小島信夫の小説には
リアリティのカケラもない。おそらくは
文章力がないことを逆手にとって、
意図的にそうした文章を書くように
努めてたのだろう。だから、
読者にはその"小説"なるものの
情景が浮かんでこない。同時受賞の
「プールサイド小景」の庄野潤三とは
対極をなす"芸風"である。
小道具も大道具もない、
アングラ芝居を観てるようにさせてるのである。
そこで描かれるものはもっぱら
登場人物の性根、人となりである。
「サザエ」の中のカツオのような浅知恵とセコサが
一般大衆にウケることを思えば、
編集者や同業者相手に小説を書いた小島の文章が
選考委員に認められたことは不思議でもない。が、
そうしたキャラクターが繰り広げる芝居は所詮茶番である。
気の利いたウィットやアイロニーを込めてるつもりなのだろうが、
それらはまったくシヨウモナイものばかりである。
センスのない低レヴェルのお笑い芸人がおサムいギャグを
(どうだ、おもしろいだろ)
とドヤ顔で押しつけてるかのようだ。
日本が戦って敗れたアメリカとは戦闘せずに済む
楽な兵役で生き延びた小島の、
アメリカへの皮肉も辟易とする。
戦争で日本のために命を落とした方々を愚弄してるに等しい。
中学生のときに新潮文庫の「アメリカンスクール」を読んで
現代作家(当時、小島は生きてた)の小説を読むことの無意味さを教えられた、
ということでは有意義だったとはいえる。
リアリティのカケラもない。おそらくは
文章力がないことを逆手にとって、
意図的にそうした文章を書くように
努めてたのだろう。だから、
読者にはその"小説"なるものの
情景が浮かんでこない。同時受賞の
「プールサイド小景」の庄野潤三とは
対極をなす"芸風"である。
小道具も大道具もない、
アングラ芝居を観てるようにさせてるのである。
そこで描かれるものはもっぱら
登場人物の性根、人となりである。
「サザエ」の中のカツオのような浅知恵とセコサが
一般大衆にウケることを思えば、
編集者や同業者相手に小説を書いた小島の文章が
選考委員に認められたことは不思議でもない。が、
そうしたキャラクターが繰り広げる芝居は所詮茶番である。
気の利いたウィットやアイロニーを込めてるつもりなのだろうが、
それらはまったくシヨウモナイものばかりである。
センスのない低レヴェルのお笑い芸人がおサムいギャグを
(どうだ、おもしろいだろ)
とドヤ顔で押しつけてるかのようだ。
日本が戦って敗れたアメリカとは戦闘せずに済む
楽な兵役で生き延びた小島の、
アメリカへの皮肉も辟易とする。
戦争で日本のために命を落とした方々を愚弄してるに等しい。
中学生のときに新潮文庫の「アメリカンスクール」を読んで
現代作家(当時、小島は生きてた)の小説を読むことの無意味さを教えられた、
ということでは有意義だったとはいえる。
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