スーラ サーカス
Georges Seurat(ジョルジュ・スラ、1859-1891)といえば、
「点描」「補色」である。
102歳まで生きたミシェル・ウジェヌ・シュヴルルの、
「補色は混ぜると相殺し合う、並置すれば互いに強める」
という理論にスラは拠った。そして、
「光を捉える」などと言いながらやみくもに線描してた
モネ・ルヌワル一派の絵に飽き足らなかったスラは、
色を分割配置することによって、印象派の筆致よりも、
絵に鮮やかさを与えることができると思い立った。
器の中でかき混ぜてしまってから食べる人種とは異なる、
日本人の口中交味の趣と同じである。また、
シャルル・アンリの理論(というほどたいそうなものでもないが)からは、
「陽気=暖色(赤・橙・黄)、陰気=寒色(緑・青・紫)」、そして、
ダヴィド・ピエル・ジョッティノ・フンベルト・ド・シュペルヴィルの
「陽気=上昇する線、静寂・休息=水平線、悲しみ=下降線」
という考えを用いた。これに倣ったのが、スィニャク。そして、
金儲けに走ったり、方向が違って去ってった者ばかりの中で、
ずっと印象派展に出品してきて最後まで残った
ピサロ、とその倅である。
さて、
"Le Cirque"(ル・スィルク=サーカス、1890-1891)は、
31歳で死んだスラの遺作である。そして、
未完成である。よって、
スラが実際に最終的にはどんな色にするつもりだったか、
鈴木カップリングと文鮮明(日本留学時代の通称江本鮮明)の
カップリングとの違いは解るが、ノーベル化学賞鈴木章と
政治評論家三宅久之(ともに昭和5年生まれ)の
声の違いは聞き分けれない拙脳なる私には解らない。が、
黄色いコスチュムで、上に向けた孤の形の両手、の女曲馬師は
「陽気さ」の象徴なのかもしれない。
この絵にスィメトリはなく、左右非対称である。が、
サーカスのサークルの曲線と対照をなすのが、
水平線で描かれた客席である。そして、
サークルに近いアリーナ席にはブルジュワが座し、
段が上に行くほど庶民の席になってく、
という構造である。ちなみに、
最上段の労働者たちの帽子がわずかに青みを帯びてるだけで、
その他の観客もほとんどが黄か赤で描かれてる。
絵全体も黄と赤が配されてる、という
「表面的には"陽気"な絵」である。
この絵はスラが中心となって創設した
アンデパンダン展(アカデミから独立した、という意味)の
1891年の第7回展に間に合わせるために、
スラ自身が急遽縁取りをして出品したという。が、
人々の喝采は得れなかった。その縁取りは、
♪青ーいーふちーどりーがー、ありましーたーーーー♪
というように、絵のほとんどを占める黄・赤を囲むように、
青い縁取りをスラは施したのである。そして、
すぐにあっけなく死んでしまう。
何事も秘密めいてたスラは、死の2日前まで、
妻子がいたことすら、親に知らせてなかったという。が、
妻子持ちではどんなに秘密めいて振る舞っても、
どんなに若死にしても、所詮は
「子供という最大の作品」を残せるただの凡人である。
死因は何らかの理由ではっきりされてない。
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