オリンピック 前畑、ガンバレ
かつて(1936年)、ナーツィス下のベルリンで五輪が開催されたとき、
前回1932年のLA五輪でオーストラリアの
Clare Dennis(クレア・デニス/1916-1971)女史に0.1秒も離された
銀メダルに終わった女子200m平泳ぎの日本代表、
故前畑(結婚後は兵藤)秀子女史(1914-1995)は、
今度負けたら生きて日本には帰れない、と本気で思うほど、
のしかけられたプレッシャーは大きかったようである。
18歳で出場したいわゆるロズ輪で前畑女史は
銀メダルを獲得し、意気揚々と日本に帰った。が、
当時の東京市長永田秀次郎は、次々回の
(幻の)東京五輪招致を熱烈に画策してた。それには、
女子にも金メダリストがいることが有利、というか、
必須だと考えてたのである。
「なぜ、金メダルじゃなかったんだね?
2歳も年下に負けて君は悔しくないのか?
ベルリンでは必ず金メダルを取ってくれたまえ」
前回のアムステルダムの女子陸上800mの
人見絹枝女史に次いで、競泳では初めての、
銀メダリストとして大歓迎されると思ってた前畑女史は愕然とした。
これで家業の豆腐屋を継いで婿を取って平穏に暮らせる、
と思ってたのである。前畑女史は
銀メダリストになって初めて、自分が
"公人"であることに気づかされたのである。
それからの前畑女史は以前にまして、毎日2万m泳ぎ込んだ。
プールの中にいても自分の体から汗が出てるのが判った、
というほどハードな練習だった。
1936年8月11日、
ベルリン五輪女子200m平泳ぎ決勝。
ドイツ2人、オランダ2人、イギリス、デンマーク、日本、各1人の、
7選手のレイスである。
前回優勝者のデニス女史は諸般の事情で出場してない。
第6コース・前畑、第7コース・ゲネンガー(ドイツ/1911-1995)。
現在のNHKの河西三省(かわにし・さんせい)アナウンサーの実況である。
当初、河西アナは「前畑嬢」と実況してた。が、
残り100mのターンからは、「前畑」と呼び捨てが始まる。そして、
最後のターン(残り50m)に近づくあたりから、あの有名な
「前畑、ガンバレ」の連呼が始まる。
[前畑、ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ!
ゲネンゲルも出ております!
ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ!
前畑! 前畑、リード! 前畑、リード! 前畑、リードしております!
前畑、リード!
前畑、ガンバレ! 前畑、ガンバレ! リード、リード!
あと5m、あと5m、あと5m、5m、5m!
まぁっ、前畑リード!
勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った!
前畑、勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った!
前畑、勝った! 前畑、勝った! 前畑、勝った!
前畑、勝ちました! 前畑、勝ちました! 前畑、勝ちました!
前畑の優勝です! 前畑の優勝です!]
名アナウンスと言えるかどうかは、西本・浅田組パイレーツの
「だっちゅーの!」が「脱中の!」という警鐘に聞こえてしまってた
拙脳なる私には判るはずもないが、
「ガンバレ」や「勝った」を連呼してしまうほど、
当時の日本は必死で世界と戦ってたんだなと感じる。
プロのアナウンサーとしては失格な実況かもしれないが、それでも、
これほど感動する絶叫ならいいではないか。
当時の映像を見ると、コース・ロウプの暖簾をくぐって、
前畑女史がゲネンガーに握手を求めにいってるのが判る。が、
ヒトラーの前で負けたゲネンガー女史は気もそぞろな感である。
6コースに戻った前畑女史に、内側のコースの選手らが
握手を求めてくる。なにしろ、
ゲネンガー女史を除いて、他の5選手は、
はるかに突き放されてた。雲泥の実力差だったからだろう。
当時の世界記録保持者が勝つべくして勝ったのである。ちなみに、
当時の世界記録は、3年前に前畑女史が出した3:00.4だった。
前回ロース・アンジリーズでは16歳に負けた18歳の前畑女史は、
3:06.4という記録だった。それが、ベルリンでは、
自身の世界記録には遠く及びはしなかったものの、
3:03.6の五輪記録だった。さらにちなみに、
56年後のバルセロナで岩崎恭子嬢の優勝タイムは、
2:26.65(当時の五輪記録)。現在の日本記録は、
いちおう金藤理絵選手の
2:20.72。世界記録は、Annamay Pierse(アナメイ・ピアース/カナダ)の
2:20.12、である。隔世の感がある。
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