チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「Q=9.11/村上春樹『1Q84』/読まずに夏の読書感想文」

2010年08月02日 00時03分00秒 | 暗号ノ米マデイッテテブチキラル
googleの1か月以内検索をしてたら、
それぞれ別に見てたものを誤って二つの語をいっしょに
「松代 第九」と検索してしまった。そしたら、
なんだか面白そうなので、数頁見てしまった。すると、
『年末の「第九」演奏習慣の誕生秘話
 東京音楽学校学生の学徒出陣の際の演奏に由来!』
というタイトルの2010年7月19日(月)のブログが表示されてた。
面白そうなので開いて見ると、ずっと以前に、
私passionbbbのことを取り上げてくださった
望岳人という人物の<日々雑録 または 魔法の竪琴>
と題するブログだった。
そのエントリ自体、興味深いものだったが、
ちょっと別のエントリも見てみることにした。すると、
『1Q84 BOOK3 を読了』
というタイトルの2010年4月23日(金)のエントリに目がとまった。
全文を引用する。

<面白かった。
 24章あったBOOK1かBOOK2が 
 バッハの平均律クラフィーア曲集の第1巻、第2巻の
 それぞれ24曲につながりがあるという解釈があったが、
 今回は31章。31日のことかと思ったが、三十一文字。
 和歌の文字数だ。
 ストーリー的にも百人一首で人口に膾炙している
 崇徳院(崇徳上皇)の
 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ 
 の歌を連想させた。ただ、残念なことに
 「あはむとぞ思ふ」が8文字なので、全部で32文字となるのが、
 この解釈を少しゆるいものにしてしまうのが残念だ。>

文章が曖昧な表現なので、この「解釈」の主体が誰なのか、
ベッキー女史の御母堂と山梨県山梨市出身の女流作家
林「真理」子女史の顔の判別がつかない
拙脳なる私には判るはずもない。が、
その「解釈」を少し考えてみた。
案外と思われるかもしれないが私は義理堅く律儀な人間なので、
ブログに触れてくださったかたには、きちんとそのかたのブログにも
触れ返すことは忘れずに行うのである。

その前に、いくつかのサイトでかき集めた情報から、
第1巻には、意図的にだか、粗野な響きをたてる
ヤナーチェクの「スィンフォニエッタ」のことが触れられてて、そのおかげで、
セル指揮クリーヴランド管弦楽団のCDが売れた、
ということらしい。上記のバッハといい、
村上春樹ってクラ音好きなのだろうか。
村上春樹と片岡鶴太郎と羽田孜の顔をたまに判別できず、
現代作家の作品をほとんど読まない拙脳なる私には判らない。が、
村上春樹が美食家らしいことは別のサイトから判った。いずれにせよ、
クラスィカル音楽についてこの大衆作家が巧く調理できるとも思えないので、
「バッハ」は捨て置く。

さて、
崇徳院である。
怨霊伝説な帝である。
元永2年(概ね西暦1119年)に鳥羽天皇の第1皇子として御誕生。が、
白河法皇の子だと鳥羽天皇に疑われ疎まれる。
保元元年(概ね西暦1156年)、保元の乱の首魁として讃岐配流となる。
長寛2年(概ね西暦1164年)、崩御。
配流地の讃岐とは、かつて、やはり怨霊となった
菅原道真が国司として赴任したことがある地である。
その在国府役人綾高遠の館にまず仮住まいする。
「ここもまた、あらぬ雲井と、なりにけり。空行く月の、影にまかせて」
3年後、完成なった"御所"府中鼓ヶ丘木丸殿に移る。そして、
6年間過ごして崩御される。

「瀬をはやみ」の歌は、まだ帝位にあった若き日の歌だろう。
「百人一首」では第77番に採られてる。そして、
「百人秀歌」でも第77番に配されてる。この歌は、
「百人一首」と「百人秀歌」でナンバーが移動しない
11首の一である。ナンバー77が村上春樹のお気に召したのだろうか。

「瀬をはやみ、岩にせかるる、滝川の、われても末に、あはむとぞ思ふ」
(拙大意)浅瀬の流れが速いので、岩にわかたれる激流が、
    二つに割れてもまた最後には合流するように、あなたと私も
    今は別れなければならないけれど、また必ず逢えるとね、
    思うんだ。

「あはむとぞおもふ」が字余りとなって31にならない、
と望氏は書いてる。が、これはすでに
本居宣長が解決してる事柄である。
"a-fa-mu-to-zo-o-mo-fu"のzooがフランス語のエリズィオンのように、
"a-fa-mu-to-zo-mo-fu"になるからである。

村上春樹の最新作「1Q84」なるものは、
英国アヘン商人の倅George Orwell(ジョージ・オーウェル)の
「1984年」とかいう小説を下敷きにしてるらしい。
その主人公Winston Smith(ウィンストン・スミス)は、
the Records Department of the Ministry of Truth
に勤める公務員だということである。
the Ministry of Truth(ザ・ミニストリー・オヴ・トゥルース)は、
「真理省」と訳されてる。そして、
「1Q84」にもカルト教団が出てくるらしい。それは、
「オウム真理教」がモデルなんだそうである。
村上春樹は「オウム真理教事件」に関心があるらしい。そして、
その教団を擁護して、一部では黒幕、真のグル、
理論的支配者ともいわれてた宗教学者にも興味をもってるようである。
その宗教学者は、上九一色村があった山梨県と同県の
甲州ワインの生産地として有名な、
林「真理」子女史の生家の本屋の近所の、
キリスト教共産主義民俗学者一家出身のようである。この宗教学者は、
地下鉄サリン事件の直後、元信者に対して、
「ね、○○君。オウムのサリンはどうして(犠牲者が)
十人、二十人のレベルだったのかな。もっと多く、
一万人とか、二万人の規模だったら
別の意味合いがあったのにね……」
と言い放ったという。その元信者がのちに手記を書いた。
1万人や2万人ではなかったが、
2001年9月11日には米国NYで、
東京地下鉄同時多発テロよりも規模が大きく
3000人が犠牲となった同時多発テロが起こされた。

さて、
「1Q84」の「Q」は単純には「9」である。が、
「Q」の小文字「q」はトポロジー的に「9」と同相である。
日本語でも同じく「キュウ(キュー)」と発音する。が、
Q=9
ではなく、
Q=9.11
として、
「1Q84」の「Q」に「9.11」を「代入」すると、「1995」となる。
1995年はオウム真理教によって
東京地下鉄サリンテロが起こされた年である。そして、
「1Q84」もしくは「1984」は「イクワヨ」である。
そこに結末がイクワヨ、というオカルト的
オヤジギャグ小説なのかもしれない。
1995年から2001年までは
「6」年であり、この「6」という数字もまた、
トポロジー的には「q」や「9」などと同位相なのである。
小説を読んでないどころか、本を手に取ったこともないので、
まったくトンチンカンなことを書いてるかもしれないが。いずれにせよ、
普段小説など読まない一般層にまで買わせようとする
ベストセラーねらいな大衆作家に、
真の文学など生み出せるはずもない。

2001年9月11日は、
(31+28+31+30+31+30+31+31+11=254)
同年の第254日めである。同年は当日を除いて残すところあと
(365-254=111)
111日だったというわけである。ワールド・トレイド・センターは
日系米人の設計によるものである。そして、高層ビルは
数字の11のようなツイン・ビルだった。また、
NY州は合衆国に第11番めに加盟した州である。そして、
米国の警察・救急・消防への緊急電話の番号は、
911である。オウムがサリンを製造し、そのサティアンなるものがあったのは、
九一色村。あーれ不思議。
信じるか信じないかはあなた次第である。
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