競泳の日本代表が「魔法の水着」speedo社製の水着を着れない、
という話題がずっと進行中である。
水連が「契約」してる日本のメイカー3社の水着しか着れない、
のだそうである。そこには協会などの利権などが絡んでるのだろうが、
そもそも、「水連がメイカーと契約」いうこと自体が「おかしい」のである。
英国の企業に技術で負けてるということも情けないのであるが、
IOCが認可してるメイカーのものならどれでも、選手個人個人が
好きな水着を選べてしかるべきである。だから、逆に、メイカーと
「個人契約」して高額な金をもらってる選手などは、どんな
トホホ水着だろうがそこに誠意を尽くすべきである。
それでメダルが取れないなら、そこと結んだ自分の先見の明のなさも
実力のうち、というだけのことである。が、とはいっても、
ミヅノが北島選手にspeedoを着用させなかったら、
世間受けが悪くなる。かえって、太っ腹なところを見せたほうが、
今後の企業イメージをよくするかもしれない。
重い決断のときである。ときに、
私は知恵も知識も教養もなく知能も低いが、スノッブなので
ちょっとでも聞きかじったことはすぐひけらかしたくなるたちである。先週、
「チャイコフスキーの作品の興味深いタイトル」というようなサイトを見つけた。
そこに「興味深いタイトル」がいくつか列挙されてたが、その
列挙順および「日本語のタイトル」のいくつかから、すぐに、おそらく
同人が「ウィキペディア」を「ほぼ」そのまま写したものだな、と感じた。
なぜ「ほぼ」かといえば、コピペと思われたくなかったのか、
「ための」を「為の」としたふしがあるからである。それはともかく、
それらのタイトルの中で、妙に感じたのは次の3つである。
「法律家行進曲」
「妖精」
「ニコライ・ルビンシュテインの誕生日の為のセレナード」
これらをよく知らず、「一般的」なものだと思ってしまったからか、
私がよくやるように知識を示そうとして勇んで列挙してしまったのだろう。
まず、「法律家」であるが、これは1885年に、
チャイコフスキーの母校である「帝立法律学校」の
創立50周年祝賀会のために書いたものであり、
「法律家」という訳語は少しくズレてるのである。
「法律学校の」とか「法律学校生の」行進曲であろう。ちなみに、
チャイコフスキーはこのアニヴァーサリーに欠席だったようである。
次に、「妖精」であるが、
これは私も実際には「聴いた」ことがないものである。
よりどころは、唯一、チャイコフスキーの弟モデストの「話」である。
それによると、1879年の夏、チャイコフスキーは
妹アレクサーンドラの嫁ぎ先であるカーメンカに滞在した。
そこに滞在するたびに、チャイコフスキーは妹の子らのために
「家庭劇」の余興を演じてたが、この年は、
オクターヴ・フイエ(1821-1890)の戯曲「ラ・フェ」を
選んだということである。そして、それに「あてて」
「子守歌」と「ワルツ」を書いた、というのである。
楽譜などは残ってない、らしいが、モデストの記憶かなにかで、
「アダージョ、ト短調、6/8拍子」
*♪ラー<シ・<ド>シ<ド│>ラーー・ーー、<ミ│
>レーレ・レ<ミ<ファ│>ミーー・>ラーー*♪
という「子守歌」の断片だけが「伝えられて」る。が、
節も陳腐なものであり、何かの民謡かもしれない。また、
この「アダージョ」という「速度標語」も
チャイコフスキーらしくもない。おそらく、
こんなような「即席子守歌」は作ったのかもしれないが、
モデストの記憶力はあまりあてにできない。いずれにせよ、
ユル現存から出版されたものではもとよりないし、
現存さえしてない「幻」の曲である。
それから、3つめ。これが問題である。
「ニコライ・ルビンシュテインの誕生日の為のセレナード」
であるが、「誕生日」というのは間違いである。こうやって、
「プロ」が誤ったことをことさら「生徒」や無垢な人々に広め、
それを鵜呑みにしてしまう者がほとんどだから、
教育は荒廃するのである。ともあれ、これは
「ニコラーィ・ルビンシチェーィンの名の聖人の日のためのセレナード」
であって、ニコ・ルビの誕生日を祝ってるのではない。今は知らないが、
当時のロシアには「聖人を祝した日」というのがあって、
そういった聖人の名をつけられた人には、自身の誕生日以外にも、
その聖人の日が「記念日」だったのである。たとえば、
サンタ・クロウスの故事のモデルである聖ニコライが祝された日は、
12月6日である。これはロシア暦(ユリウス暦)であり、
2008年現在はこれに13日を、当時は12日を足すと、
現行ゴレゴリオ暦に換算される。
(*暦の換算については、このブログの
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/d/20041220
を参照されたい)。
であるから、12月19日となって、いわゆる「クリスマス」の
12月25日に近づくのである。が、それはともかく、
チャイコフスキーの師であり友人であるニコライ・ルビンシチェーインは、
6月2日が誕生日である。しかし、聖ニコライの名をもらってるので、
12月6日が「聖人の日」=「名の日」なのである。
1872年の12月6日に開かれるモスクワ音楽院の教師・生徒らによる
ニコライ・ルビンシチェーインを祝う「パーティ」に色を添えるために、
チャイコフスキーはこのセレナードを作ったのである。
フルート、クラリネット2管、ホルン、トランペット、
ヴァイオリン2丁、ヴィオーラ、チェロ、という9人編成。
「アンダンティーノ・クワーズィ・アレグレット、
イ短調(→イ長調)、3/4拍子」
*♪ミーー>ド│>ラーーー・ーーーー、・<シ>ラ<シ│
<ドーー>ラ・>ミーーー、・<♯ファーー<♯ソ│
<ラーー<シ・<ドーーー、・<レーーー│
<ミーーー・●●●●*♪
冒頭はヴィオーラとチェロのユニゾンで始められるが、
節が上昇すると、チャイコフスキーお得意の反行が
「心温まる」ような和声を形成してくのである。
曲の後半は長調に転じ、やがて、トランペットも交えて、
「ベト9」の「歓喜の歌」の尻尾の
*♪ソ>ミ>ド<レ・<ミー>レー*♪
のごとき
*♪ソーー>ミ│>ドーーー・ーーーー、・<レ>ド<レ│
<ミーー>ド・>ソーーー*♪
というふうに冒頭の主題が長化され、「讃歌」のようになってくのである。
さて、安田記念であるが、
土曜の東京競馬は「ゾロメ」が2鞍も出た。
「お色枠」は御破算かもしれないことである。現時点では
ニシノマナムスメ号、エアシェイディ号、アルマダ号、
の3頭のうちいずれかからの3連複を考えてることである。ただ、
マイル戦に実績がないハイアーゲーム号がやたらと気になることである。
という話題がずっと進行中である。
水連が「契約」してる日本のメイカー3社の水着しか着れない、
のだそうである。そこには協会などの利権などが絡んでるのだろうが、
そもそも、「水連がメイカーと契約」いうこと自体が「おかしい」のである。
英国の企業に技術で負けてるということも情けないのであるが、
IOCが認可してるメイカーのものならどれでも、選手個人個人が
好きな水着を選べてしかるべきである。だから、逆に、メイカーと
「個人契約」して高額な金をもらってる選手などは、どんな
トホホ水着だろうがそこに誠意を尽くすべきである。
それでメダルが取れないなら、そこと結んだ自分の先見の明のなさも
実力のうち、というだけのことである。が、とはいっても、
ミヅノが北島選手にspeedoを着用させなかったら、
世間受けが悪くなる。かえって、太っ腹なところを見せたほうが、
今後の企業イメージをよくするかもしれない。
重い決断のときである。ときに、
私は知恵も知識も教養もなく知能も低いが、スノッブなので
ちょっとでも聞きかじったことはすぐひけらかしたくなるたちである。先週、
「チャイコフスキーの作品の興味深いタイトル」というようなサイトを見つけた。
そこに「興味深いタイトル」がいくつか列挙されてたが、その
列挙順および「日本語のタイトル」のいくつかから、すぐに、おそらく
同人が「ウィキペディア」を「ほぼ」そのまま写したものだな、と感じた。
なぜ「ほぼ」かといえば、コピペと思われたくなかったのか、
「ための」を「為の」としたふしがあるからである。それはともかく、
それらのタイトルの中で、妙に感じたのは次の3つである。
「法律家行進曲」
「妖精」
「ニコライ・ルビンシュテインの誕生日の為のセレナード」
これらをよく知らず、「一般的」なものだと思ってしまったからか、
私がよくやるように知識を示そうとして勇んで列挙してしまったのだろう。
まず、「法律家」であるが、これは1885年に、
チャイコフスキーの母校である「帝立法律学校」の
創立50周年祝賀会のために書いたものであり、
「法律家」という訳語は少しくズレてるのである。
「法律学校の」とか「法律学校生の」行進曲であろう。ちなみに、
チャイコフスキーはこのアニヴァーサリーに欠席だったようである。
次に、「妖精」であるが、
これは私も実際には「聴いた」ことがないものである。
よりどころは、唯一、チャイコフスキーの弟モデストの「話」である。
それによると、1879年の夏、チャイコフスキーは
妹アレクサーンドラの嫁ぎ先であるカーメンカに滞在した。
そこに滞在するたびに、チャイコフスキーは妹の子らのために
「家庭劇」の余興を演じてたが、この年は、
オクターヴ・フイエ(1821-1890)の戯曲「ラ・フェ」を
選んだということである。そして、それに「あてて」
「子守歌」と「ワルツ」を書いた、というのである。
楽譜などは残ってない、らしいが、モデストの記憶かなにかで、
「アダージョ、ト短調、6/8拍子」
*♪ラー<シ・<ド>シ<ド│>ラーー・ーー、<ミ│
>レーレ・レ<ミ<ファ│>ミーー・>ラーー*♪
という「子守歌」の断片だけが「伝えられて」る。が、
節も陳腐なものであり、何かの民謡かもしれない。また、
この「アダージョ」という「速度標語」も
チャイコフスキーらしくもない。おそらく、
こんなような「即席子守歌」は作ったのかもしれないが、
モデストの記憶力はあまりあてにできない。いずれにせよ、
ユル現存から出版されたものではもとよりないし、
現存さえしてない「幻」の曲である。
それから、3つめ。これが問題である。
「ニコライ・ルビンシュテインの誕生日の為のセレナード」
であるが、「誕生日」というのは間違いである。こうやって、
「プロ」が誤ったことをことさら「生徒」や無垢な人々に広め、
それを鵜呑みにしてしまう者がほとんどだから、
教育は荒廃するのである。ともあれ、これは
「ニコラーィ・ルビンシチェーィンの名の聖人の日のためのセレナード」
であって、ニコ・ルビの誕生日を祝ってるのではない。今は知らないが、
当時のロシアには「聖人を祝した日」というのがあって、
そういった聖人の名をつけられた人には、自身の誕生日以外にも、
その聖人の日が「記念日」だったのである。たとえば、
サンタ・クロウスの故事のモデルである聖ニコライが祝された日は、
12月6日である。これはロシア暦(ユリウス暦)であり、
2008年現在はこれに13日を、当時は12日を足すと、
現行ゴレゴリオ暦に換算される。
(*暦の換算については、このブログの
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/d/20041220
を参照されたい)。
であるから、12月19日となって、いわゆる「クリスマス」の
12月25日に近づくのである。が、それはともかく、
チャイコフスキーの師であり友人であるニコライ・ルビンシチェーインは、
6月2日が誕生日である。しかし、聖ニコライの名をもらってるので、
12月6日が「聖人の日」=「名の日」なのである。
1872年の12月6日に開かれるモスクワ音楽院の教師・生徒らによる
ニコライ・ルビンシチェーインを祝う「パーティ」に色を添えるために、
チャイコフスキーはこのセレナードを作ったのである。
フルート、クラリネット2管、ホルン、トランペット、
ヴァイオリン2丁、ヴィオーラ、チェロ、という9人編成。
「アンダンティーノ・クワーズィ・アレグレット、
イ短調(→イ長調)、3/4拍子」
*♪ミーー>ド│>ラーーー・ーーーー、・<シ>ラ<シ│
<ドーー>ラ・>ミーーー、・<♯ファーー<♯ソ│
<ラーー<シ・<ドーーー、・<レーーー│
<ミーーー・●●●●*♪
冒頭はヴィオーラとチェロのユニゾンで始められるが、
節が上昇すると、チャイコフスキーお得意の反行が
「心温まる」ような和声を形成してくのである。
曲の後半は長調に転じ、やがて、トランペットも交えて、
「ベト9」の「歓喜の歌」の尻尾の
*♪ソ>ミ>ド<レ・<ミー>レー*♪
のごとき
*♪ソーー>ミ│>ドーーー・ーーーー、・<レ>ド<レ│
<ミーー>ド・>ソーーー*♪
というふうに冒頭の主題が長化され、「讃歌」のようになってくのである。
さて、安田記念であるが、
土曜の東京競馬は「ゾロメ」が2鞍も出た。
「お色枠」は御破算かもしれないことである。現時点では
ニシノマナムスメ号、エアシェイディ号、アルマダ号、
の3頭のうちいずれかからの3連複を考えてることである。ただ、
マイル戦に実績がないハイアーゲーム号がやたらと気になることである。
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