということです。
戦後これまで続けてきた、祈るだけ、願うだけの平和活動では、未来は必ずそうなります。
私は子や孫が暮らす日本が、自由で豊かで幸福で、世界に善き影響力を与えていける国であって欲しいと願っています。
被爆地長崎に像の建つ、郷土の英雄坂本龍馬先生の瞳には、何が映っているのでしょうか。
龍馬先生が、今の時代を見たならば、国民一人一人に、熱く何を語りかけるでしょうか。
戦後70周年の夏、それは日本が誇りを取り戻す最後のチャンスです。
80周年では、先の大戦は、確実に歴史の一コマとなっているからです。
終戦記念日に発表されると言われている安倍談話。
それは、日本の未来の道筋を決める、重要なメッセージとなります。
日本の未来に生まれ生くる子供たちに、美しき心を持った先祖のことを、誇れる国を残したいと願います。
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