[The inclination to dominant key;
the main theme of Valse in Tschaikowsky's "Symphony No.5"]
ブルックナーとチャイコフスキーに接点があったかどうか、
ヴァグネリアンでもなく煉り餡が特に好きというわけでもない
素人の私には知るよしもない。が、少なくとも、
バイロイト祝祭劇場のこけら落し「ニーベルングの指輪」を、
したがって、最終日の「神々の黄昏」も、
両者がともに観てたことは確かである。
ファン・デル・ワールスの誕生日11月23日が千秋楽の、
横綱・白鵬の決戦優勝に終わった九州場所は、かねてから
“ガチンコ”力士といわれてた幕内力士8名のうち、
西小結・安美錦(8-7)が殊勲賞、
東前頭4枚め・稀勢の里が11勝、
同14枚め・高見盛が10勝、
という結果だった。いっぽう、今日は
JRAの競馬がある月曜だった。
tvkでの放送が昼からではなく15:00からだったので、
しかたなく有料放送のほうをみることにした。が、
画像、映像編集などが拙く、見づらいばかりでなく、
高ランクでないキャスター連を起用してるため、
音声も聞きづらい。とくに、今日は
最低の“コンビ”だった。男は
TVでとってはならない言葉づかい・態度をとる例の輩、女は
よくあの声と滑舌の悪さでキャスターなどやろうという
思い違いタレント。見苦しいの聞き苦しいのったらありゃしない。
京都競馬の“修学院ステークス”が始まると、
「修学旅行みたいな名前ですね」などと言う始末。
シェ(紫衣)ー! ってなもんである。つまりは、
高校の修学旅行先がアメリカだった、
というしょうもない自慢がしたかったようである。これでは、
他人の写真肖像権や人格権の侵害などおかまいなしなわけである。
自己顕示欲と支配欲求が旺盛なのかもしれない。もっとも、
ゆずの北川悠仁と俳優の小日向文世の顔の判別をすることも
難儀な拙脳な私の感想である。ときに、幼少期に
pokerで無役のカードを配られたような境遇に置かれて
心的外傷(たとえば、貧困・容姿を嘲笑われ)を負った者が、
長じて支配欲求を異様に増長させる場合がある。
SMクラブの“女王様”を「ドミナ」などと呼ぶむきもあるが、
ドーミナしても安っぽい・厚化粧の・ガタイがでかい・根性曲り、
というのが相場である。ラテン語は省略して英語でいえば、
「dominate」という単語は、
「支配する」「権力を誇示する」「目立つ」
というような意味の動詞である。その形容詞形は
「dominant」であるが、意味としては、
「優位にある」「支配してる」というものである。いっぽう、
これが音楽関係の名詞としても用いられる。
「属音(5度・第5音)」である。
属音は調を「支配」してる音、だからという理由である。
チャイコフスキーの「交響曲第5番」の「舞踊曲楽章」は、
「ワルツ」である。「ワルツ」を交響曲の「舞踊曲楽章」に
初めて用いたのは、ベルリオーズの「幻想交響曲」らしい。
フランス人であるから「ヴァルス」である。が、
このチャイコフスキーの「交響曲第5番」の「ワルツ」は、
「アッレーグロ・モデラート(四分音符=138)」
という超スロウなワルツである。通常のワルツが、
「附点2分音符=60」つまり「四分音符=180」程度、
だから、千昌夫の「星影のワルツ」ほどでないにしろ、
かなりな遅さ、である。こんなに「遅い」ワルツを、
チャイコフスキーは他にあまり書いてない。いずれにせよ、
8分の1フランス人なチャイコフスキーの「交響曲第5番」も、
「ヴァルス」である。ときに、天下の
「tchaikovsky research」とうウェブサイトの
「forum」というカテゴリーの中の
「Tchaikovsky Anniversar」という投稿項目へ私が
「Kamomeno Iwao(=rocks sea gulls perch on,
which means Peter Tschaikowsky)」
というヘンな日本人として投稿した、
Gounod's "Ave Maria":
"mi---------------^fa----------- fa-
^so-----------_re---^mi--------- ",
and the 2nd movement of Tschaikowsky's
"Piano Concerto No.2" that it was composed
in December 1879 at PARIS, its main theme:
"mi-----------^fa-----------^so--^la_so-----_re-
^mi-----------"(in D major).
And bar 12 to 16 of Gounod's "Ave Maria";
"mi---------mi-^fa-^so-^la-----_la-la---
^re---------re-^mi-^fa-^so-------_so---
^do---------do-^re-^mi-",
and Tschaikowsky's "Symphony No.5" was created in 1888
after visiting in PARIS and meeting Gounod several times,
its main theme of the 2nd movement:
"mi-^fa-^so-so-----_la-----------,
^re-^mi-^fa-fa-----_so-----------,
^do-^re-^mi-mi-----mi----mi-mi---------"(in D major).
Quater of ancestors of Tschaikowsky's mother Aleksandra
are French. I suppose that Tschaikowsky had regarded her
as "Notre Dame" gratia plena.
Gounod firstly composed "Ave Maria" in 1853,
the one year later Tschaikowsky lost his mother
at the age of 14 in 1854,
and Gounod who lost his father at 5 years old
was separated by death with his mother in 1858,
Next year "Ave Maria" was remade in 1859,
to the best of my GNOSIS.
(外国語のひとつも話せない愚能な私であるから、
ネットの某翻訳サイトを利用しても訳せなかった文ゆえ、
当然ながら拙い英文なので悪しからず了承願いたい)
のとおり、チャイコフスキーの「交響曲第5番」は、
きわめて「フレンチ指向」な作品なのである。それはさておき、
この「ヴァルス」の主要主題の前4小節は、
*♪ミーー>レ>ド>シ│>ラー>ソーーー│
<ラーー<シ<ド>ラ│<レーーーーー*♪
(イ長調)である。じつに「甘く」「優美な」、
チャイコフスキーの育ちの良さがつい出てしまう、
気品にあふれた調べである。が、後4小節は、
*♪>♯ファーー<ソ<ラ<シ│<レー>ドーーー│
>ミーー<♯ファ<ソ<ラ│<ドーー>シ>ラ>ソ*♪
と、「ファ」が半音上げられてるのである。つまり、
*♪>しーー<ど<れ<み│<そー>ふぁーーー│
>らーー<し<ど<れ│<ふぁーー>み>れ>ど*♪
という、「♯ファ→し」と置換され「ホ長調」に
転じられてるものなのである。主題中で
「イ長調(3♯)→ホ長調(4♯)」と、
属調に転調してるのである。いっぽう、
この主題群の後半は、
*♪ファーー>ミ>レ>♯ド│<ミー>レーーー│
<ファーー>ミ>レ>♯ド│<ミーー、
>レ<ミ<ファ│<ラーー、
>ソ<ラ<シ│<ド>シ>ラ>ソ、>♯ファッ>ミッ│
<♯ファ>ミ>レ>ド、>シッ>ラッ│
<ミ>レ>ド>シ、>ラッ>ソッ*♪
である。が、ここでも、後4小節では「ファ」が半音上げられ、
*♪<ド>シ>ラ>ソ、>♯ファッ>ミッ│
<♯ファ>ミ>レ>ド、>シッ>ラッ│
<ミ>レ>ド>シ、>ラッ>ソッ*♪
は実質的には、「♯ファ→し」と置換され、
*♪<ド>シ>ラ>ソ、>(♯ファッ→)しっ>らっ│
<し>ら>そ>ふぁ、>みっ>れっ│
<ら>そ>ふぁ>み、>れっ>どっ*♪
と、属調である「ホ長調」に転じられてるのである。英語で、
「属調」は「dominant key」である。
この「イ長調→ホ長調」そして「ホ長調→イ長調」という
相互間に働く力はファン・デル・ワールス力ではないが、
ファン・デル・ワルツ力ということはできよう。ちなみに、
「ヴァルス」の前の緩徐楽章の終いは、
同楽章の主調であるニ長調(2♯)で締めくくられるが、
「一番上」の音はクラリネットによる主音のdではなく、
vnプリーモによる「属音」の「a」なのである。ここですでに、
「属音指向」が刻まれてる、ということに留意すべきである。
トニカく、テミルカノフごときには解かるまい。
the main theme of Valse in Tschaikowsky's "Symphony No.5"]
ブルックナーとチャイコフスキーに接点があったかどうか、
ヴァグネリアンでもなく煉り餡が特に好きというわけでもない
素人の私には知るよしもない。が、少なくとも、
バイロイト祝祭劇場のこけら落し「ニーベルングの指輪」を、
したがって、最終日の「神々の黄昏」も、
両者がともに観てたことは確かである。
ファン・デル・ワールスの誕生日11月23日が千秋楽の、
横綱・白鵬の決戦優勝に終わった九州場所は、かねてから
“ガチンコ”力士といわれてた幕内力士8名のうち、
西小結・安美錦(8-7)が殊勲賞、
東前頭4枚め・稀勢の里が11勝、
同14枚め・高見盛が10勝、
という結果だった。いっぽう、今日は
JRAの競馬がある月曜だった。
tvkでの放送が昼からではなく15:00からだったので、
しかたなく有料放送のほうをみることにした。が、
画像、映像編集などが拙く、見づらいばかりでなく、
高ランクでないキャスター連を起用してるため、
音声も聞きづらい。とくに、今日は
最低の“コンビ”だった。男は
TVでとってはならない言葉づかい・態度をとる例の輩、女は
よくあの声と滑舌の悪さでキャスターなどやろうという
思い違いタレント。見苦しいの聞き苦しいのったらありゃしない。
京都競馬の“修学院ステークス”が始まると、
「修学旅行みたいな名前ですね」などと言う始末。
シェ(紫衣)ー! ってなもんである。つまりは、
高校の修学旅行先がアメリカだった、
というしょうもない自慢がしたかったようである。これでは、
他人の写真肖像権や人格権の侵害などおかまいなしなわけである。
自己顕示欲と支配欲求が旺盛なのかもしれない。もっとも、
ゆずの北川悠仁と俳優の小日向文世の顔の判別をすることも
難儀な拙脳な私の感想である。ときに、幼少期に
pokerで無役のカードを配られたような境遇に置かれて
心的外傷(たとえば、貧困・容姿を嘲笑われ)を負った者が、
長じて支配欲求を異様に増長させる場合がある。
SMクラブの“女王様”を「ドミナ」などと呼ぶむきもあるが、
ドーミナしても安っぽい・厚化粧の・ガタイがでかい・根性曲り、
というのが相場である。ラテン語は省略して英語でいえば、
「dominate」という単語は、
「支配する」「権力を誇示する」「目立つ」
というような意味の動詞である。その形容詞形は
「dominant」であるが、意味としては、
「優位にある」「支配してる」というものである。いっぽう、
これが音楽関係の名詞としても用いられる。
「属音(5度・第5音)」である。
属音は調を「支配」してる音、だからという理由である。
チャイコフスキーの「交響曲第5番」の「舞踊曲楽章」は、
「ワルツ」である。「ワルツ」を交響曲の「舞踊曲楽章」に
初めて用いたのは、ベルリオーズの「幻想交響曲」らしい。
フランス人であるから「ヴァルス」である。が、
このチャイコフスキーの「交響曲第5番」の「ワルツ」は、
「アッレーグロ・モデラート(四分音符=138)」
という超スロウなワルツである。通常のワルツが、
「附点2分音符=60」つまり「四分音符=180」程度、
だから、千昌夫の「星影のワルツ」ほどでないにしろ、
かなりな遅さ、である。こんなに「遅い」ワルツを、
チャイコフスキーは他にあまり書いてない。いずれにせよ、
8分の1フランス人なチャイコフスキーの「交響曲第5番」も、
「ヴァルス」である。ときに、天下の
「tchaikovsky research」とうウェブサイトの
「forum」というカテゴリーの中の
「Tchaikovsky Anniversar」という投稿項目へ私が
「Kamomeno Iwao(=rocks sea gulls perch on,
which means Peter Tschaikowsky)」
というヘンな日本人として投稿した、
Gounod's "Ave Maria":
"mi---------------^fa----------- fa-
^so-----------_re---^mi--------- ",
and the 2nd movement of Tschaikowsky's
"Piano Concerto No.2" that it was composed
in December 1879 at PARIS, its main theme:
"mi-----------^fa-----------^so--^la_so-----_re-
^mi-----------"(in D major).
And bar 12 to 16 of Gounod's "Ave Maria";
"mi---------mi-^fa-^so-^la-----_la-la---
^re---------re-^mi-^fa-^so-------_so---
^do---------do-^re-^mi-",
and Tschaikowsky's "Symphony No.5" was created in 1888
after visiting in PARIS and meeting Gounod several times,
its main theme of the 2nd movement:
"mi-^fa-^so-so-----_la-----------,
^re-^mi-^fa-fa-----_so-----------,
^do-^re-^mi-mi-----mi----mi-mi---------"(in D major).
Quater of ancestors of Tschaikowsky's mother Aleksandra
are French. I suppose that Tschaikowsky had regarded her
as "Notre Dame" gratia plena.
Gounod firstly composed "Ave Maria" in 1853,
the one year later Tschaikowsky lost his mother
at the age of 14 in 1854,
and Gounod who lost his father at 5 years old
was separated by death with his mother in 1858,
Next year "Ave Maria" was remade in 1859,
to the best of my GNOSIS.
(外国語のひとつも話せない愚能な私であるから、
ネットの某翻訳サイトを利用しても訳せなかった文ゆえ、
当然ながら拙い英文なので悪しからず了承願いたい)
のとおり、チャイコフスキーの「交響曲第5番」は、
きわめて「フレンチ指向」な作品なのである。それはさておき、
この「ヴァルス」の主要主題の前4小節は、
*♪ミーー>レ>ド>シ│>ラー>ソーーー│
<ラーー<シ<ド>ラ│<レーーーーー*♪
(イ長調)である。じつに「甘く」「優美な」、
チャイコフスキーの育ちの良さがつい出てしまう、
気品にあふれた調べである。が、後4小節は、
*♪>♯ファーー<ソ<ラ<シ│<レー>ドーーー│
>ミーー<♯ファ<ソ<ラ│<ドーー>シ>ラ>ソ*♪
と、「ファ」が半音上げられてるのである。つまり、
*♪>しーー<ど<れ<み│<そー>ふぁーーー│
>らーー<し<ど<れ│<ふぁーー>み>れ>ど*♪
という、「♯ファ→し」と置換され「ホ長調」に
転じられてるものなのである。主題中で
「イ長調(3♯)→ホ長調(4♯)」と、
属調に転調してるのである。いっぽう、
この主題群の後半は、
*♪ファーー>ミ>レ>♯ド│<ミー>レーーー│
<ファーー>ミ>レ>♯ド│<ミーー、
>レ<ミ<ファ│<ラーー、
>ソ<ラ<シ│<ド>シ>ラ>ソ、>♯ファッ>ミッ│
<♯ファ>ミ>レ>ド、>シッ>ラッ│
<ミ>レ>ド>シ、>ラッ>ソッ*♪
である。が、ここでも、後4小節では「ファ」が半音上げられ、
*♪<ド>シ>ラ>ソ、>♯ファッ>ミッ│
<♯ファ>ミ>レ>ド、>シッ>ラッ│
<ミ>レ>ド>シ、>ラッ>ソッ*♪
は実質的には、「♯ファ→し」と置換され、
*♪<ド>シ>ラ>ソ、>(♯ファッ→)しっ>らっ│
<し>ら>そ>ふぁ、>みっ>れっ│
<ら>そ>ふぁ>み、>れっ>どっ*♪
と、属調である「ホ長調」に転じられてるのである。英語で、
「属調」は「dominant key」である。
この「イ長調→ホ長調」そして「ホ長調→イ長調」という
相互間に働く力はファン・デル・ワールス力ではないが、
ファン・デル・ワルツ力ということはできよう。ちなみに、
「ヴァルス」の前の緩徐楽章の終いは、
同楽章の主調であるニ長調(2♯)で締めくくられるが、
「一番上」の音はクラリネットによる主音のdではなく、
vnプリーモによる「属音」の「a」なのである。ここですでに、
「属音指向」が刻まれてる、ということに留意すべきである。
トニカく、テミルカノフごときには解かるまい。
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