ラストのシーンです
キャミソールワンピがとてもセクシー
インディーズ映画の「ビフォア」シリーズには
24時間以内の出来事という共通したフォーマットがある
長セリフも多くドキュメンタリータッチに描かれているこの作品には
擽られるものが多い
たくさんの会話を愉しめる相手というのは
「voice」のケミストリーがよいからだと思う
それが、たとえ喧嘩でもね
9年後に「ビフォア」の続きを是非とも期待したい
不規則なリズムを刻む足音が聞こえた
その音の距離は近づくことはなく
消えそうなくらいに微かな音となってゆく
それでも完全に消えない足音に振り返った
お船でここに来たと話す足音の主は
「だちかん」という言葉をよく使う
耳を近づけて一語一語丁寧に拾ってみるが
やっぱり「だちかん」としか聞こえてこない
話の内容からすると「ダメだ」のような意味を持つようだ
白いページが現れると読み終えたという安堵感からかホッとする
だからなのか余白は多ければ多いほどよいと思っている
わたしの場合、そこと幸福観が比例するようだ(笑)
若いころ(ココ大事)わたしは三軒茶屋に住んでいて
半蔵門線で九段下まで通勤していた
本が読める状況であればいつでも開いた
通勤の途中で読み終えてしまったことがあって
なんの気なしにページをめくり読んだのが初めての「あとがき」だった
当時のわたしは「はじめに」や「解説」だとか「あとがき」というものをとても軽視していた
それと、正直に言えば単行本より文庫本もそんなふうに思っていたところがある
でも、それは違った大違いだった
家に帰ってありったけの単行本を左から開いてみる
すぐに見つかりそうなそれが見当たらない
文庫本にあって単行本にはない理由を知りたい
だから次の日、本屋に行って尋ねた
なんでも知っていそうな顔つきの店員さんが言うには
「質問のとおり」というとても簡単なものだった
あとがきは文庫本にあって単行本にはないというものではなく
著者と編集者の考え次第ということです
大抵の本の総ページは16の倍数というから
ページ上の都合ともいわれている
どんな本でもまず「あとがき」を読むことにしている
タイトルや表紙に魅かれて手にする本は
余計にそこが大事で
それ次第では元あった場所にあっさり置かれてしまう本もあるわけです
その中でも「あとがき」に甚く感動してしまい
読んだ気になっていた
いや、読まなくても満足してしまっていた本がある
たとえば悲しみを通過するとき、
それがどんなにふいうちの悲しみであろうと
その人には、
たぶん、
号泣する準備ができていた。
喪失するためには所有が必要で
すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。
そして、
それは確かにそこにあったのだと思う
(抜粋)
途中から半ベソで読んでるわけじゃない
泣きそうなのを我慢して読みすすめてるわけでもない
それなのに、最後の一行を読み終えると
ポロポロ涙が頬をつたうんよ
すごろくに例えるなら
「1回休み」ならまだしも
「振り出しにもどる」ってキツイね
抜け出せそうで抜け出せない
人生のすごろくにも欠かせないアイテムなのでしょうか
凹んでます(泣)
あれほど慎重だったのに起きてしまいました
起こしてしまいました
救いなのは仕事のミスとかではなくて
わたし自身のこと
わたしのばかっ(泣)
Dry Town ~Theme of Zero~