ガンダムゲームの公式サイト「GUNDAM PERFECT GAMES」にて、7月17日~7月21日まで、映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」を無料で見られるキャンペーンが実施中です。
その場で、どなたでもご覧いただけます。同サイトの会員登録をする必要もありません。
私にとってはこれまで、『スーパーロボット大戦』を通じてしか知らなかった作品。
せっかくなので、最後まで見てみることにしました。
■====== 簡単なご紹介 ======■
「機動戦士ガンダム」シリーズの完結編として、1988年に公開された映画です。
地球人に絶望したシャア・アズナブルは、新生ネオ・ジオン軍の総帥となり、地球人を粛正すべく宣戦布告。それに対し、アムロ・レイやブライト艦長が所属する「ロンド・ベル隊」は、シャアの野望を阻止すべく戦いに挑みます。
アムロとシャア。長らく続いてきた二人の確執に、決着が付きます。
物語は、シャアが地球に惑星「フィフス・ルナ」を落下させようとするところから始まります。
■====== partygameの感想 ======■
ちなみに私は、他のガンダムシリーズのアニメは一切見ていません。本当にスパロボを通じての知識しかないので、あしからず。
あと、今回は「○」「△」「×」とか付けずに感想を書きます。ま、ちょっと実験的に、ということで。
◆== 物語の展開は早め ==◆
わりとこう、次から次へと場面が変わっていきますね。
単に風景だけ見せたりとか、ロボットを見せるだけって場面は少なく、常に誰かが画面に出ていて、だいたい誰かがしゃべっているって感じでしたね。
特に、戦闘シーンが少ない前半はその傾向が強く、見ようによっては少し素っ気なく感じるかもしれません。でも、理解できなくなるほど展開が早いわけではないので、個人的には問題なかったです。
◆== クェス・パラヤの存在感 ==◆
今作のみに登場した新キャラクターのなかで、やっぱりひときわ存在感を見せていたのが、クェスです。
最初は至って普通の少女として出てきたのが、最終的には大型モビルアーマーを操るネオジオンのニュータイプになるわけですから。ざっくりとした人物像は知っていただけに、最初は「ここから、どうやってあんなのになるのかな?」と少し興味を持ちました。
一言で言うと、「とことんまで子供っぽさを表現した」って感じでした。
大人から見た子供を、かなり極端な形で表現している…と言ったらいいのかな?乙女心が強く、嫉妬心が強く、感情を隠さず兵器で相手にぶつける。はたから見たら、それこそ子供らしい”うっとおしさ”を常に感じたと思います。
でもそれは、物語の後半で判明する”彼女が求めていたもの”によるところがあり、それを理解した後だと、彼女の不安定な感情にもなんとなく納得できたような気がしました。
個人的には、こういう子供っぽさ。確かにうっとおしいとは思うけど、嫌いじゃないです。「鉄のラインバレル」の主人公も、そんな感じでしたっけね。普通、子供ってこんなものです。ヒーローらしく環境にすぐ適応できてしまう子供のほうが、異常だと思うわけで。子供なら子供らしく、思いっきり戸惑うか、思いっきり暴れるか。とりあえずは、どっちかで良いと思います。
◆== 感情に動かされやすい人物たち ==◆
今作では、わりとモヤモヤした人間関係が描かれていたりします。
クェスはシャアを慕い、それらと近しい女性に嫉妬。ハサウェイはクェスに思いを馳せる。ギュネイもクェスに惹かれて、良いところを見せたいと意地を張る。アムロとチェーンも良い感じですし、ケーラとアストナージも良い感じですし。戦場という殺伐とした空間だからこそ、愛情に飢えているのかもしれませんね。
そのなかで、ある意味一番淡々としていたのが、シャア。
そのカリスマ性から、色々な人が尊敬をしたり思いを寄せたりするわけですが、当のシャアからしたら、あくまで思いのままに利用したいだけ。地球人に絶望したということが、シャアを”心の底から相手を好きになれない人物”にしたのかな~なんて思います。ま、過去の作品を見たら、また印象が変わるのかもしれませんが。
◆== アムロとシャアの「志向の違い」 ==◆
あくまで地球人を信じ続けるアムロと、地球人を信じることができなくなったシャア。
はたから見たら、アムロが正義でシャアが悪って感じに見えるかもしれませんが、正直、どちらが正しいとは言い切れないと思うんですよね。
今の時代だって、そうじゃないですか?
話し合いで良い方向に未来を導こうとする国もあれば、問答無用で襲撃する、あるいは襲撃される国もある。それこそ、アムロとシャアの違いですよね。
もっと言うなら、どんな理由があっても人の命は粗末にしてはいけない!という信念を持つのか?人の命を守り続けるなんて、単なる”きれいごと”でしかない!と斬り捨てる考えを持つのか。きっと、人によって支持する側は変わってくるんでしょうね。
そういった考えの対立を、分かりやすい形で取り上げたのが、今作だったように思います。
まあ、今となっては珍しいシナリオではないですが、これくらい直球のほうが良かったのかもしれませんね。何といったって、2時間しかないんですから。
◆== ほとんどの主要人物が死亡 ==◆
主要人物で無事に生き残るのって、ほんの2~3人くらい。他は、戦死もしくは行方不明になります。
なかには、あまりにもあっけなく死んでしまう主要人物もいて「え?死んだ?」ってなりました。長年シリーズに登場してきたらしい<ネタバレ注意!→>アストナージ<←ネタバレ注意!>ですら、その扱いだったことに驚き。
ただ、この”あっけなさ”こそ「戦争の残酷さ」を表現しているとも言えるのかな~と。
一歩間違えれば、死。それを表現するには、死をしっかりピックアップする場面と、死をあっけなく表現する場面のメリハリが必要だったのかもしれませんね。
…しかも、そうすることで作業効率は上がりますし(苦笑)
◆== 最後の「心の光」の表現 ==◆
物語の終盤、有名な”アクシズ落とし”に対して、アムロ1人で阻止しようとする場面があります。
そして最後には、サイコフレーム(簡単に言うと、想いの力を具現化する装置)にアムロだけでなく多くの思念が共鳴し、巨大な光が発生。アクシズを地球外へと押し戻すという表現がされています。
今だったらインターネットで調べたりできるので、簡単に納得はできるかもしれませんが、当時、映画を見ていた人には、この光はどう映ったんでしょうか?
見ようによっては感動できますし、見ようによっては強引に見えたかもしれません。捉え方次第でしょうね。
ちなみに私は、スパロボで同場面を何度も見てきたので、「お~、これが例の場面か」って思っただけでした(苦笑)
■====== まとめ ======■
感情表現を中心に構成されているって感じで、2時間という短い時間のなかでは、そこそこまとまった内容になっていたのかな~と思います。
細かいところまで表現しようとすると、2時間に収まらない。2時間に収めようとして、伝えたいことが伝わらない。無理する映画って、だいたいこんなことになりがちです。
それに対して、この映画は「ちゃんと表現するべきところ」と「見る人の想像に任せるところ」を、わりと上手いこと分けることができていたんじゃないでしょうか。
こうなってくると後は、見た人の想像力によって、感想が変わってくるのかな~なんて思います。
単に、見たままを感想にするのであれば「物足りない」とか「クェスがうざかった」とか「終わり方が強引」とか、そんな感想に鳴っちゃう気がします。
しかし、そこから一歩深く考えてみると、色々な想像ができて楽しくなる。ようは、想像できる人ほど楽しめる映画だったのかもね?って感じました。かといって、想像させようとする言動や場面は色々あったと思うので、決して”丸投げ”って感じではなかったと思います。
私は、スパロボや「ガンダムウォー」で中途半端な知識だけは持っていたので、要所要所で見覚えや聞き覚えのある場面には敏感に反応。どちらかというと、その点を楽しんでいたって感じです。なんか、ちょっと違いますね(苦笑)
ある程度知っていたからこそ、全体の流れもそれとなく理解できましたし、想像もできましたが、それゆえに感動は少なかったかもしれません。全く知らない状態で見たら、どうだったんだろうな~なんて思いますが、それを知る由はありません。
とはいえ、ガンダムに限らずアニメをほとんど見たことがない私が、最後まで見ることはできたので。それだけの内容はあったんじゃないでしょうかね。
何せ、1988年。26年前の作品ですからね。いま見てもわりといけるって、凄いことだと思います。
夏休みの大サービス。無料で見れるのは7月21日までなので、これを機にアムロとシャアの最後の戦いを、どうぞご覧ください。
映画ではなくHi-νガンダムやナイチンゲールの初出になる小説版ベルトーチカ・チルドレンの漫画化で大分変わって来ると思います。 ナイチンゲールのガンプラに合わせてのようです。
逆転のシャアその後もガンダムUC、閃光のハサウェイを見て大分影響与えているという印象が。
それとガンダムビルドファイターズの続編とジ・オリジンのアニメ化そして富野監督の新作Gのレコンギスタが発表されてます。