父の三回忌を済ませた。といっても、故人も私も
無宗教なので(ただし、共産主義者ではない)、
飲み食いだけの、よけいな金がかからない「法要」である。
ここ10年くらい、"GW"に東京はガラガラにならなくなった。
上京してる者が田舎に帰らず、反対に、
地方から東京観光に来るかららしい。たしかに、
六本木・広尾・麻布十番には「観光客」があふれてた。
現在もプー太郎な私は金がないので、
こういう季節にも旅行にいくことができず、
ただ家の中にひきこもってるばかりである。
低級売文夫としてのバイトで食いつないでるが、
明日じゅうに2本書き上げなければならない。が、普段は
書く意欲がわかないときには、きれいな女性タレントさんや
AV女優さんのブログにダジャレ・コメントをしてウォーミングアップしてるのだが、
今日あたりは気の利いた更新をしてるタレントさんがいない。
これでは、自分の仕事のやる気も起こらない。困った。ときに、
今回の"GW"は豚インフルという新手の社会不安因子が現れた。
昨年の今頃は十和田湖や北海道の野付半島で
毒性が強い鳥インフル・ウイルスが死んだ白鳥から検出されたが、
個人事務所のシラトリ、否、ヒラトリな私は、この時期、
外国に飛んでくわけでも、海外から飛来するわけでもないので、
まったく関係ない。昨今では、
夏場に北半球から南半休に渡航するむきもあるので、
本来なら冬場にしか流行らないインフルエンザが、
春夏でも北半球に蔓延することがある。これを、
我々エセ左翼思想・反日売国文芸評論家らは、
「蔓延残念のフットワーク」と呼んでる。さて、
今回の「新型インフル騒ぎ」で、熱発患者を
診察拒否してる病院・医者が出てるらしい。私は、
医師・看護師・自衛官・警察官・海上保安官などを
立派な職業だと思って尊敬し感謝してる。が、
病院や医師が夜間診療・休日診療を通常医療と同様に行わないことには
憤りさえ覚えてる。一般的に医師は高給や休暇を与えられすぎである。
「産科医不足問題」などとは笑止千万である。
「国境なき医師団」などとは噴飯ものである。
働け。まず、自国・自国民の命・健康・利益を考えろ。
国民の税金のおかげで医師になれたということをわきまえろ。
医師という高邁な精神を必要とする職業に就いた者は、
奉仕の心・態度を忘れてはならない。ところで、
「文豪」森鴎外は小説書きが本業ではない。
軍医が本職である。物を書く暇があったら、
もっと医学の勉強・奉仕をするべきだった。もっとも、
AV女優の希崎ジェシカ女史とテレ東アナの大橋未歩女史の顔の区別もつかない
拙脳な私は、軍医森林太郎の名を、もりばやし・たろう
だと思ってたほどのオバカである。
♪ぼくぅ~のなぁ~まえぇ~を、しぃ~いってぇ~るかぃ?
しんりぃ~ん・たぁ~ろうぅ~と、いぃ~うん~~だぜぇ♪
新聞少年の名は「朝刊太郎」だったかもしれないが、
チョウカンというよりはカンチョウ楼に住んでたのは、森鴎外である。
2階からは品川沖が見えたのだという。それで、
「観潮楼」なのらしい。が、本当は医者に多いようにSMマニアで、
女性に「カンチョウ」と言わせて愉しんでた類かもしれない。ともあれ、
「例の」悪妻に、どうだ海が見えるだろう、と訊くと、
見えないと言われたそうである。ところが、
鴎外は自分が見えるといえば、かしこかしこまりました、
見えますみえますばっちりです、なんて、へつらう輩がいるが、
お前は正直だ、本当は誰にも見えるわけなどない、
などとでかい口を叩いてたらしい。やっぱり、
本当は見えなかったのである。また、
鴎外は沙羅の木の花が好きだったという。
膝のサラ双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす、
というとおり、この「文豪」の化けの皮も、
やがては剥がされたのである。
その鴎外についての評論を書いたのが、
秋野太作同様、今、テレ東で放送してる
「明日行きたい、人気のウォーキング・ベスト10」の中のひとつ、
深川生まれな志田信男である。このエントリの題である、
「鴎外は何故袴をはいて死んだのか」(公人の友社刊)
の著者である。一般には、
鴎外が袴をはいたまま死んだのは、
「武士」としての礼であり、「切腹」の思いであった、
という説明がなされてる。脚気病原菌説を強く主張した
アホで傲慢な鴎外が軍医だった陸軍では、その権威主義な断定によって、
日清・日露の戦争で、脚気によって、それぞれ、
4000名、27000名の兵士を無駄死にさせたのである。
そのことを悔いて鴎外は「ハカマを履いて墓マで行く」つもり、
だったのだと。が、この
志田氏の説はまったく異なる。だいたい、
鴎外は「武士」ではない。出自は、
武士に准じる「殿医」でしかない。曲がりなりにも
「武家」になってた乃木とはまったく異なるのである。ともあれ、
鴎外は「使者」を迎えるための「装い」をしてたのだ、
と同氏は唱える。つまり、
鴎外は死を前にして「叙爵」の使者を待ってたのである。
「男爵」あわよくば「子爵」……鴎外に、
良心の呵責などという心などあるはずもない。
私は同氏に同意である。
生涯、鴎外は誤りを認めず、謝罪もしなかったばかりでなく、
死の前にも、脚気問題に対して「ばかばかしい」
と蔑んだという。いや、鴎外は
「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」
という遺言をしたではないか、と指摘するむきがあるかもしれない。
そういうと、さも高潔な人物だったように思われる。が、
叙勲がならなかったことへの子供じみたスネた態度に他ならない。
私がガキの頃は、膝下をカナヅチで叩いて、
足を踏ん張って上がらないようにして、
「カッケー!」と叫んでたアホガキがよくいたものである。が、それ以来、
「脚気」という語には、とんとお目にかかったことがなかった。が、
「カッコイイ(これも既にカッコウイイの短縮であるが)」という言葉が、
「カッペー」なる"卑小形"である
「カッケー」という形で使われるのを、昨今では、ときたま耳にする。
「脚気」は徳川時代には「江戸患い」と呼ばれてたものである。
精米を食してた金持ち、さらには時代が下がって、
精米が普通になってった江戸の庶民の間では、
脚気が多かった。つまり、玄米には含まれてる
ヴィタミンB1(鈴木梅太郎が米糠から発見)が欠乏することによって
起こる症状がカッケである。神経麻痺を引き起こし、
運動障害、最悪の場合は脳障害や心不全を引き起こす、
怖い病気である。江戸の医師・庶民の間では、精米でなく
蕎麦を食うと症状が改善されることを経験的に知ってた。が、
津和野藩亀井家の「殿医」の家に生まれた鴎外には、
「思いもつかない」ことだったろう。日本人が培ってきた
「経験的な知恵」は鴎外にはなじまなかった。それが、
きっかけにもキッカッケにもならなかったのである。
鴎外の人間として医師としての態度は罪が重い。そして、
その小説の類にも、それほどの価値があるとは思えない。ともあれ、
インフルなどの予防には、鴎外よりもただの
ウガイのほうがよほど役に立つのである。
無宗教なので(ただし、共産主義者ではない)、
飲み食いだけの、よけいな金がかからない「法要」である。
ここ10年くらい、"GW"に東京はガラガラにならなくなった。
上京してる者が田舎に帰らず、反対に、
地方から東京観光に来るかららしい。たしかに、
六本木・広尾・麻布十番には「観光客」があふれてた。
現在もプー太郎な私は金がないので、
こういう季節にも旅行にいくことができず、
ただ家の中にひきこもってるばかりである。
低級売文夫としてのバイトで食いつないでるが、
明日じゅうに2本書き上げなければならない。が、普段は
書く意欲がわかないときには、きれいな女性タレントさんや
AV女優さんのブログにダジャレ・コメントをしてウォーミングアップしてるのだが、
今日あたりは気の利いた更新をしてるタレントさんがいない。
これでは、自分の仕事のやる気も起こらない。困った。ときに、
今回の"GW"は豚インフルという新手の社会不安因子が現れた。
昨年の今頃は十和田湖や北海道の野付半島で
毒性が強い鳥インフル・ウイルスが死んだ白鳥から検出されたが、
個人事務所のシラトリ、否、ヒラトリな私は、この時期、
外国に飛んでくわけでも、海外から飛来するわけでもないので、
まったく関係ない。昨今では、
夏場に北半球から南半休に渡航するむきもあるので、
本来なら冬場にしか流行らないインフルエンザが、
春夏でも北半球に蔓延することがある。これを、
我々エセ左翼思想・反日売国文芸評論家らは、
「蔓延残念のフットワーク」と呼んでる。さて、
今回の「新型インフル騒ぎ」で、熱発患者を
診察拒否してる病院・医者が出てるらしい。私は、
医師・看護師・自衛官・警察官・海上保安官などを
立派な職業だと思って尊敬し感謝してる。が、
病院や医師が夜間診療・休日診療を通常医療と同様に行わないことには
憤りさえ覚えてる。一般的に医師は高給や休暇を与えられすぎである。
「産科医不足問題」などとは笑止千万である。
「国境なき医師団」などとは噴飯ものである。
働け。まず、自国・自国民の命・健康・利益を考えろ。
国民の税金のおかげで医師になれたということをわきまえろ。
医師という高邁な精神を必要とする職業に就いた者は、
奉仕の心・態度を忘れてはならない。ところで、
「文豪」森鴎外は小説書きが本業ではない。
軍医が本職である。物を書く暇があったら、
もっと医学の勉強・奉仕をするべきだった。もっとも、
AV女優の希崎ジェシカ女史とテレ東アナの大橋未歩女史の顔の区別もつかない
拙脳な私は、軍医森林太郎の名を、もりばやし・たろう
だと思ってたほどのオバカである。
♪ぼくぅ~のなぁ~まえぇ~を、しぃ~いってぇ~るかぃ?
しんりぃ~ん・たぁ~ろうぅ~と、いぃ~うん~~だぜぇ♪
新聞少年の名は「朝刊太郎」だったかもしれないが、
チョウカンというよりはカンチョウ楼に住んでたのは、森鴎外である。
2階からは品川沖が見えたのだという。それで、
「観潮楼」なのらしい。が、本当は医者に多いようにSMマニアで、
女性に「カンチョウ」と言わせて愉しんでた類かもしれない。ともあれ、
「例の」悪妻に、どうだ海が見えるだろう、と訊くと、
見えないと言われたそうである。ところが、
鴎外は自分が見えるといえば、かしこかしこまりました、
見えますみえますばっちりです、なんて、へつらう輩がいるが、
お前は正直だ、本当は誰にも見えるわけなどない、
などとでかい口を叩いてたらしい。やっぱり、
本当は見えなかったのである。また、
鴎外は沙羅の木の花が好きだったという。
膝のサラ双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす、
というとおり、この「文豪」の化けの皮も、
やがては剥がされたのである。
その鴎外についての評論を書いたのが、
秋野太作同様、今、テレ東で放送してる
「明日行きたい、人気のウォーキング・ベスト10」の中のひとつ、
深川生まれな志田信男である。このエントリの題である、
「鴎外は何故袴をはいて死んだのか」(公人の友社刊)
の著者である。一般には、
鴎外が袴をはいたまま死んだのは、
「武士」としての礼であり、「切腹」の思いであった、
という説明がなされてる。脚気病原菌説を強く主張した
アホで傲慢な鴎外が軍医だった陸軍では、その権威主義な断定によって、
日清・日露の戦争で、脚気によって、それぞれ、
4000名、27000名の兵士を無駄死にさせたのである。
そのことを悔いて鴎外は「ハカマを履いて墓マで行く」つもり、
だったのだと。が、この
志田氏の説はまったく異なる。だいたい、
鴎外は「武士」ではない。出自は、
武士に准じる「殿医」でしかない。曲がりなりにも
「武家」になってた乃木とはまったく異なるのである。ともあれ、
鴎外は「使者」を迎えるための「装い」をしてたのだ、
と同氏は唱える。つまり、
鴎外は死を前にして「叙爵」の使者を待ってたのである。
「男爵」あわよくば「子爵」……鴎外に、
良心の呵責などという心などあるはずもない。
私は同氏に同意である。
生涯、鴎外は誤りを認めず、謝罪もしなかったばかりでなく、
死の前にも、脚気問題に対して「ばかばかしい」
と蔑んだという。いや、鴎外は
「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」
という遺言をしたではないか、と指摘するむきがあるかもしれない。
そういうと、さも高潔な人物だったように思われる。が、
叙勲がならなかったことへの子供じみたスネた態度に他ならない。
私がガキの頃は、膝下をカナヅチで叩いて、
足を踏ん張って上がらないようにして、
「カッケー!」と叫んでたアホガキがよくいたものである。が、それ以来、
「脚気」という語には、とんとお目にかかったことがなかった。が、
「カッコイイ(これも既にカッコウイイの短縮であるが)」という言葉が、
「カッペー」なる"卑小形"である
「カッケー」という形で使われるのを、昨今では、ときたま耳にする。
「脚気」は徳川時代には「江戸患い」と呼ばれてたものである。
精米を食してた金持ち、さらには時代が下がって、
精米が普通になってった江戸の庶民の間では、
脚気が多かった。つまり、玄米には含まれてる
ヴィタミンB1(鈴木梅太郎が米糠から発見)が欠乏することによって
起こる症状がカッケである。神経麻痺を引き起こし、
運動障害、最悪の場合は脳障害や心不全を引き起こす、
怖い病気である。江戸の医師・庶民の間では、精米でなく
蕎麦を食うと症状が改善されることを経験的に知ってた。が、
津和野藩亀井家の「殿医」の家に生まれた鴎外には、
「思いもつかない」ことだったろう。日本人が培ってきた
「経験的な知恵」は鴎外にはなじまなかった。それが、
きっかけにもキッカッケにもならなかったのである。
鴎外の人間として医師としての態度は罪が重い。そして、
その小説の類にも、それほどの価値があるとは思えない。ともあれ、
インフルなどの予防には、鴎外よりもただの
ウガイのほうがよほど役に立つのである。
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