パークチャンネル

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【横須賀】うみかぜの路 米海軍横須賀基地 めだかの学校 動画紹介は「神奈川県への旅2020 その1」

2020-04-26 09:41:00 | 旅行
みなさんこんにちは☀️
いつもの通り、まずは動画のご紹介

先日、ブログに出しました神奈川県に行ったのを動画にしました。昨年に引き続きの「神奈川県への旅」です。
その1は富山駅から、今年開業5周年を迎えました北陸新幹線に乗ります。
YouTubeの方は撮りためた物を順次公開の予定ですが、新たなネタが無く、このままでは尽きてしまいますので、週1の公開と変更させていただきました。

というわけで
↓ココ↓からブログとなります🎵

前回行きました「ドブ板通り」を後にしまして、もう少し歩きます。

海の方に向かって歩いていると「三笠公園」と書いた大きなアーチ状の看板?がありました。

通りの信号には「三笠公園入口」とありました。

ここをまっすぐ行くと「米海軍横須賀基地」です。
わかりにくいですが、写真の青い車(日産セレナ)のナンバーには「Y」とあります。
以前まで私「Y」の意味を「ヤンキー」だと思い込んでおりました😅

とりあえず、アルファベットのナンバーは米軍関係者の車両ということです。

ナンバーに書かれているアルファベットには次の理由があるそうです。
・Y(日本国内で調達された個人所有車)
・E(非課税車両)
・T(本国から持ち込んだ個人所有車)
・A(オートバイ・軽自動車)

基地の入口横には大きな船のアンカー(錨)が

アンカーについての説明が無かったので不明😵

米海軍前で右折し綺麗に整備された歩道を歩きます。
車止めに使用してあるのは、本物かどうだかわかりませんが、船を係留するため岸壁に設置してある「ビット」や「ボラード」

曲がってるのがビットで垂直なのがボラードです。

歩道横の柱に「うみかぜの路」とあります。
歴史とショッピングの路とも
また、緑と海の10000mとあります。
10kmは結構な距離ですね。

調べてみると「うみかぜの路」はJR横須賀駅から観音埼灯台まで続いているそうです。
※観音埼灯台は日本最初の洋式灯台としてヴェルニー氏(以前ヴェルニー公園で話しました)により1869年に建設されたそうです。

知らないうちに横須賀駅から「うみかぜの路」を歩いていたのですね☺️

通りにあった「神奈川歯科大学附属病院」前の桜


歩道にそびえる帆船のマスト?

池のような所に帆船っぽい物が、、、

1984年(昭和59年)に、ここ横須賀で完成した航海練習船「日本丸(2代目)」それを記念して実船の一部を1/3の縮尺で再現したモニュメントだそうです。

初代の日本丸は現在、ランドマークタワー前の日本丸メモリアルパークで保存されています。

ここにも見事な桜が🌸


🌸桜の
下には童謡「めだかの学校」の歌碑があります。

作詞家の「茶木滋」氏が横須賀市汐入出身とのことでした。

というわけで、今回はここまで
次回は、うみかぜの路をもう少し進んで「戦艦 三笠」を見たいと思います。


先の見えない、大変な日々が続いておりますが、身体に気を付けて、みんなで元気に未来に向かいましょう🎵


 神は人に乗り越えられない試練は与えてはいませんから

【横須賀】どぶ板通り 動画紹介は「鱒の寿司食べ比べ その3」

2020-04-21 21:23:00 | 旅行
毎度の事ですが、まずは動画のご紹介😅
今年から始めた富山名物の鱒の寿司食べ比べ
今回も前回同様、富山地方鉄道グルメクーポン付切符で巡ってきました。
長男と行ったので、鱒の寿司だけにおさまらず、大きなハンバーガーやステーキもいただきました🎵

↑ぜひ↑見てくださいね🎵

※動画の方は昨年末に収録。
ブログの方は3月に撮影したものとなっています。YouTube「パーク旅行チャンネル」では、現在、新たな撮影を伴う外出は自粛中でしております。

というわけで
↓ココ↓から【神奈川旅】の続きです。
3月22日に行ったヴェルニー公園でも、いろんなイベントが中止と掲示されておりました。

私の地元、富山では、この頃はまだ感染者が出ておりませんでしたので、この看板を見た時は「大変やな~」と、少し他人事で「マスクして気を付けてれば」程度に考えておりました😵

ヴェルニー公園の横には、何やら見覚えのある建物が、、、
確か元イオンでした。
追浜から一番近い大きなイオン(一応、金沢八景にもありますが、小さい)だったので、何度か行っていましたが、昨年、閉店しちゃいました。
ですが、4月下旬には新たなショピングモールとなって生まれ変わるようです。(今調べたら、開店延期だそうです)

私の地元的にはイオンが閉店しちゃうなんて考えられないし、これくらいの店舗が閉店して、こんなに早くリニューアルするなんて考えられない話だし
富山なら下手したら心霊スポットとして人気になるくらいかな😅

ドブ板通りまでは歩いて向かいます。


見えにくいですが写真左側には「MIKASA CAFE」が見えます。
ここには以前行ったことがあります。
確かカフェと横須賀土産が買えたはずです。
というか、この辺りには「MIKASA」と付く店名が多いです。
バーや床屋さん等々😅

「MIKASA CAFE」向かいのビル下に「旧海軍下士官兵集会所」の石碑がありました。

集会所には、宿舎、浴室、食堂、売店、相撲場、柔剣道場、劇場等もあり、多くの軍人やその家族が利用したそうです。
戦後は駐留軍のEMクラブとして使用されていました。

「ドブ板通り」に到着


「延命地蔵尊」

ドブ板通りには、高校生の時と2年前来たことがあり、今回3度目ですが「延命地蔵尊」の存在には今回初めて気が付きました😅

このあたり一帯は昔、海に突き出した険しい地形で、交通路といえばわずかに山すそをぬって造られた細い道だけがだったようです。そのため、この付近に下町と結ぶ素掘りのトンネルが造られました。
ところが、このトンネルは祖末で不完全なものだったことから、出水や地震なのによってたびたび落盤事故を起こし、通行人の間から多くのけが人を出したといいます。
 そこでこのあたりの有志の方々の発願によってトンネルの入り口にあたる場所に地蔵を祭り、通行の安全祈念することになったのだそうです。←ドブ板通り商店街HPより

これも今回初めて気が付きました😅
横須賀になじみの深い有名人の手形レリーフがあるそうです🎵

上記の写真で金色に光っているのが新規に追加されたレリーフ
のこと


写真左側のレリーフは「雪村いずみ」氏
歌手であり女優だそうで
紅白歌合戦にも10回の出場ということで
名前は確かに聞き覚えがありましたが、、、😅
美空ひばり・江利チエミと共に初代三人娘として人気者でした。
横須賀との縁はWikipedia等でもはっきりとわかりませんでしたが、高校生の頃、進駐軍相手に歌うアルバイトもしていたそうで、その時、横須賀との縁があったのでしょうか。

右側のレリーフは「MALTA」氏
有名なジャズ サックス奏者です。
実は私、若い頃サックスやってまして😉
何度かステージにたたせていただいた事がありました😅
MALTA氏についても横須賀との縁はよくわかりませんでした😅


この手形は「原伸夫」氏
富山市出身の有名人ですからよく知ってます。
原信夫とシャープス・アンド・フラッツの原伸夫です。
紅白歌合戦では長い間、演奏していました。
美空ひばりの「真赤な太陽」の作曲したことでも有名ですね。

やはり横須賀との関係は微妙な感じですが、終戦まで大日本帝國海軍軍楽隊で活動しており、また在日アメリカ合集国軍のクラブでもジャズマンとして活動していたことから、横須賀と関わっているのかな?と思います。

今回は早朝ということで、ほぼ誰もいませんが、ドブ板は昔から平日なら人はまばらな印象(あくまでも私のイメージ)ですね。夕方以降だと米兵の方も増えるので、違った雰囲気になりますが、、、

そんなこんなで「ドブ板通り」でした。

ご覧いただきありがとうございました🎵

横須賀港「ヴェルニー公園」その2 動画紹介は「天橋立」

2020-04-16 11:00:00 | 旅行
今回は前回の続き
「ヴェルニー公園」となりますが、、、
毎度恒例の⁉️動画紹介🎵
先日公開しました動画は
【京都観光】日本三景「天橋立」天空の龍が降臨する「飛龍観」「銘菓 智恵の餅」 KYOTO by the sea AMANOHASHIDATE

↑どうぞ見てやってください🎵↑

というわけで前回の続き
横須賀ヴェルニー公園です。

公園の中程に2つの銅像がありました。

一つ目の銅像は「小栗上野介忠順(うえのこうのすけただまさ)」氏(1827~1868)

日本初の遣米使節をつとめ、外国奉行や勘定奉行など徳川幕府末期の要職を歴任し、フランスの支援のもと横須賀製鉄所(造船所)の建設を推進しました。
軍政の改革、フランス語学校の設立など日本の近代化に大きく貢献しましたが、大政奉還後に徹底抗戦を主張したため役職をとかれ、領地の上田国権田村(群馬県倉渕村)で官軍により斬首されました。

次の銅像は、この公園の名前にもなっている
「フランソワ・レオンス・ヴェルニー」氏(1837~1908)

フランス人の造船技師で、海軍増強を目指した徳川幕府の要請により横須賀製鉄所(造船所)の責任者として1865年来日。
明治維新後も引き続きその建設と運営の任にあたり、観音埼灯台や走水の水道の建設、レンガの製造の他、製鉄所内に技術学校を設けて、日本人技師の養成に努めるなど、造船以外に分野にも広く活躍し、1876年帰国しました。

ヴェルニー公園を進み、公園の南東端辺りに、いくつもの旧日本海軍関係の石碑群がありました
「海軍の碑」

海軍終息から50年という節目に当たる平成7年。明治以来太平洋戦争終結までこの地にあった日本海軍の歴史、並びに太平洋戦争において亡くなられた多くの人々を偲びつつ、またわが国の永遠の平和を希求するため、「海軍の碑建立委員会」によって建立されたそうです。


「軍艦山城の碑」

横須賀鎮守府菅下最初の超弩級戦艦として
1915年11日3日に進水、1917年3月31日就役。当時は世界最大の戦艦となりました。
ー軍艦山城の戦歴ー(碑に記載)
太平洋戦争勃発するや各地に転戦し、戦局の変化により悲惨な運命となった昭和19年10月捷第一号作戦において西村艦隊の旗艦として比島スリカオ海峡に突入し数倍に及ぶ米艦隊と激戦、集中砲火の的となり又魚雷艇及び駆逐艦の魚雷攻撃を受け、大破し沈没寸前まで前部放蕩からは間断のない砲撃が続けられたので有りましたが、悲愴にも力つきた。
 山城は乗員1600余名と共にスリカオ海峡の海底深く沈んでいった。時に昭和19年10月15日午前4時19分。
 ここに亡くなられた方々のご冥福をお祈り致し追悼慰霊祭を挙行し世界平和の願いをこめ、再び戦争の惨禍の起こることのないようにすることを決意し此の碑を建立する。
 謹書
 平成7年10月25日
 軍艦山城の碑建立委員会


「軍艦長門の碑」

太平洋戦争開戦時は連合艦隊旗艦として連合艦隊司令長官山本五十六大将が乗艦していました。
ー軍艦長門碑ー(碑に記載)
 ありし日の
 連合艦隊旗艦長門の姿を
 ここに留めて
 昭和激動の時代を
 偲ぶよすがとす
 政一書


「軍艦沖島(おきのしま)の碑」

沖島は、日本海軍初の大型機雷敷設艦でした。1942年(昭和17年)5月12日、米潜水艦の魚雷攻撃によりソロモン諸島で撃沈されました。
ー軍艦沖島の碑ー(碑に記載)
 原始
 海は生命の故郷であった
 その海に果て
 その海深く眠る
 戦友たちの御魂やすかれと
 いのちながらえしもの
 あい集い
 再び
 いくさあらすなと
 ねがうものなり

浮雲一片流北辰 何人不起望郷情
有時霊魂亦還家 夜半南星漂蒼海


「国威顕彰の碑」

軍艦の船橋を模した碑です。
説明などが書かれていたプレートがすべて剥がされており、詳細は不明でした。
 が、後から調べたところ、この碑は「国威顕彰記念塔」
昭和12年5月27日の海軍記念日に除幕されたもので、国際連盟脱退や軍縮条約廃棄という当時の社会情勢のなかで、海軍の偉業と意気を具象化したとのこと。
塔の上部には羽を広げた金鵄が取り付けられていたそうです。
おそらく軍国主義をイメージさせるとのことで何者かがプレートを剥がしたのでしょうね。


「正岡子規の句碑」

横須賀や只帆檣の冬木立 子規

ー正岡子規の文学碑ー(碑横説明より)
明治21年(1888年)8月、正岡子規は夏期休暇を利用して、友人とともに汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉に遊んだ。
 碑の句は、横須賀港内に連なる帆柱(ほばしら)の印象を詠んだもので、句集『寒山落木』に収録されている。

この碑群のある所は「さくらの広場」
桜も咲いておりました。

というわけで、ヴェルニー公園でした。


ご覧いただきありがとうございました🎵


横須賀港「ヴェルニー公園」その1 と動画紹介は「夜の道頓堀❗」

2020-04-10 22:04:00 | 旅行
いつもの通り
YouTubeで公開中の動画のご紹介から
前回に引き続き「道頓堀」
今回は夜の道頓堀でございます❗
↓ぜひ見てくださいね🎵↓


最近、YouTubeで旅動画を中心に公開しています「パーク旅行チャンネル」の活動も、新たなネタの為の撮影を自粛中でございます。
私の編集が遅すぎる為、現在公開しているのは約2ヶ月以上前に撮影したものとなっております。
ですが、そうであっても現在の世の流れから考えると、自粛で行ける訳もない先の旅動画を「見たい❗」と思っていただけるのか?というのが、、、
このままの流れで公開を続けるのか、過去に撮影した物だとしても、しばらく公開せず、自粛した方がいいのか悩んでおります。


と、前置きが長くなりましたが、前回、急に横須賀駅で降りてからの続きのブログとなります。↓
前回は予定外の横須賀駅で降りてしまって😁
「とりあえず、横須賀駅に到着した時の車窓の船の正体を見に行こう❗」ということで、船の停まっている辺りを探して歩いていたら、、、

何やら大きな大砲がある公園?にたどり着きました。


旧日本海軍の戦艦「陸奥」に、1936年ここ横須賀で搭載された全長約19メートル、重さ約100トンの主砲だそうです。
この主砲は長い間、東京の船の科学館に展示されていましたが2016年、この公園に移設されたとのこと
約80年ぶりに、この主砲は帰郷を果たした訳です。


ということで、横須賀駅に降りることになったきっかけの船を見つけました🎵

ヘリコプター搭載護衛艦「いずも」DDH-183
いずも型護衛艦の1番艦で、2番艦の「かが」と共に海上自衛隊史上最大の護衛艦。
全長:248m、満載排水量:26000トン
海外メディアではヘリ空母と呼ばれるが、海上自衛隊ではあくまでもヘリ搭載型護衛艦。
ですが、大きさは、太平洋戦争中の中型航空空母である「蒼龍」(全長:227.5m、満載排水量:20295トン)を上回っています。
この船(艦)が停まっている所は「海上自衛隊横須賀地方総監部」

わかりにくいですが「いずも」の右奥には最新型のイージス艦「まや」が停まっておりました。

で、この公園
周りの自衛艦や旧海軍の主砲等ありながら、おしゃれな洋風の公園となっています。

何の公園なんやろな~?と思いながら喫煙所で🚬一服してたら、灰皿の上に説明が😅

この公園が開園したのは1946年(昭和21年)
以前は臨海公園と言う名前だったそうです。
現在は横須賀製鉄所の建設に貢献したフランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーにちなんで「ヴェルニー公園」となったそうです。
そういう関係でフランス庭園様式を取り入れた公園となっているそうです。

あの船さえ見れれば満足して横須賀駅に戻るつもりでいましたが、いろいろと見応えがありそうな公園のようで、もう少し散策してみようかなと☺️

何やら変わった物がありました。
船の何かかな?

と思ったら
サイクルスタンドだそうで、、、

説明には「操舵輪型サイクルスタンド」と
日本の近代化の歴史は、ペリーの来航によって開国の道へ歩み出します。その象徴である黒船の操舵輪をイメージして、このサイクルスタンドは作られています。
だって、、、😅
操舵輪の後ろにある六分儀型ホルダーにタイヤをセットして、、、

ついでに
撮影以外の使用はお控えください
だと、、、😵

次の写真左側は米海軍第7艦隊の施設
クレーンのある辺りはドック
このドックはヴェルニーさんが設計した物だそうで、石造りのドックとしては日本最古。
現在でも米軍艦の修繕に使われているのだそうです。
また、写真左側の方には海上自衛隊第2潜水隊群指令部

Googleマップ見て思ったのですが、駐日米海軍施設の中に自衛隊の施設も混じってあるようです。
こういうのは横須賀だけなんかな?
わからないけど、密に連携が取れていると考えるか、敗戦国だからと思うか微妙な気持ちになりました。

この写真に見える船もGoogleマップによると米軍施設内のようなので米艦船ですね。


中央に見える船はタグボート(曳船)と思われます。
米軍施設の岸壁なので、米軍の物でしょうか?


中央右寄りには海上自衛隊の潜水艦2隻が係留されておりました。

というわけで、今回は偶然に行ったヴェルニー公園に行って在日米軍と海上自衛隊の微妙な雰囲気を見ることができました。
次回も、ここヴェルニー公園の続きとなります。

ご覧いただきありがとうございました🎵

【神奈川観光】久里浜駅から横須賀駅⁉️ 動画紹介は【大阪観光】昼の道頓堀❗

2020-04-05 20:05:00 | 旅行
まずは先日公開の動画から紹介させていただきます✨😌✨
【大阪観光】昼の大阪「道頓堀」たこ焼き「くくる」とんこつラーメン「一蘭」Street of Dotonbori | OSAKA

↑ぜひ見てくださいね🎵↑

というわけで、ここからが、今回の本題😅
前回は何となく「鎌倉に行こう❗」となって追浜から京急乗って京急久里浜駅にたどり着きました。
鎌倉に行くには、JR久里浜駅に移動しJR横須賀線に乗り換え鎌倉駅を目指します。
「JR久里浜駅」
JR久里浜駅の前には6分咲きくらいの🌸桜がありました。

ここで乗るのは千葉行 各停
久里浜駅始発で千葉まで行ける電車があるなんて❗とビックリです。
まあ、そんなところで、私がなんちゃって鉄道オタクだと言うことがバレてしまいます😅

写真ではわかりにくいですが、おそらく次発の反対側ホームに停まっている電車の女性運転手さん?車掌さん?がこの電車を見送ってくれています。

久里浜から6つ目の駅が鎌倉です。

地図で見るとこんな感じ
久里浜ー鎌倉は約30分ですが、、、

スタートした追浜と鎌倉の位置関係が↓こちら↓

無駄に遠回りしていますね😅

車窓を見ながら鎌倉を目指すわけですが、、、

横須賀駅に入った時、右側の車窓に大きな船が🚢見えました✨

今考えても何でかわかりませんが、久里浜から2つ目の横須賀駅で降りちゃった😁
🚢船が気になったからでしょう😅
ここまで乗ってきた「E217系 Y50編成」

古い、味のあるホームですね。
柱となっているのは使い古しのレール
ドイツ製で明治18年に輸入した物だそうです。

この横須賀駅は海軍関係施設へのアクセスや、物資輸送を行うため開業されました。
第二次世界大戦後も、しばらくの間アメリカ海軍横須賀基地への物資輸送の拠点、貨物駅としても機能しました。

1944年(昭和19年)4月1日:横須賀線が久里浜駅まで延伸するまで大船駅からの官設鉄道(現在の横須賀線)の終着駅でした。

「階段が一つもない平坦な、人にやさしい駅」として関東の駅百選に認定されているそうです🎵

1940年(昭和15年)に現在の駅舎に改築されました。

カモメとイカリのマークが付いた駅舎
港街 横須賀をイメージさせますね☺️

何となく降りた横須賀ですが、次回は先ほど車窓で見えた大きな🚢船の正体を見に行こうと思います😅

ご覧いただきありがとうございました🎵