チャイコフスキーの最後のオペラ「イョラーンタ」の終いは、
変イ長の主和音で閉じられてる。As durである。が、
Asはarsenicの略ではない。近所の人たちアース憎さに、
はやしライスにでなくカレーライスに混ぜた、肉づきのいい毒婦がいたことである。
ときに、現在、我が国で食されてる「一般的なカレーライス」を、
「インドカレー」と呼ぶにはいささかナンがあるそうである。
実際、インドを支配してた英国に伝わったカレーろいう「スープ」が、
大英王国海軍の食事に採り入れられ、明治に帝国海軍がそれに倣ったのである。
毎週、土曜のランチに食してた由(週休2日の今は金曜)。それが旨そうなので、
寄港地の住民に「そのレシピ、酸味一体で俺らにも寄こすか」と言われ、
船外に出て評判になり、やがては全国に広がってったのである。ちなみに、
英国ではカレー&ライスにヒジキは添えないそうである。
ラッキョウや福神漬けはどうだか知らないが。ところで、
福神漬けの名の由来は、七福神になぞらえた七種類の野菜を醤油漬けにした漬物、
だからだそうであるが、醤油といえば、徳川幕府が開河した利根川に沿イ・ソース、
野田と銚子である。千葉県である。さて、
「(悲愴の)第1楽章は、ベートーベンによって確立されたモデルに対する
『徹底したアンチテーゼ』である」
というモスクワ音楽院出の千葉氏による命題は、一面、真である。
楽神元祖ベートーベンは「9」つの交響曲を残し、
第4楽神チャイコフスキーは「6」つの交響曲を残した。
10とか7とか言ってるむきは救いようがないから置きさる。
さて、アドビ・フォトショップの画像回転機能を駆使するまでもなく、
「9」という下向き鼻の「像」さんを180度回転させると、
「6」という上向き鼻になる。が、「ベト『9』」に、
♪かーごめ、かーごーめ♪と亀甲マンに「うしろの正面」を向かしても、
「チャイ『6』」にはならない。同様に、
「ベト『6』」に「何かし」ても「チャイ『9』」にはならない。が、
チャイクではなく細工したのなら、「チャイ『6』」になるのである。
「ベト6」のニックネームは「田園交響楽」である。仏語にすれば、
「サンフォニ・パストラル」とでも言うのであろう。露語なら、
「パストラーリナヤ・スィンフォーニヤ」であろうか。この「鄙びた」名に
「虎ノ門」をくぐらせれば、田園調Fdurに家が建つ、かもしれないが、
阿片でも吸ってラリれば「サンフォニ・ファンタスティク」「幻想交響楽」。
さらに、抜きさしならぬ事態に陥れば、
「サンフォニ・パテティク」「パチチーチスカヤ・スィンフォーニヤ」
「悲愴交響楽」になるのである。
それはともかくも、「ベト6」終章は、
属調「ハ長」→主調「ヘ長」という開始をするのである。すなわち、
ヴィオラのC線・G線両開放弦のダブルストップによる「空虚5度」
に乗って、独クラが(ハ長の)
♪ドーー>ソー<ミ|〃♪を奏し、
ヴィオラの「C(<)G」にチェロの「F(<)C(=)」を「下乗せ」して、
独ホルンが(ハ長)の
♪ソーー>ドー<ド|〃♪を吹きはなち、
vnセコ以下の弦群がヘ長の主和音をお膳立てして、vnプリが(ヘ長の)、
♪ミーー>ドー<ソ|ミーー>ドー、>ソ|<ドー<ミ<ソー>ミ|<ファーーーー♪
と歌い始めるのである。そして、ベト神さまは、この
「6」番を180度回転させた「9」番(いずれも1♭=平行調ヘ長とニ短)
で、また「おんなじこと」をやったのである。すなわち、「第九」の開始を、
主調「ニ短」の属調たる「イ短」の主音「A」と属音「E」による
「空虚5度」をvnセコとチェロにオクターヴで刻ませ、ホルンに裏打ちさせ、
さらに、vnプリ、ヴィオラ、コンバスに受け継がせる形で、
♪ミ>ラーーー、ラ>ミーーー、ミ>ラーーー♪
と「ささやか」せ、クレッシェンドさせて「A」音だけにしぼったところで、
それを主調「ニ短」の属音として前置きにして、
♪ラ>ミーーー・ーーー、>ド|>ラーー、>ミ・ドーー、
<ミ>ド|ラーーー・ー(ニ短)♪
とトランスしたのである。これに「倣っ」た「アンチテーゼ」が、
「チャイ6」の「開始」である。「アンチテーゼ」であるからして、
主調「ロ短」の「属調」ではなく「下属調」の「ホ短」である。
2分割されたコンバスがそれぞれに、
「ホ短」の主音たる「E」音と同調の属音たる「H」音を重ねる。
「空虚5度」である。そこに、独ファゴが主題を乗せる。
じつにみごとな、よく考え抜かれた開始である。
「ちゃんねる・ロっク」などというダジャレにもならないコピーとは泥雲の差、
「ミ>ド>ラ>ファ>レ>シ>♯ソ>ミ」というヴィヴァルディ「春」緩徐章からの
「なんら意味のない」踏襲とはスッポンと月の違いである。
ところで、「悲愴」3楽章の「『A→B』→『A´→B´』」という
「2部*2回形式」の「A部」が「タランテッラ」かどうかは知らないが、
まぎれもなく「スケルツォ」である。その途中に現れる
♪ソ<ラ<シ・<ド>シ>ラ・>ソ♪/♪ミ<ファ<ソ・<ラ>ソ>ファ・>ミ♪は、
「ベト9」の「スケルツォ」中の
♪ドーー|ー<レ<ミ|<ファーー|>ミーー|ミーー|ー>レ>ド♪
と「同じ」登り下りである。いっぽう、
「悲愴」3楽章「B部」はまぎれもなく「行進曲」である。
ベルリオーズの「幻想交響楽」の4楽章は
「ギロチン執行人山村浅右衛門のもとまでの行進」であり、
ベートーベンの「合掌交響楽」の4楽章には「アッラ・マルチャ部」という
「トルコ行進曲」が収められてるのである。いずれも2♭「変ロ長」である。
ベルリオーズの「マルシェ」はともかく、ベートーベンの「マルシュ」は、
主調ニ短の下属調の平行調であり、チャイコフスキーの「マールシュ」は、
主調ロ短の下属調の平行調ト長である。チャイコフスキーは自分の「行進曲」を、
ベト神のお手本と相対的に同じ調関係においた、のである。
変イ長の主和音で閉じられてる。As durである。が、
Asはarsenicの略ではない。近所の人たちアース憎さに、
はやしライスにでなくカレーライスに混ぜた、肉づきのいい毒婦がいたことである。
ときに、現在、我が国で食されてる「一般的なカレーライス」を、
「インドカレー」と呼ぶにはいささかナンがあるそうである。
実際、インドを支配してた英国に伝わったカレーろいう「スープ」が、
大英王国海軍の食事に採り入れられ、明治に帝国海軍がそれに倣ったのである。
毎週、土曜のランチに食してた由(週休2日の今は金曜)。それが旨そうなので、
寄港地の住民に「そのレシピ、酸味一体で俺らにも寄こすか」と言われ、
船外に出て評判になり、やがては全国に広がってったのである。ちなみに、
英国ではカレー&ライスにヒジキは添えないそうである。
ラッキョウや福神漬けはどうだか知らないが。ところで、
福神漬けの名の由来は、七福神になぞらえた七種類の野菜を醤油漬けにした漬物、
だからだそうであるが、醤油といえば、徳川幕府が開河した利根川に沿イ・ソース、
野田と銚子である。千葉県である。さて、
「(悲愴の)第1楽章は、ベートーベンによって確立されたモデルに対する
『徹底したアンチテーゼ』である」
というモスクワ音楽院出の千葉氏による命題は、一面、真である。
楽神元祖ベートーベンは「9」つの交響曲を残し、
第4楽神チャイコフスキーは「6」つの交響曲を残した。
10とか7とか言ってるむきは救いようがないから置きさる。
さて、アドビ・フォトショップの画像回転機能を駆使するまでもなく、
「9」という下向き鼻の「像」さんを180度回転させると、
「6」という上向き鼻になる。が、「ベト『9』」に、
♪かーごめ、かーごーめ♪と亀甲マンに「うしろの正面」を向かしても、
「チャイ『6』」にはならない。同様に、
「ベト『6』」に「何かし」ても「チャイ『9』」にはならない。が、
チャイクではなく細工したのなら、「チャイ『6』」になるのである。
「ベト6」のニックネームは「田園交響楽」である。仏語にすれば、
「サンフォニ・パストラル」とでも言うのであろう。露語なら、
「パストラーリナヤ・スィンフォーニヤ」であろうか。この「鄙びた」名に
「虎ノ門」をくぐらせれば、田園調Fdurに家が建つ、かもしれないが、
阿片でも吸ってラリれば「サンフォニ・ファンタスティク」「幻想交響楽」。
さらに、抜きさしならぬ事態に陥れば、
「サンフォニ・パテティク」「パチチーチスカヤ・スィンフォーニヤ」
「悲愴交響楽」になるのである。
それはともかくも、「ベト6」終章は、
属調「ハ長」→主調「ヘ長」という開始をするのである。すなわち、
ヴィオラのC線・G線両開放弦のダブルストップによる「空虚5度」
に乗って、独クラが(ハ長の)
♪ドーー>ソー<ミ|〃♪を奏し、
ヴィオラの「C(<)G」にチェロの「F(<)C(=)」を「下乗せ」して、
独ホルンが(ハ長)の
♪ソーー>ドー<ド|〃♪を吹きはなち、
vnセコ以下の弦群がヘ長の主和音をお膳立てして、vnプリが(ヘ長の)、
♪ミーー>ドー<ソ|ミーー>ドー、>ソ|<ドー<ミ<ソー>ミ|<ファーーーー♪
と歌い始めるのである。そして、ベト神さまは、この
「6」番を180度回転させた「9」番(いずれも1♭=平行調ヘ長とニ短)
で、また「おんなじこと」をやったのである。すなわち、「第九」の開始を、
主調「ニ短」の属調たる「イ短」の主音「A」と属音「E」による
「空虚5度」をvnセコとチェロにオクターヴで刻ませ、ホルンに裏打ちさせ、
さらに、vnプリ、ヴィオラ、コンバスに受け継がせる形で、
♪ミ>ラーーー、ラ>ミーーー、ミ>ラーーー♪
と「ささやか」せ、クレッシェンドさせて「A」音だけにしぼったところで、
それを主調「ニ短」の属音として前置きにして、
♪ラ>ミーーー・ーーー、>ド|>ラーー、>ミ・ドーー、
<ミ>ド|ラーーー・ー(ニ短)♪
とトランスしたのである。これに「倣っ」た「アンチテーゼ」が、
「チャイ6」の「開始」である。「アンチテーゼ」であるからして、
主調「ロ短」の「属調」ではなく「下属調」の「ホ短」である。
2分割されたコンバスがそれぞれに、
「ホ短」の主音たる「E」音と同調の属音たる「H」音を重ねる。
「空虚5度」である。そこに、独ファゴが主題を乗せる。
じつにみごとな、よく考え抜かれた開始である。
「ちゃんねる・ロっク」などというダジャレにもならないコピーとは泥雲の差、
「ミ>ド>ラ>ファ>レ>シ>♯ソ>ミ」というヴィヴァルディ「春」緩徐章からの
「なんら意味のない」踏襲とはスッポンと月の違いである。
ところで、「悲愴」3楽章の「『A→B』→『A´→B´』」という
「2部*2回形式」の「A部」が「タランテッラ」かどうかは知らないが、
まぎれもなく「スケルツォ」である。その途中に現れる
♪ソ<ラ<シ・<ド>シ>ラ・>ソ♪/♪ミ<ファ<ソ・<ラ>ソ>ファ・>ミ♪は、
「ベト9」の「スケルツォ」中の
♪ドーー|ー<レ<ミ|<ファーー|>ミーー|ミーー|ー>レ>ド♪
と「同じ」登り下りである。いっぽう、
「悲愴」3楽章「B部」はまぎれもなく「行進曲」である。
ベルリオーズの「幻想交響楽」の4楽章は
「ギロチン執行人山村浅右衛門のもとまでの行進」であり、
ベートーベンの「合掌交響楽」の4楽章には「アッラ・マルチャ部」という
「トルコ行進曲」が収められてるのである。いずれも2♭「変ロ長」である。
ベルリオーズの「マルシェ」はともかく、ベートーベンの「マルシュ」は、
主調ニ短の下属調の平行調であり、チャイコフスキーの「マールシュ」は、
主調ロ短の下属調の平行調ト長である。チャイコフスキーは自分の「行進曲」を、
ベト神のお手本と相対的に同じ調関係においた、のである。
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