チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「納豆狂物語」

2008年07月13日 01時05分40秒 | 寝苦リジェ夜はネマキで観るキネマ
もう日が経ってしまったが、7月10日は
「納豆の日」なのだそうである。何だかんだいっても、
世の中、ダジャレで動いてるのである。私は
納豆が大好きではあるが、「ひきわり」はそれほどでもない。
大粒より断然に小粒が好きである。ときに、同日の昼に
NHK-BSで「名作」と言われてる映画「東京物語」が放送されてたらしい。
脚本が拙く整合性に欠け、編集に無駄が多く、カメラワークにセンスがなく、
それを昔の大根役者ばかりが演じててぎこちない、が、
それでも故小津安二郎の代表作、なのだそうである。それはともかく、
この映画の舞台のひとつとなってる広島県の町の路地は、
♪おの道ぃ~~はぁ~~~、いつか来た未知ぃ~~~♪
というようなデジャヴィュを想起させる。いっぽう、
奇しくもこの日に、広島県人会の二人、
読売巨人軍の二岡内野手と山本モナ女史の記事が掲載されてる
「女性セヴン」が発売された。すると、即日、両者にはそれぞれの
所属先からきついお達しが発せられたそうである。
アブソルートリー、ナット! 山本女史は
発進したばかりのフジtvの番組を降板させられるとか。やはり、
ニ年前にも民主党の舗装の路チューで切符を切られ、TBSの新規改装
「NEWS23」を降板させられた前科がある。ひょっとして、
同女史は「起用されたばかりの報道もどき番組を降板させられたい」
という「サキヨミ」に長けてるのかもしれない。そうすれば、番組の
「香盤表」から自分の名前が消える、という自虐的な願望が
いとも簡単に現実となるからである。
「番組を降ろされるのなんて、容易ね」
などとは言ってないかもしれないが、不倫相手の奥さんに対しては充分に
戦闘フォース態勢である。さて、
映画「東京物語」は松竹映画である。主人公(故笠智衆)の長男(故山村聡)は
嫁(故三宅邦子)や倅二人と東京の墨田区の小地区で町医者をしてる。
この場面を表すのに「煙突」が映される。ここから、のちに
三宅女史には「煙突さん、苦しそうね」というコピーの便秘対処薬の
大ヒットCMが与えられた。それはともかく、山村聡が生まれ育ったのは
尾道であり、映画のロウケイションからは、数年前に廃校になったらしい
「筒湯小」を出たことになる。そして、末っ子の次女(香川京子)が
そこの教諭になってるのであるが、母(故東山千栄子)の葬儀のあと、
亡き兄の未亡人(原節子)が東京に帰る列車を香川京子は教室の窓から見つめる。
というのがラストのほうの一場面である。ときに、
この小学校、才色兼備な山本モナ女史の母校らしい。
そんな映画が放送される日に発売になる女性週刊誌にゴシップが載る、
なんて、どうなっとうんか。やはり、
tvの連ドラ(白い巨塔)の最終回の前の週で、かつ。
自分がかつて出演した映画がtvで放送された日に
猟銃で顔をふっとばした故田宮次郎ばりの「演出」である。私は、
この日が「納豆の日」だということながら、
nat king cole(納豆・菌グ・コウル)の
「mona lisa」を別の理由で口ずさんでたのであるが、
monalogue(独り言)だったのは言うまでもない。
先週は2時間で10枚という、今の私にとっては超高速で煎餅を焼いたが、
今日はまだ10枚も手つかずなのが残ってるのである。
ダジャレなら湯水のように湧いてくるのだが、ただでさえ
目に見えないものを想像も創造もできない拙脳な私である。
風邪をひいて気管支をやられてしまってる状態には、
虚構はつらいものである。まぁ、実際にないものは描けなかった
ヴィンセントみたい、などと、いつも、だいそれた、つけ上がった、
言いわけをしてるが……ホッホッホ。ゴッホ……
咳をしてもひとり(放哉)→声カラス啼いて私もひ鳥(ラーメン屋)。ときに、
レオナルドの「モナリザ」の手が鳥の足に見えてしまうのは、
リア・ディゾン女史をついこの間までリア・地蔵尊というお笑芸人だと
思いこんでたほどに愚脳な私だからであろうか。
「頭がよくなる」らしい納豆をいっぱい食って、
ドロドロ血液をなんとかすれば少しは血のめぐりもよくなるだろうか。

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