一般の人が考える内向型というのは、引っ込み思案で人付き合いが苦手、という暗いイメージ、逆に外向型は、社交的で積極性があり明るいイメージというように、内向型の方が不利な点はかなりあるように思えます。
外向型人間は社会や人との付き合いなど、外側の世界を中心に意識を向けるのに対し、内向型人間は自分の内面など内側の世界に意識が向きやすい傾向にありますね。そのためどうしても内にこもりがちで悩みやすく、社会適応が思うようにできなかったりするようです。
一般社会では、外向型人間が中心に動いていますから、内向型の人は、無理して外向型の人に合わせていくか、完全に孤立してしまうか、いずれかの場合が多いように見受けられます。
かくいう私は、れっきとした内向型だと自認しています。旅に出たり大勢でワイワイと飲みに行ったりアウトドアレジャーを楽しむより、家の中で本を読んだり近所を散歩したりして過ごす時間に幸せを感じます。
大勢の人達が集まる場というのも苦手です。そもそも私はお酒が飲めませんし、たくさんの人が集まるような飲み会などにも、積極的には参加しませんでした。
付き合いが悪いと出世にも響きやすい社会でしたが、出世とは無関係な世界で仕事をしていた私は、そのことによって特に不利になることがなかったのは幸いです(。-_-。)
内向型は内向型を呼ぶのか、私の周囲にも昔から内向型が多いように感じられます。内向型というのは、自分と同じ内向型の人間とは比較的心を許せることが多いので、一緒にいて楽なのです。付き合うからには、一人一人と濃い付き合いをしていきたいと考えますから、友達の数は少ないですが。
付き合いが悪いと出世にも響きやすい社会でしたが、出世とは無関係な世界で仕事をしていた私は、そのことによって特に不利になることがなかったのは幸いです(。-_-。)
内向型は内向型を呼ぶのか、私の周囲にも昔から内向型が多いように感じられます。内向型というのは、自分と同じ内向型の人間とは比較的心を許せることが多いので、一緒にいて楽なのです。付き合うからには、一人一人と濃い付き合いをしていきたいと考えますから、友達の数は少ないですが。
内向型は洞察力がありとても感性豊かで、魅力的な個性を持った人種なのですが、なかなか自分に自信を持てず悩みやすい傾向にあるように思います。
内向型の人が悩んでしまう要因として私は、外向型に対するコンプレックスのようなものもあると感じています。少数派である内向型は、外向型人間中心の社会にあっては肩身の狭い思いをしがちです。
内向型の人が悩んでしまう要因として私は、外向型に対するコンプレックスのようなものもあると感じています。少数派である内向型は、外向型人間中心の社会にあっては肩身の狭い思いをしがちです。
たとえば、「私はみんなと同じように人付き合いがうまくできない」とか、「みんなの会話に自然に入っていけない」とか、「みんなと同じようなノリで行動できない」とか。
要するに、みんなと違う自分を否定しようとする気持ちばかりが膨らんでしまうのです。
でも、内向型の人は外向型の人よりある特定の面では深い知識をたくさん持っていたり、ユニークな感性をしていたり、知れば知るほど味わい深い人種だと思います。
でも、内向型の人は外向型の人よりある特定の面では深い知識をたくさん持っていたり、ユニークな感性をしていたり、知れば知るほど味わい深い人種だと思います。
ただし、多数派を占める外向型は、一瞬にして人の内面まで見抜くことは難しいでしょう。とりあえずそつなく接することができる、同様の外向型人間を求めてしまうのです。
外向型中心のこのような現実社会においては、内向型が疎外感を抱いてしまうのは当然と言えば当然なんですね。だからといって内向型は、このまま肩身の狭い思いを続けていていいわけではないと、私はずっと思っています。
外向型中心のこのような現実社会においては、内向型が疎外感を抱いてしまうのは当然と言えば当然なんですね。だからといって内向型は、このまま肩身の狭い思いを続けていていいわけではないと、私はずっと思っています。
コロナの影響により、人と密に接する機会が減らされていること自体は、ある意味、内向型人間にとっては、楽な面もあるのでしないでしょうか。
コロナ終息後もたぶん、リモートでの仕事スタイルは定着するだろうし、付き合いだけで参加させられる、職場の飲み会なども減っていくのではないでしょうか。
人付き合いが減ることは、内向型にとっては楽なことですが、生きている以上、人との関わりはやはり大事。信頼できる大切な人との関係は、たとえ数は少なくても、しっかりつないでいくべきだとは思います( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )