1984年の8月25日は、米国の作家トゥルーマン・カポウティが死んだ日である。
(昨今の作家のほとんどは、この奇才作家の亜流である)と思えるくらい、
現代のサイコな諸問題を包括してる題材に溢れてる。
capote(カポーテ)とはスペイン語で闘牛のときに牛を煽る布のことをいう。
合羽(カッパ)の語源(ポルトガル語)の派生語である。
英語でいうcape(ケイプ)である。
おフランスでcapoteはコンドームの隠語にもガイトウする。
なにかでカポット咥えるものに装着するからかもしれない。いずれにせよ、
トゥルーマンのcapoteという「姓」はスペイン系である。
トゥルーマン4歳のときに両親が離婚し、母親が再婚した相手の「姓」を名乗った。
その義父がスペイン系だったのである。
トゥルーマン自身にスペイン系のDNAが流れてたかどうかは知らない。
のちに母親は自殺するが、マリリン・モンロウの母親のように、
「誰が本当の父親か」わからないような性生活をしてたかどうかは知らない。
が、幼年期に親戚をタライマワシにされたこととともに、
母親は自殺者、自身は高知能無学歴、という、マリリン・モンロウとオソロイの境遇である。
そんなせいか、ふたりは「仲良し」だった。そして、
カポウティの作品にしばしば描かれる「ユニ・セックス」な少年や少女、そして、
顔の良し悪しはともかくチビを主人公に据えるスタイルは、
肉体に劣等感を抱きながらも愛着してた自身のナルシシズムへのエクスキューズである。
「tru」man capote自身、チビだったが、米TVドラマ
「tru calling」の男性出演者陣もこぞって背が低い。
ともあれ、いかにも「女」という肉体を持ちながら、
少年のように束縛されたくない自由な心を持ち続けてたモンロウに、
カポウティは憧憬をいだいてたのかもしれない。いっぽうで、
ジャクリーン・ブヴィエ(ケネディやオナシスの女房になった女史)のような、
見るからにユニ・セックスな女性とも「仲良し」だったのである。つまり、
カポウティはJFKと「二重兄弟」だったのである。
さて、カポウティといえば、闘牛だからといって「陽はまた昇る」ではない。
やはり、そのタイトルの巧さと映画で知られた「ティファニーで朝食を」である。
そこに描かれてる女性主人公ホリデイ(聖子)・「ホリー(柊子)」・ゴライトリー
(go+lightly:無頓着にやっちゃう)は、
別の作家が書いた「剃刀の刃」の男性主人公ラリーの、
周囲が気をモームような生きかたに照らすとおもしろい。
「ドウン’ト・ワナ・スリープ、
ドウン’ト・ワナ・ダイ、
ジャスト・ワナ・ゴウ・ア-トラヴェリン’・
スルー・ダ・パスチャ・アヴ・ダ・スカイ」
さて、原作では「ムーン・リヴァー」も歌われないし、
メガネに出っ歯の日本人も出てこないが、
ホリーや私が住んでたアパートメントの最上階に暮らしてたのは、
Mr.YUNIOSHIという日系人である。私は
そのヘンテコリンな名の元をこう考える。
「ブレックファスト・アット・ティフニー’ズ」が書かれたのは、
1958年である。その4年前、ディマッジョとハニムーンで日本に行ったモンロウは、
宿泊してた帝国ホテルで軽い胃痙攣を起こし、「shiatsu」を受けて改善した。
そのことを、友人カポウティは聞いたにちがいない。
シュワッチといえばウルトラマンモンタロウだが、指圧といえば故浪越徳治郎先生である。
「指圧の心は、母心。押せば命の、泉わく。ウワァーッハッハッハッ」
親指を突き立てた両腕を前面に押しだすポウズが懐かしい。
「東大史上最高の成績で卒業」し「7億ドル以下の仕事は」せず
「20世紀に西海岸でもっともモテた」男と自笑する湯浅卓も、
あの決めposeには叶わない。「小説」の中でホリーが、
「ティファニーで朝食」の喩えを説明する箇所があるが、そこで出てくるのが、
『mean reds』という造語である。歯が「mean yellows」ではない。
私:「ティファニー、って、あの宝石店の?」
ホ:「もちろん。ティファニー、超好き。ねぇ、だって、
あの『mean reds』が蔓延ってた頃、覚えてるでしょ?」
私:「『ミーン・レッド』? 『ブルー』みたいなことを言ってんの?」
ホ:「もぉう。『ブルー』っていうのは、オデブちゃんになっちゃったり、
雨がずっと降りつづけてたりして、なるものでしょ。
でも、ただ落ち込むだけじゃない。『ミーン・レッド』っていうのはね、
ホラ吹きがばれてトラブルになっちゃったときくらい恐ろしいものなのよ……」
『mean reds』は、おそらく『みじめったらしい赤』というような意味であろう。
それはともかく、そういう「不安」から逃れるために、高級ブランドに夢中になるのも、
ストレス解消の知恵なのである。軽々に「暗愚スト」と非難することはできない。
さて、「噺がかなり脱線して」(死語の復活である)しまったが、
Mr.YUNIOSHIという日本人は、すなわち、
Mr.YUBIOSHI(指押し)『浪』越氏の指印交代である。ついでに言えば、
大東亜戦争は日本が米国の知略の餌食になった戦争であったが、
それまでには1931年、34年のロンドン軍縮会議に集約される、
海軍の軍艦保有比問題が存在してたのである。ちなみに、
「浜」口首相が東京駅でナショナリストに撃たれたのは、それが原因である。
♪わぁ~~れぇはぁ、うぅ~みのぉこぉ。しぃ~~らなぁみぃのぉ~~~~~~~♪
この歌の歌詞は「7番」まであり、「軍艦で海洋国日本を守る」という歌である。
その「2番」の歌詞の冒頭はこうである。
「生まれて潮に湯浴みして」……うまれて「しおにゆ」あみして……
「しおにゆ」は逆から読めば「ゆにおし」となる。
「我は海の子。白『浪』の」である。いずれにしても、
モンロウの肉体は暖簾を押したときのように手応えのないものではなく、
その白い肌にはつやがあり、筋肉にもゴム鞠リンのように
弾力が充分にあったことであろう。
(昨今の作家のほとんどは、この奇才作家の亜流である)と思えるくらい、
現代のサイコな諸問題を包括してる題材に溢れてる。
capote(カポーテ)とはスペイン語で闘牛のときに牛を煽る布のことをいう。
合羽(カッパ)の語源(ポルトガル語)の派生語である。
英語でいうcape(ケイプ)である。
おフランスでcapoteはコンドームの隠語にもガイトウする。
なにかでカポット咥えるものに装着するからかもしれない。いずれにせよ、
トゥルーマンのcapoteという「姓」はスペイン系である。
トゥルーマン4歳のときに両親が離婚し、母親が再婚した相手の「姓」を名乗った。
その義父がスペイン系だったのである。
トゥルーマン自身にスペイン系のDNAが流れてたかどうかは知らない。
のちに母親は自殺するが、マリリン・モンロウの母親のように、
「誰が本当の父親か」わからないような性生活をしてたかどうかは知らない。
が、幼年期に親戚をタライマワシにされたこととともに、
母親は自殺者、自身は高知能無学歴、という、マリリン・モンロウとオソロイの境遇である。
そんなせいか、ふたりは「仲良し」だった。そして、
カポウティの作品にしばしば描かれる「ユニ・セックス」な少年や少女、そして、
顔の良し悪しはともかくチビを主人公に据えるスタイルは、
肉体に劣等感を抱きながらも愛着してた自身のナルシシズムへのエクスキューズである。
「tru」man capote自身、チビだったが、米TVドラマ
「tru calling」の男性出演者陣もこぞって背が低い。
ともあれ、いかにも「女」という肉体を持ちながら、
少年のように束縛されたくない自由な心を持ち続けてたモンロウに、
カポウティは憧憬をいだいてたのかもしれない。いっぽうで、
ジャクリーン・ブヴィエ(ケネディやオナシスの女房になった女史)のような、
見るからにユニ・セックスな女性とも「仲良し」だったのである。つまり、
カポウティはJFKと「二重兄弟」だったのである。
さて、カポウティといえば、闘牛だからといって「陽はまた昇る」ではない。
やはり、そのタイトルの巧さと映画で知られた「ティファニーで朝食を」である。
そこに描かれてる女性主人公ホリデイ(聖子)・「ホリー(柊子)」・ゴライトリー
(go+lightly:無頓着にやっちゃう)は、
別の作家が書いた「剃刀の刃」の男性主人公ラリーの、
周囲が気をモームような生きかたに照らすとおもしろい。
「ドウン’ト・ワナ・スリープ、
ドウン’ト・ワナ・ダイ、
ジャスト・ワナ・ゴウ・ア-トラヴェリン’・
スルー・ダ・パスチャ・アヴ・ダ・スカイ」
さて、原作では「ムーン・リヴァー」も歌われないし、
メガネに出っ歯の日本人も出てこないが、
ホリーや私が住んでたアパートメントの最上階に暮らしてたのは、
Mr.YUNIOSHIという日系人である。私は
そのヘンテコリンな名の元をこう考える。
「ブレックファスト・アット・ティフニー’ズ」が書かれたのは、
1958年である。その4年前、ディマッジョとハニムーンで日本に行ったモンロウは、
宿泊してた帝国ホテルで軽い胃痙攣を起こし、「shiatsu」を受けて改善した。
そのことを、友人カポウティは聞いたにちがいない。
シュワッチといえばウルトラマンモンタロウだが、指圧といえば故浪越徳治郎先生である。
「指圧の心は、母心。押せば命の、泉わく。ウワァーッハッハッハッ」
親指を突き立てた両腕を前面に押しだすポウズが懐かしい。
「東大史上最高の成績で卒業」し「7億ドル以下の仕事は」せず
「20世紀に西海岸でもっともモテた」男と自笑する湯浅卓も、
あの決めposeには叶わない。「小説」の中でホリーが、
「ティファニーで朝食」の喩えを説明する箇所があるが、そこで出てくるのが、
『mean reds』という造語である。歯が「mean yellows」ではない。
私:「ティファニー、って、あの宝石店の?」
ホ:「もちろん。ティファニー、超好き。ねぇ、だって、
あの『mean reds』が蔓延ってた頃、覚えてるでしょ?」
私:「『ミーン・レッド』? 『ブルー』みたいなことを言ってんの?」
ホ:「もぉう。『ブルー』っていうのは、オデブちゃんになっちゃったり、
雨がずっと降りつづけてたりして、なるものでしょ。
でも、ただ落ち込むだけじゃない。『ミーン・レッド』っていうのはね、
ホラ吹きがばれてトラブルになっちゃったときくらい恐ろしいものなのよ……」
『mean reds』は、おそらく『みじめったらしい赤』というような意味であろう。
それはともかく、そういう「不安」から逃れるために、高級ブランドに夢中になるのも、
ストレス解消の知恵なのである。軽々に「暗愚スト」と非難することはできない。
さて、「噺がかなり脱線して」(死語の復活である)しまったが、
Mr.YUNIOSHIという日本人は、すなわち、
Mr.YUBIOSHI(指押し)『浪』越氏の指印交代である。ついでに言えば、
大東亜戦争は日本が米国の知略の餌食になった戦争であったが、
それまでには1931年、34年のロンドン軍縮会議に集約される、
海軍の軍艦保有比問題が存在してたのである。ちなみに、
「浜」口首相が東京駅でナショナリストに撃たれたのは、それが原因である。
♪わぁ~~れぇはぁ、うぅ~みのぉこぉ。しぃ~~らなぁみぃのぉ~~~~~~~♪
この歌の歌詞は「7番」まであり、「軍艦で海洋国日本を守る」という歌である。
その「2番」の歌詞の冒頭はこうである。
「生まれて潮に湯浴みして」……うまれて「しおにゆ」あみして……
「しおにゆ」は逆から読めば「ゆにおし」となる。
「我は海の子。白『浪』の」である。いずれにしても、
モンロウの肉体は暖簾を押したときのように手応えのないものではなく、
その白い肌にはつやがあり、筋肉にもゴム鞠リンのように
弾力が充分にあったことであろう。
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