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義父のこと

2016年07月30日 | 日記
前回お盆休みの記事を書いたばかりですが、
また休講のお知らせになります。

既に会員の皆さまにはメールでお知らせしておりますが、

私の義父が他界致しました。

7/28(木)~8/3(水)までお休みを頂いております。

振替の日程につきましては、
7/28(木)→11/3(木)、7/29(金)→11/4(金)
8/1(月)→10/10(月)、8/2(火)→8/16(火)、8/3(水)→8/17(水)
を予定しております。


日本は超高齢化時代、中野区では葬儀場も火葬場も混んでいるという
お話しはよく聞いておりましたが、東京郊外でも例にもれず、
すぐには葬儀を行うことが出来ません。
ただ今は、色々準備をしながら葬儀を待っているところです。

義父は8歳の時、父親を事故で無くし、納豆売りをして家計を助け、
さらに幼い2人の妹と母親を支えました。
中学受験を勧められ、受験して昼間は働き、夜都電に乗って通学したそうです。
その通学路を鮮明に覚えていて、○○番の停留所から○○番で乗り換えて、、、
と、懐かしそうに大好きな日本酒を飲みながら話してくれました。
授業の合間の休憩時にも同じような地名が出てくるので、
私も不思議と知っているような気になります。
そして、専門学校、大学に入ったばかりの頃には戦争で徴兵されたそうです。
戦争の時の理不尽な話も沢山伺いました。
その後、朝日新聞社に入社し、新聞の印刷に長年携わりました。
定年退職後は日刊スポーツ新聞社で嘱託職員として働いており、
この頃に私は初めてお会いした事になります。

朝日新聞社時代、若いころは会社から学校に通わせてもらったそうです。
夜勤の仕事も多く、泊りの日はどうやら会社の給湯室?のようなところで、
簡単なおつまみを作っていたようです。
ものすごくお料理が上手で、どうしてそんなに上手なのか質問した時に
そう教えてもらいました。

結婚してこのかた、私はおせち料理を作った事がありません。
なぜなら、義父母に作ってもらっていたからです。
文字通り、大晦日の日にお重をもって一駅隣に住む義父宅に
もらいに行きました。

自分はあまり食べないのに、毎週末集まる子供や孫達の為に
沢山の美味しい料理を作って待っていて下さいました。
カメラが好きで毎年みんなで出かける旅行やキャンプではいつもカメラマンでした。

抗がん剤の効力だけではないと思いますが、
体調を尋ねても、痛いとか気持ち悪いとか、
義父の口から一度も聞いた事がありませんでした。
ただ眠いだけと、ここ半年位は寝ている時間の方が多くなっていましたが、
帰宅する際に声をかけると、パッと目を開けてにっこり
「じゃあ、気をつけて」と声をかけて下さいました。
リベラルな方で、仕事を続けてきた私の生き方も尊重して下さいました。

27日夕方、お風呂に入っていた義父に義母が「大丈夫?」と
声をかけたら、いつものようににっこり笑って
「大丈夫だよ。」
と、答えたそうです。これが最後の義父の言葉でした。

人に迷惑をかけるのが大嫌いな義父でしたが、
いつものように一人でさっさと、、逝ってしまいました。
恩返しも不十分なままに、、、

心から尊敬できる義父です。
至らないところばかりで、
義父にすれば、ほんとにどうしようもない嫁だったと思いますが、
私にとっては幸せな時間でした。

本当にありがとうございました。



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