チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「スペードの女王(3幕、シーン5)#18(間奏曲と景)」

2005年04月04日 15時21分38秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
兵営のゲルマンの部屋、晩遅く。
ラルゴ、C、無調号。
それぞれに2分割されたヴィオラとチェロが、
ゲルマンによる伯爵夫人へのアプローチの悲しい結末を哀悼するかのような、
実質変ホ短の「聖歌もどき」を奏でる。2丁ずつのソリでないことを除けば、
ほとんど「1812年」の開始(変ホ長)である。ただし、大序曲のようには
モノホンの聖歌を使えないのは、当時のロシアの制令が、
舞台では「聖歌」を歌うことを禁じてたからである。つまり、
この「聖歌もどき」はチャイコフスキーの「自作」である。ときに、終いの
♪【シーーー・>ラーーー|<シーー】♪の和声の動きは、(変ホ短の)
「シ(<)♯レ(<)♯ファ(<)【シ】」(*)→
「ド(<) ミ(<)♯ファ(<)【ラ】」(**)→
「シ(<)♯レ(<)♯ファ(<)【シ】」(*)
である(【】は上声)。
(*):(ヘ長の)「ド(<)ミ(<)ソ(<)【ド】」(主和音)、
(**):トリスタン和音、
である。舞台の幕の裏のはるか後方から、
ドラムロールとともに第2ペットによるヘ長の着床ラッパが轟く。
幕が開き、シテ・ゲルマンはリーザからの手紙を斎藤孝流に音読してる。
その間、「能管」のバスクラが静かに笛の音を奏でる。
『あなたをもういちど信じたいから、誰にも見られずにすむ
冬宮殿脇の運河沿いの「河岸通り」でお待ちしてます。
あなたにはカシがあります。
もし、真夜中の12時までにあなたがいらっしゃらなければ、
わたくしはおそろしい考えを実行にうつして死ンデレラしまいます』
かつて、アントニーナに手紙攻勢されたときの「脅し文句」を
台本に採りいれてるチャイコ兄弟である。
こういう聞き分けのないごり押しもときには有効であるが、
ネゴシエーション力がものをいうのが世の中である。
家康が賢かったのは、長久手でイクサに勝ちながら秀吉の政治力に負けた
(織田の小倅信雄を救うという大儀の家康に対し、
その信雄を秀吉はいとも簡単にまるめこむ)ことで、
秀吉には「頭脳」でかなわぬのを悟ったことにある。
だが、秀吉には「世継ぎ」も「八広」もないのである。
家康には「秀忠」という優秀な「後継ぎ」がいるのであるから、
「キョウコウ」手段に拠らずとも、むやみに「タイコウ」せずともいい。
あとは「根競ラーヴェ」だけである。なら、家康が勝つに決まってる。
空かぬなら、亡くまで待とう、大坂城。
信長も秀吉も、家康のための露払いでしかない。それはともかくも、
「『冬宮殿』(現、エルミタージュ)」は、
1幕の「『夏宮殿』の庭園」と対照ツガイをなしてるのである。
けっして、このオペラの設定時期が「1幕が夏で、3幕が冬」なのではない。
ピョートルにもエカチェリーナにも離宮があったのである。利休といえば、
秀吉に切腹を言い渡されて(武士でもない者になぜ為政者の命による切腹?
と疑問をもたれると、おもしろいことが……)京から淀川を船で大坂堺まで
護送されたのであるが、そこで見た河岸に「自生」する菜の花に利休は
おおいに感じ入ったそうである。利休忌の茶花には「菜の花一輪」を活ける。
緑色の中に映えるあの色の美しさは、臭いさえ嗅がなければ、
感涙大感動ものであるといえろう。ちなみに、現在、
サンクト・ペテルブルク市は大阪市の姉妹都市のひとつになってオリ、
大阪市に出向したがってるペテルブルク市職員がたくさんいるが、
なにわのことも夢のまた夢、とたいがいは諦めてるとかいないとか。同様に、
アッパークラスへの移籍を願うゲルマンであったが、「3カードの秘密」話を
トームスキィ伯に聞かされるまでは、それは夢と諦めてたのである。さて、
ゲルマンは肘掛け椅子に深く腰を沈めると、いまにも眠ってしまいそうになる。
すると、舞台裏から、「大きく、しかし、遠くから聞こえてくるように」
と指示された四声合唱が始まる。ゲルマンはハッとして立ちあがり、
「また、いつものデジャ・ヴュだ」と、「悪魔の誘惑」を打ち消そうとする。
ゲルマンもなにがなんだかわからなくなってるのである。
という、原作の冷血漢から変更したゲルマンのキャラを
チャイコフスキーが執拗にかばってるようにも思える。いずれにしても、
ここで注目すべきは、四声合唱の「ソプラーノ」にあたるパートを、
チャイコフスキーは「ボーイ・ソプラノ」と指名してることである。
1幕の出番が終わっても帰っちゃだめよ、ということであるが、
翌年以降に作曲された「ハシバミ割り器具(人形)」の「雪片の踊り」における
「少年合唱ヴォカリース」と比較すると興味深い。ローズ・バド、である。
上声が僕らは少年合唱団であることによる合唱全体の混合音色の妙、
を、想像でいいから、感じていただきたい。私は、
ヒラリー・スワンクとチャールトン・ヘストンの顔の区別も、
ウィンチェスターとルガーの判別もできないボンクラであるから、
その「効果」に気づくはずもないのであるが。
この四声合唱は、冒頭の「聖歌もどき」をハ短で唱する。
その終いは、変ホ短からロ長を経てイ短に変化して、次曲になだれこむ。
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