オリンピック マラソン スピドリン(スピロス)・ルイス 婚活
ベルリンの世界陸上では、ウーセイン・ボウルトが
100mにつづいて200mでも世界新で
優勝したらしい。が、そのシューズは、pumaであって
nikeではないようである。ときに、
boltとは、偶然にも、英語ではボルト、閂、
稲妻、逃走、なんていう意味である。副詞は、
だしぬけに、なんて意味だったりする。動詞も、
ふるいにかける、っていう、
ピッタリな意味である。が、
100も200も、という点と、その
センスのない、泥臭い走りかたから、
エヴァリン・アッシュフォード女史とは対極の
故フローレンス・グリフィス=ジョイナー女史を想起してしまう。
かつて、マリオン・ジョウンズ女史を、
マスコミも織田裕二も一般の人たちも、
最大の賛辞で称えてた。が、
私は虫が好かなかった。やはり、
ランニング・フォームにセンスがなかった。すると、
のちにドウピングが発覚した。ところで、
dopingは見つからなければシロ、
という世界である。しかも、
定められてる「禁止薬物」は、7分類143種、
のみ、なのである。そこに指定されてないものなら、
当然にひっかからない。大昔、
ローマ時代に過去の戦闘で使用してた戦車……
といっても、馬車である……を
競技にした見せ物があった。それが、
Chariotである。1981年の映画
"Chariots of Fire(チャリオッツ・オヴ・ファイア)"
(邦題:炎のランナー)は、1924年のパリ五輪での
実在の英国陸上短距離選手を扱ったものである。
100mで1着したユダヤ系エイブラハムズ、その
100mが安息日の日曜にあたるので出走せず、
400mを勝ったスコットランドの宣教師リデル。私も、
安息日の日曜には仕事などせず、jra派の
教会に出向いて、賽銭を奉じ、祈りを捧げる、
という生活を送ってる。それはどうでも、
"Chariots of Fire"の音楽は、ギリシア人の
ヴァンゲリスが担当してた。
***♪●ド・<ファ<ソ<ラ│>ソー・ーー・・●
>●ド・<ファ<ソ<ラ│>ソー・ーー・・●
>●ド・<ファ<ソ<ラ│>ソー・ーー・・●
>●ド・<ファ>ミ>ド│ドー・ーー・・●
<●ド・>シ>ラ>ソ│
<シー>ソ・<ラー>ファ・・<ソ●<ド・>シ>ラ>ソ│
<シー・ーー・・ー●<●ド・>シ>ラ>ソ│
<シー>ソ・<ラー>ファ・・<ソ●<ド・>シ>ラ>ソ│
<シー>ソ・<ラー>ファ・・<ソ●>ド・<ファ>ミ>ド│
ドー・ーー・・♪
みたいな節だったと思う。前半は、
主和音と下属和音の繰り返しだけな、
音符の読み書きができない作曲家の特性を活かした、
ミニマル音楽である。箸が持てなくても
グルメ・リポーターをやってたり、調理師免許がなくても
料理評論をするのとはわけが違う。
聴覚の問題であってシカクの問題ではないのである。
ともあれ、この、
♪ド<ファ<ソ<ラ>ソーー♪という音型は、
ヴァンゲリスがどこかで聴いた
ラフマーニナフ晩年の「交響曲第3番」の第1楽章第2主題、
***♪ソー・・<ドー・<レー│
<ミー・>ド<レ・・<ミー、<ファ<ラ│
>ソー・ーー・・●>ド・<ファ<ラ│>ソー♪
の♪ド<ファ<ラ>ソーー♪が海馬に保存されてて、
それが時の経過とともに「他人の作」が「自作」と
いうラベルに取り違えられて経過音を附けて
取り出されてしまった、のだと思われる。
それらはともかくも、
戦車競走の戦車を牽引する馬に、
アルコール発酵させた蜂蜜を舐めさせたのが、
ドウピングの始まり、なんだそうである。
「すべてのビズィネスはローマに通ず」……ちなみに、
焼き鳥は摂取禁止食品ではないらしい。ときに、
映画「みなしごHACHI/約束の犬」は、興行的に
意外とに健闘してるらしい。秋田犬にかぎらす、
日本犬は誰にでも尻尾を振るのではなく、
飼い主だけになつく性質なんだそうである。
チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」のモトネタが
なぜ「白鳥」を選んだか、
ということについての私見は、このブログの
「瓢湖不充分白鳥湖舞イアーリンク泡沫事件」
カテゴリーで書いた。「白鳥」は一度つがったら
一方が死ぬまで相方を替えない動物、
ということが真実であるか否かは知らないが、
「浮気しない生物」の象徴、
として一般に認識されてたのである。
夫の死以降、一切の芸能活動を停止して
公に姿を現さないちあきなおみ女史は、
「貞女は二夫に見えず」の鑑である。さて、
今日明日と、世界陸上では男子女子の
マラソンが行われる。通常は、
30km走るのが限界である。40kmなんて
普通の人には無理なのである。だから、
専門の競技者でも30kmまでは先頭集団にいても、
それ以降は下がってしまうのがほとんど、
なのである。故事のマラソンの伝令がアテナイに着いて
マラトンでの対ペルシア戦勝を伝えて死んだ、
というのもおそらくは本当の話なんだろう。で、
「マラソン」なんていうのは近代オリンピックとともに
誕生した、新たしい競技なのである。
1896年、近代五輪はアテネで開かれた。が、
地元ギリシアは陸上競技で優勝者が一人もなく、
最終日のマラソンを向かえてしまったのである。
いやがおうでもギリシア国民の期待は高まる。なにせ、
出走者17人中13人がギリシャ人なのである。つまり、
当時は40kmも走るなんていう、突拍子もないことは、
マラソンの故事を持ってるギリシャ人以外、あんまり
乗り気がしなかったのである。実際、
800mと1500mっていう中距離に優勝したオーストラリア人、
1500m三位のフランス人、という具合である。だから、
「マラソン」なんて競技は当時はまだ未知なもの、
だったのである。その道のプロ、専門家、
なんていなかったのである。
そんなのに参加するような酔狂なメンバーの中に、
まったくのドシロウトがいた。
スピリドン(スピロス)・ルイス、23歳である。ルイスは、
2回あったギリシア国内予選の2回めに出走した。
そちらのほうが出走権を取りやすい、
とふんだからだろう。初マラソンの結果は、
5着。本戦への出走資格を勝ち取った。ルイスは
アテネ近郊の村の貧しい羊飼いの倅だった。
内職に、アテネまで水を売りに出かけてた。
そんなルイスがなぜマラソンにエントリしたのか。当時、
ルイスは「身分違い」の恋愛中だった。相手の父親は
結婚を許すはずもなかった。が、国をあげての
第1回近代五輪前の盛り上がりムードのさなか、
この父親はつい調子にのって、
「オリンピクのマラソンで優勝でもしたら結婚を認める」
と言ってしまったのである。が、まぁ、
陸上競技なんてやったこともない、
貧しい牧畜農家の小倅である。間違っても
勝てるはずがない。ちょっとした余裕である。
走って勝てなかったら、反対にそれで娘のことを
諦めさせることができる。父親にとっては、
むしろ願ってもないチャンスだったのである。が、
ルイスにとってはダメモトである。そこで、
国内予選に挑んだのである。さて、
オリンピックのマラソン本戦。まず、
1500m三位のフランス人が先頭を走る。
他の選手も飛ばしぎみである。マラソンの
40kmの恐ろしさを知らない。
ルイスはマイペイスである。途中の宿屋に立ち寄り、
ワインを一杯仰ぐ。そして、宿屋の主人に訊ねる。
先頭の人たちがどれくらい先に通過したかを。
ルイスは確信した。このまま自分のペイスでいけば、
望みがみえてくることを。
32km過ぎで、先頭のフランス人が飛ばしすぎがたたって
棄権する。替わって、
オーストラリア人が先頭に立った。が、
同人は長距離など走ったこともない。
40kmのペイス配分など考えてもなかった。案の定、
バテてしまう。そして、マイペイスを守ってきたルイスに、
チャンスが舞い込んでくる。高橋尚子女史のごとく
下り坂で一気に加速すると、ついに、
先頭に立ったのである。やがて、
2004年に野口みずき女史がゴウルした
パナシナイコ競技場にルイスが駆け込んできたとき、
場内は、伝令が伝えて息絶えたという故事の言葉、
nenikekamen(ネニケカメン)=我らは勝てり、
の大合唱となった。ちなみに、この語に含まれる
nike(ニケ=英語的発音はナイキ)は「勝利」の意である。
狂喜した王太子ともうひとりの王子は
トラックに入って伴走し、ルイスとともにゴウルした。
2時間58分50秒。
たった2回めのマラソンにもかかわらず、
このタイムである。でも、
ルイスに野心はなかった。
ギリシャ王ゲオルギオス1世は、
ほしいものはなんでも与える、
と申し出た。が、ルイスは
水売りのための荷車を所望しただけだった。しかも、
婚約者(となった)イリーニがそう勧めたからである。
なんという純朴な男なことか。
王は荷車を牽くロバをつけてやったという。
これからもギリシャのために走ってくれるだろう、
という下心もあって……だから、それは
ルイス仕様のchariotといったところだろう。が、
予選会の5着を除けば、
ルイスの生涯通算マラソン成績は、1戦1勝。
なんと潔い成績なことだろう。
「愛のためだけに駆けた」のである。
命を賭して。その後、選手になることもなく、
水売りを続けた。もっとも、
めでたく結婚してのちは、もはや
有名人であり、「一般人」ではいれなかった。
警察官になったのである。これなら、
町の有力者の娘の相手として
申し分ない。が、50歳を過ぎてから、
政治的な絡みで罪をでっちあげられ
1年以上の牢獄生活も送ることになる。その
10年後にはヒトラーのベルリン五輪に招致され、
広告塔にされるが、先頭で入場する
ギリシャ選手団の中で、あの「ハイル・ヒトラー」の
右手を挙げる姿勢をとらない抗議をした。いっぽう、
アテネ五輪当時の国王は1913年に暗殺される。
王太子が王位を継いだ。
コンスタンティノス1世である。いろいろあったが、
結局、ギリシャの王政は最後は王不在のまま
数年間続くが、1973年に正式に廃止される。
その最後の王はコンスタンティノス1世の孫、
コンスタンティノス2世でまだ存命である。1960年の
ローマ五輪ヨット競技ドラゴン級の金メダリストでもある。
ルイスに伴走した当時の王太子の甥が、
英国エリザベス2世の婿エディンバラ公である。
ルイスにも子孫が残ってる。2004年の
2度めのアテネ五輪のときに、日本のTVが
取材してた。代々、長男が祖父の名を継ぐ、
という伝統がギリシャにはあるらしい。
ルイスの孫はスピリドンだった。そんな、
愛する女性と添い遂げれるDNAをもった
ルイスの対極である負け犬は私である。
小学校4年生当時、調音できなかった私は、
幼稚園のときに初めて遇って初恋に落ち、以来、
ずっと片思いしつづけてきた女性に、
TVアニメソングの節を採譜してもらった。
♪おーもーいーーい、 こーんだーあら、
しーれんーのー、みーちーーいをーーーー、
ゆーくがーーーー、おとーこのーーーーー、
どーこんーーじょーーおーーーー♪
その紙切れを今でも大切に持ってる。
一徹な、当てない片思いである。が、
その子がその後どうなったか、
今どうしてるか、
いっさい知らない。
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