……日本新党滅却すれば非も亦た図々し……
土岐氏明智光秀の娘玉(ガラシャ)が嫁いだ細川家の後裔
細川護煕に小沢との縁を取りもってもらった
野田新総理の「泥臭い政治」発言で一躍脚光を浴びてるのが
「ドジョウ」である。私はウナギは好きだが、
「泥鰌を食うなら金をくれ」というくらい、
おそらく「どろついを(泥の魚)」が語源だと思われる
ドジョウが苦手なので食わない。が、
浅草が地元の知り合いは4人が4人とも、
「駒形どぜう」より「飯田屋」のほうが旨い、と言い張る。
前者のほうがはるかに創業が古く、
「どぜう」という表記を普及させたという
"ハンデ"があるためか、とくに地方人には前者のほうの
知名度がはるかに高い。泥鰌は
手ぐすね引いて釣るのではなくざるで掬うのかもしれないが、
テグで開催されてた世界陸上が終わった。それにしても、
TBSのスポーツ・アナのレヴェルは総じて低い。
女子800mは宇部三菱でも太平洋でも秩父小野田でもないが、
性別疑惑があるセメンヤをロシアのサーヴィナヴァ女史が抜いて優勝した。
二日前には、ハイジャンプでやはりロシアの子持ちチーチェラヴァ女史が
2m03で優勝。銀メダルはユーゴのブラシッチ女史が同高(試技回数の差)、
ディマルティーノ女史が2m00で銅メダルだった。ちなみに、
身長からどれだけ上を跳べたか、といえば、
ブラシッチ女史(193cm/203cm)=10cm、
チーチェラヴァ女史(178cm/203cm)=25cm、
ディマルティーノ女史(169cmcm/200cm)=31cm、
ということになる。これはいわゆる
ヌキといわれるもので、ブラシッチ女史など、
たったの10cm。チャチな記録である。かつて、
八木たまみ女史というハイジャンパーがいた。同女史は
身長164cmで跳躍最高記録が190cmだった(しかも、ベリー・ロウル)。つまり、
同女史のヌキは26cmで当時としては世界最高だった。だから、
銅メダルのディマルティーノ女史は文字どおり
ヌキん出た数字である。ちなみに、
現在の男子のヌキの世界最高は、
1978年にNY・マディスン・スクエア・ガーデン(室内)で達成された
米国のフランクリン・ジェイコブズ選手(身長173cm-232cm跳躍)の
59cmだということである。屋外記録は、
1992年にロング・ビーチで記録された
リック・ノジ(日系米国人)選手(身長173cm-231cm跳躍)の
58cmなのだそうである。
レスリングやボクスィングなどは体重による階級分けがあり、
ほとんどの分野で性別分けが設けられてるにもかかわらず、
こうした陸上競技には身長・体重による区分けがない。が、
いっぽうで、今回の世界陸上の男子400mには、
両足義足の選手が出場して準決勝に進出し、また、
4*400mリレーでは予選でその一員として走ったため、
銀メダルを授与された。
さて、
"handicap(ハンディキャップ)"の語源について、
巷に普及してる説はいくつかある。が、どれも
判デ押したようにはっきりとした起源は示されてない。ただ、
"hand-in-cap"に由来するらしいことに関しては
いずれも同じである。ともあれ、
現在、大多数が連想する
「競技やゲイムで力量の優る者に与えられる特別負荷措置」や
「なんらかの身体的または知的障害」といった意味は、
元来の意味から派生したもので、本質的ではない。
私は"handicap"の起源をこう推測する。
"hand-in-cap"とは直訳すれば「帽子の中の手」である。
それでいいのである。
カード・ゲイムでの話である。ただし、おそらく
起源の頃である17世紀当時のゲイムを、
我がやどのいささカヴでの保存がよろしくなかった
1988年のシャトー・ラトゥールを夏場に冷蔵庫で12度にして
赤ワインでも冷やしワインとして飲んでしまうほど
拙脳なる私は知らないので、
現在のカード・ゲイムの主流であるpokerを例にとる。
"hand"とは「賭け金」「額」のことである。そして、
"cap"とは「上限」のことである。
こうしたギャンブルにおいては、勝負は
偶然の輸贏だけでなく、実は資金力も大きくものをいう。
持ち金に余裕がある者とない者とでは、
"同じテイブル"につくことはできないのである。たとえば、
Aは1万円賭けよう、と言うのに、Bは千円、さらに
Cは百円しか賭ける銭がない、
ということであれば、賭けは成立しない。
「同額どうしを張る」ことが賭けの前提だからである。が、
帽子をひっくりかえして、その中に各々が出せるだけの
賭け金を手に握って入れてごっちゃまぜにしてしまえば、
「総賭け金の内訳はわからなくなる」ので、
「持てるAもジェントルさを愛でられ、スカンピンのCのプライドも傷つかない」
というわけである。これは、
現在のpokerにおいて、上限なしのゲイムであっても、
賭けれる額は手札が決まった時点でテイブル上にあるチップだけ、
というルールに残ってる。つまり、これだと、
持ってるチップが最少額のプレイアーの額までしか皆賭けれないのである。
この「配慮」は各方面において次第に
「技量に優劣がある場合」の「釣合」措置となってったのである。
ハンディキャップを負った人にそれ相応の配慮をすることが、
現在では「ハンデ(ィキャップ)」という認識になってる。
それはそうあるべきではあるのだが、
過度に配慮してるきらいがあるようにも思える。その点、
今回の世界陸上で両足が義足の選手が通常の選手の中で
出場したことは、いろいろな意味で意義のあることだった。
それにしても、
私など、低学歴・低収入・丁バック好き、という三重テイ苦を背負ってるのに、
優しい言葉をかけてくれるお姉さんも、
同情の手を差し伸べてくれる女性も、皆無である。
これはまさしく不公平そのものではないだろうか!
[煎餅焼けど、煎餅焼けど尚、
我が暮らし、楽にならざり。
ぢっと汗ばむ掌を見る]
[とんぼが淋しい枕にとまりに来てくれた]
トホホ。
土岐氏明智光秀の娘玉(ガラシャ)が嫁いだ細川家の後裔
細川護煕に小沢との縁を取りもってもらった
野田新総理の「泥臭い政治」発言で一躍脚光を浴びてるのが
「ドジョウ」である。私はウナギは好きだが、
「泥鰌を食うなら金をくれ」というくらい、
おそらく「どろついを(泥の魚)」が語源だと思われる
ドジョウが苦手なので食わない。が、
浅草が地元の知り合いは4人が4人とも、
「駒形どぜう」より「飯田屋」のほうが旨い、と言い張る。
前者のほうがはるかに創業が古く、
「どぜう」という表記を普及させたという
"ハンデ"があるためか、とくに地方人には前者のほうの
知名度がはるかに高い。泥鰌は
手ぐすね引いて釣るのではなくざるで掬うのかもしれないが、
テグで開催されてた世界陸上が終わった。それにしても、
TBSのスポーツ・アナのレヴェルは総じて低い。
女子800mは宇部三菱でも太平洋でも秩父小野田でもないが、
性別疑惑があるセメンヤをロシアのサーヴィナヴァ女史が抜いて優勝した。
二日前には、ハイジャンプでやはりロシアの子持ちチーチェラヴァ女史が
2m03で優勝。銀メダルはユーゴのブラシッチ女史が同高(試技回数の差)、
ディマルティーノ女史が2m00で銅メダルだった。ちなみに、
身長からどれだけ上を跳べたか、といえば、
ブラシッチ女史(193cm/203cm)=10cm、
チーチェラヴァ女史(178cm/203cm)=25cm、
ディマルティーノ女史(169cmcm/200cm)=31cm、
ということになる。これはいわゆる
ヌキといわれるもので、ブラシッチ女史など、
たったの10cm。チャチな記録である。かつて、
八木たまみ女史というハイジャンパーがいた。同女史は
身長164cmで跳躍最高記録が190cmだった(しかも、ベリー・ロウル)。つまり、
同女史のヌキは26cmで当時としては世界最高だった。だから、
銅メダルのディマルティーノ女史は文字どおり
ヌキん出た数字である。ちなみに、
現在の男子のヌキの世界最高は、
1978年にNY・マディスン・スクエア・ガーデン(室内)で達成された
米国のフランクリン・ジェイコブズ選手(身長173cm-232cm跳躍)の
59cmだということである。屋外記録は、
1992年にロング・ビーチで記録された
リック・ノジ(日系米国人)選手(身長173cm-231cm跳躍)の
58cmなのだそうである。
レスリングやボクスィングなどは体重による階級分けがあり、
ほとんどの分野で性別分けが設けられてるにもかかわらず、
こうした陸上競技には身長・体重による区分けがない。が、
いっぽうで、今回の世界陸上の男子400mには、
両足義足の選手が出場して準決勝に進出し、また、
4*400mリレーでは予選でその一員として走ったため、
銀メダルを授与された。
さて、
"handicap(ハンディキャップ)"の語源について、
巷に普及してる説はいくつかある。が、どれも
判デ押したようにはっきりとした起源は示されてない。ただ、
"hand-in-cap"に由来するらしいことに関しては
いずれも同じである。ともあれ、
現在、大多数が連想する
「競技やゲイムで力量の優る者に与えられる特別負荷措置」や
「なんらかの身体的または知的障害」といった意味は、
元来の意味から派生したもので、本質的ではない。
私は"handicap"の起源をこう推測する。
"hand-in-cap"とは直訳すれば「帽子の中の手」である。
それでいいのである。
カード・ゲイムでの話である。ただし、おそらく
起源の頃である17世紀当時のゲイムを、
我がやどのいささカヴでの保存がよろしくなかった
1988年のシャトー・ラトゥールを夏場に冷蔵庫で12度にして
赤ワインでも冷やしワインとして飲んでしまうほど
拙脳なる私は知らないので、
現在のカード・ゲイムの主流であるpokerを例にとる。
"hand"とは「賭け金」「額」のことである。そして、
"cap"とは「上限」のことである。
こうしたギャンブルにおいては、勝負は
偶然の輸贏だけでなく、実は資金力も大きくものをいう。
持ち金に余裕がある者とない者とでは、
"同じテイブル"につくことはできないのである。たとえば、
Aは1万円賭けよう、と言うのに、Bは千円、さらに
Cは百円しか賭ける銭がない、
ということであれば、賭けは成立しない。
「同額どうしを張る」ことが賭けの前提だからである。が、
帽子をひっくりかえして、その中に各々が出せるだけの
賭け金を手に握って入れてごっちゃまぜにしてしまえば、
「総賭け金の内訳はわからなくなる」ので、
「持てるAもジェントルさを愛でられ、スカンピンのCのプライドも傷つかない」
というわけである。これは、
現在のpokerにおいて、上限なしのゲイムであっても、
賭けれる額は手札が決まった時点でテイブル上にあるチップだけ、
というルールに残ってる。つまり、これだと、
持ってるチップが最少額のプレイアーの額までしか皆賭けれないのである。
この「配慮」は各方面において次第に
「技量に優劣がある場合」の「釣合」措置となってったのである。
ハンディキャップを負った人にそれ相応の配慮をすることが、
現在では「ハンデ(ィキャップ)」という認識になってる。
それはそうあるべきではあるのだが、
過度に配慮してるきらいがあるようにも思える。その点、
今回の世界陸上で両足が義足の選手が通常の選手の中で
出場したことは、いろいろな意味で意義のあることだった。
それにしても、
私など、低学歴・低収入・丁バック好き、という三重テイ苦を背負ってるのに、
優しい言葉をかけてくれるお姉さんも、
同情の手を差し伸べてくれる女性も、皆無である。
これはまさしく不公平そのものではないだろうか!
[煎餅焼けど、煎餅焼けど尚、
我が暮らし、楽にならざり。
ぢっと汗ばむ掌を見る]
[とんぼが淋しい枕にとまりに来てくれた]
トホホ。
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