アッレーグロ・モデラート、3/4、3♯。
ペテルブルク市街のゴーリキー通りと六本木通りが交差するあたりの
路地を入ったとこにあるカジノ・バー。
♪ファッ、>>ラーー○|<<ソッ、>>ソーー○|<<レッ、>>ソーー○|
<<ファッ、>>ラーー○|<<ミ<ソ<ド>シ>ラ>ソ|
>ファ>ミ>レ>ド>シ>ラ|>ソ<ラ<シ<ド>シ>ラ|>ソ♪
「飲まんかぃ! 楽しまんかぃ! 人生ちゅうんはバクチや!
いのち短し、コイコイせよオヤジ、や!」
楽しい六本木男声合唱隊である。
→ソステヌート(マ・ロ・ステッソ・テンポ)。
士官連中が「ファラオーン」に興じてる。そこへ、エレーツキー公爵。
トームスキー伯爵:「めっずらしいこともあるもんや。公爵はん、
どないしなはりましたんや?」
エレーツキー公爵:「こりゃまた、トームスキィ君じゃ、あーりませんか。
あ、キミがいて、ボクがいる。
ごめんくさい、これ股くさい、あーくさい、
弧くさい派のワテやさかい、ギャンブルのひとつも
心得なあかん思うて、寄せてもらうことにしたんや。
正味な話、カジノへは今日が初めてなんや。よろしく頼むで。
まぁ、あれや。よくいうがな。
『恋にみはなされたら、コイコイにツキがまわってくる』
てなことをな、トム君」
トームスキー伯爵:「はて、どないな意味でっしゃろ?」
エレーツキー公爵:「リーザ嬢との婚約は破談になってもうたんや。まぁ、
それ以上は訊かんといてぇな、トム君。武士の情けや!
正直言うて、ワテがここにやってきたんは仕返しのためや。
半日ここですごして反ゲルマンの狼煙や。
『恋を勝ち得たもんは、コイコイに負ける』いうてな」
とかいうやりとりの後、一同はトームスキィ伯に得意の芸を要求する。ところで、
士官が賭博、というと、「明治馬券始末」(大江志乃夫著/紀伊国屋書店刊)によれば、
戦後処理は終わってないと反日売国ご注進の音頭をとるいっぽう、
サンゴ礁処理もウヤムヤのまま、最近では武富士との広告の高配この一銭にあり、
で話題をふりまく某新聞(エドガー・スノウのような害をまき散らす輩を
身内から出す愚か物)が、明治41年(1908年)10月に、
「最醜の最終日」という最低レヴェルのダジャレの域にも達してない見出しで、
松戸競馬(のちに中山競馬に移転)第3日(最終日)に
帝国陸軍騎兵第2旅団の将校たるものが禁じられてる馬券購入をしやがった、
という記事を載せたことに端を発した事件があったそうである。ところで、
スノウといえば、時期はずれではあるが、最近、
フジ・テレヴィジョン・ネットワ~~~クの深夜番組「すぽると」のBGMが、
マーク・スノウの「bull」に替わってるのである。ついこないだまで、
TBSがやはり超深夜に流してた米国産TVドラマ「bull」のテーマ曲である。
ライス女王さまのニラミを放たれても米国産beef輸入はまだ再開されてないが、
米国産bullは、はるばる太平洋を「引かれ」、
赤坂のTBSEまで連れてこられたのである。ちなみに、
bullはウォール街のシンブル・マークである。
株価を上に押し上げる、という意味らしいが、ホントのところは、
上から「引き上げる(pull)」というダジャレである。それにしても、
私のような小銭しか持ってない野郎が、きゃぴたる理由もなく
隙間産業の有望株に目をつけてそれにはりこんだとしても、高がしれてる。
ニッチもさっちもどうにもブルどっぐなのである。それはともかく、その曲
♪ラッ<ドッ<ミッ>ドッ<♭ミッ>ド<レーーーーー♪
を聴くと、梓みちよ女史が歌った平尾先生の小品「二人でお酒を」を想起してしまう。
松戸競馬場まで市川駅から歩いていったという「二人で馬券を」の将校らは、
さすが軍人である。ぶぅでぇの私には2万光年ほどの距離である。
松戸競馬場の跡地は平坦だが、その周辺は起伏が激しい。
イトーヨーカ堂の5階(だか6階だか)の裏の出入口を出たとこが公園になってて、
テニスコート・プールの先には、千葉地裁松戸支部・家裁・簡裁、地検同支部、法務局、
などが建ってる「岩瀬無番地」がある。また、ヨーカ堂裏口から見て左手奥には、
聖徳大の短大がある。高架になってる松戸駅改札を出て東口へ向かい、
マツドナルド東口店を横目に歩行者デッキを渡り、
そのまま2階からヨーカ堂に入り、中のエスカレーターを登って裏の
5階(だか6階だか)の出入り口からキャンパスに向かう、という女子大名行列が、
今でも見れるのかもしれない。20数年前、私はその短大の子と付き合ってて、
ヨーカ堂の裏口前までよく車で迎えにいったものである。上記の本を読んで、
懐かしくなった次第である。当時の同短大は大学にしてはめずらしく制服があった。
ちょっと野暮ったいがミニスカであった。それはともかくも、
「板垣死すともケイヒヒィ~~ン競馬倶楽部会頭職は失せず」
とは本人は叫ぶ余裕もなかったと伝えられる某自由民権運動家は、
大の競馬好きだったそうである。胴元はカネになるからである。
森田健作に辛勝した堂本知事女史がカネになるかどうかは知らぬ。さて、
→コーメ・プリーモ。
次曲(ヘ長)の属調たるハ長の主和音(ヘ長の属和音ともスキャンできる)で閉じる。
ペテルブルク市街のゴーリキー通りと六本木通りが交差するあたりの
路地を入ったとこにあるカジノ・バー。
♪ファッ、>>ラーー○|<<ソッ、>>ソーー○|<<レッ、>>ソーー○|
<<ファッ、>>ラーー○|<<ミ<ソ<ド>シ>ラ>ソ|
>ファ>ミ>レ>ド>シ>ラ|>ソ<ラ<シ<ド>シ>ラ|>ソ♪
「飲まんかぃ! 楽しまんかぃ! 人生ちゅうんはバクチや!
いのち短し、コイコイせよオヤジ、や!」
楽しい六本木男声合唱隊である。
→ソステヌート(マ・ロ・ステッソ・テンポ)。
士官連中が「ファラオーン」に興じてる。そこへ、エレーツキー公爵。
トームスキー伯爵:「めっずらしいこともあるもんや。公爵はん、
どないしなはりましたんや?」
エレーツキー公爵:「こりゃまた、トームスキィ君じゃ、あーりませんか。
あ、キミがいて、ボクがいる。
ごめんくさい、これ股くさい、あーくさい、
弧くさい派のワテやさかい、ギャンブルのひとつも
心得なあかん思うて、寄せてもらうことにしたんや。
正味な話、カジノへは今日が初めてなんや。よろしく頼むで。
まぁ、あれや。よくいうがな。
『恋にみはなされたら、コイコイにツキがまわってくる』
てなことをな、トム君」
トームスキー伯爵:「はて、どないな意味でっしゃろ?」
エレーツキー公爵:「リーザ嬢との婚約は破談になってもうたんや。まぁ、
それ以上は訊かんといてぇな、トム君。武士の情けや!
正直言うて、ワテがここにやってきたんは仕返しのためや。
半日ここですごして反ゲルマンの狼煙や。
『恋を勝ち得たもんは、コイコイに負ける』いうてな」
とかいうやりとりの後、一同はトームスキィ伯に得意の芸を要求する。ところで、
士官が賭博、というと、「明治馬券始末」(大江志乃夫著/紀伊国屋書店刊)によれば、
戦後処理は終わってないと反日売国ご注進の音頭をとるいっぽう、
サンゴ礁処理もウヤムヤのまま、最近では武富士との広告の高配この一銭にあり、
で話題をふりまく某新聞(エドガー・スノウのような害をまき散らす輩を
身内から出す愚か物)が、明治41年(1908年)10月に、
「最醜の最終日」という最低レヴェルのダジャレの域にも達してない見出しで、
松戸競馬(のちに中山競馬に移転)第3日(最終日)に
帝国陸軍騎兵第2旅団の将校たるものが禁じられてる馬券購入をしやがった、
という記事を載せたことに端を発した事件があったそうである。ところで、
スノウといえば、時期はずれではあるが、最近、
フジ・テレヴィジョン・ネットワ~~~クの深夜番組「すぽると」のBGMが、
マーク・スノウの「bull」に替わってるのである。ついこないだまで、
TBSがやはり超深夜に流してた米国産TVドラマ「bull」のテーマ曲である。
ライス女王さまのニラミを放たれても米国産beef輸入はまだ再開されてないが、
米国産bullは、はるばる太平洋を「引かれ」、
赤坂のTBSEまで連れてこられたのである。ちなみに、
bullはウォール街のシンブル・マークである。
株価を上に押し上げる、という意味らしいが、ホントのところは、
上から「引き上げる(pull)」というダジャレである。それにしても、
私のような小銭しか持ってない野郎が、きゃぴたる理由もなく
隙間産業の有望株に目をつけてそれにはりこんだとしても、高がしれてる。
ニッチもさっちもどうにもブルどっぐなのである。それはともかく、その曲
♪ラッ<ドッ<ミッ>ドッ<♭ミッ>ド<レーーーーー♪
を聴くと、梓みちよ女史が歌った平尾先生の小品「二人でお酒を」を想起してしまう。
松戸競馬場まで市川駅から歩いていったという「二人で馬券を」の将校らは、
さすが軍人である。ぶぅでぇの私には2万光年ほどの距離である。
松戸競馬場の跡地は平坦だが、その周辺は起伏が激しい。
イトーヨーカ堂の5階(だか6階だか)の裏の出入口を出たとこが公園になってて、
テニスコート・プールの先には、千葉地裁松戸支部・家裁・簡裁、地検同支部、法務局、
などが建ってる「岩瀬無番地」がある。また、ヨーカ堂裏口から見て左手奥には、
聖徳大の短大がある。高架になってる松戸駅改札を出て東口へ向かい、
マツドナルド東口店を横目に歩行者デッキを渡り、
そのまま2階からヨーカ堂に入り、中のエスカレーターを登って裏の
5階(だか6階だか)の出入り口からキャンパスに向かう、という女子大名行列が、
今でも見れるのかもしれない。20数年前、私はその短大の子と付き合ってて、
ヨーカ堂の裏口前までよく車で迎えにいったものである。上記の本を読んで、
懐かしくなった次第である。当時の同短大は大学にしてはめずらしく制服があった。
ちょっと野暮ったいがミニスカであった。それはともかくも、
「板垣死すともケイヒヒィ~~ン競馬倶楽部会頭職は失せず」
とは本人は叫ぶ余裕もなかったと伝えられる某自由民権運動家は、
大の競馬好きだったそうである。胴元はカネになるからである。
森田健作に辛勝した堂本知事女史がカネになるかどうかは知らぬ。さて、
→コーメ・プリーモ。
次曲(ヘ長)の属調たるハ長の主和音(ヘ長の属和音ともスキャンできる)で閉じる。
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