チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「カエデとモミジは同源語「黽(カエル)」(拙自説です)」

2012年11月29日 00時51分17秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
私は京都観光好きである。春夏秋冬に1度ずつは訪れてた。
寒さが苦手なので真冬はおろそかになって、
この頃は年3回といったところである。秋も難がある。
紅葉の頃はもっとも混雑するので、この15年ほどは
その時期を避けてる。だいたい10月に行くことにしてる。が、
昨年の秋の京都は都合で9月じゅうに立ち寄ってしまった。
今年も浮世の義理で10月に行けずに憂さ晴らしで
9月に行ってしまった。おかげで
モミジもカエデも緑のほうが好きになってしまったくらいである。
秋の紅葉の季節にはTV番組が特集を組むから、
それを見てれば事足りる。と思うことにしてる。
雪の金閣も映像で鑑るほうが手がかじかまないぶんましである。

高野辰之&岡野貞一コンビの唱歌に
「紅葉(もみじ)」というものがある。

♪ミ(あ)ー・>レ(き)>ド(の)・・<レ(ゆ)ー・<ミ(う)ー│
>ド(ひ)ー・ーー・・>ソ(に)ー・●●│
<ド(て)ー・>シ(る)<ド(ー)・・<レ(や)ー・<ソ(ま)ー│
>ミ(も)ー・>レ(み)>ド(ー)・・<レ(じ)ー・●●│
<ミー(こ)・>レ(い)>ド(も)・・<レ(う)ー・<ミ(す)ー│
>ド(い)ー・ーー・・>ソ(も)ー・●●│
<ド(か)ー・>シ(ず)<ド(ー)・・<レ(あ)ー・<ソ(る)ー│
>ミ(な)ー・>レ(か)ー・>ド(に)ー・●●│
<ソ(ま)ー・>ミ(つ)<ファ(を)・・<ソ(い)ー・<ラ(ろ)ー│
>ソ(ど)ー・ーー・・>ミ(る)ー・●●│
<ソ(か)ー・<ラ(え)>ソ(ー)・・>ミ(で)ー・>レ(や)>ド(ー)│
<レ(つ)ー・<ミ(た)ー・・>レ(は)ー・●●│
<ソ(や)ー・<ラ(ま)>ソ(の)・・>ミ(ふ)ー>レ(も)ー│
>ド(と)ー・ーー・・>ソ(の)ー・●●│
<ド(す)ー・>シ(そ)<ド(ー)・・<ミ(も)ー・>レ(よ)ー│
>ド(う)ー・ーー・・ーー・●●♪

最後の「ドー>シ<ド<ミー>レー>ドー・……」という音型は、
ビゼーの劇附随音楽「アルルの女」の#15をギローが組曲に編んだ
「間奏曲」の終いと同じである。この
アルルの女の「間奏曲」の旋律部は
「アニュス・デイ(神の子羊)」の詞が附けられて
ビゼーの音楽とはまったく無関係に賛美歌とされた。
シューベルトの「アウェ・マリア」の節と同じな祈り音型だからか。ともあれ、
キリスト者で教会オルガン伴奏者だった岡野貞一の
脳裡にこの「賛美歌」がこびりついてたのかもしれない。
「アルルの女」という芝居は、南仏の聖エルワの日を中心に設定されてる。
"Eloi de Noyon(ノワイヨンのエロワ、588-659)と一般に呼ばれる
聖エルワは、ラテン語でエリギウスという。聖人に列せられたが、もとは
あのムーソルグスキーの「展覧会の絵」にも出てくるリモージュ生まれの
金細工師だった。つまり、
オルフェーヴルである。その技を見込まれて
フランク王国メロヴィング朝のダゴベルト1世の廷臣に引き立てられた。
晩年はノワイヨンの司教となり、死後は収穫全般を司る聖人とされた。
南仏が舞台の「アルルの女」ではその聖人の祝日である
12月1日に収穫祭の盛大なフィナーレとなる。この祭は
現在ではクリスマスとも結びつけられてる。
ビゼーは「アルルの女」に「東方3マギの行進」を採ってる。
公現の儀礼である。
岡野のこうした「金銀細工」からの"引用"も、
「赤や黄色の色さまざまに水の上にも織る錦」
に彩られてるのだろう。

私は金銀細工というより不細工な顔で体も心もキモいので、
女性への生物的な魅力がない。
さらには何の才も能もないので稼ぎが乏しく、
ために結婚もできず、家庭も持てなかったので、
モミジのような手の赤ちゃんをあやしたこともない。

「万葉集・巻8-1623」
(大伴田村大嬢与坂上大嬢謌二首)の二首め
[吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無]
(わがやどに、もみつかへるて、みるごとに、いもをかけつつ、こひぬひはなし)
一般に、
(わが屋戸に黄変つ鶏冠木見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし)
と読み下されてる。
(拙大意)
「私の家に植わってる、黄葉したモミジを毎日見るごとに、
このモミジの葉の色のように心変わりしてしまったあなた(年下の女性)のことが
気になり気になりして、恋しいと思わない日はないことなのですよ)

大伴田村大嬢(おおとものたむらのおおいらつめ)が
イボガエル、否、異母妹にして大伴家持の正妻になったとされてる
坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)
に与えた(あなたの作として使ってね、という意味)歌のひとつである。
男が女に贈った歌の体で書かれてる。いずれにしても、
「黄変」した「蝦(かえる)の手」という表現である。もちろん、
葉の形が蛙の手に似てる、という論である。また、
この歌には関係ないが、その形から「鶏冠木」とも漢字表記される。ときに、
私は「五中裂」のカエデの葉が「黄変」したものが好きだが、
「黄色」といえばイチョウが落葉して一面黄色い絨毯のようになったさまは、
一種独特の色世界をひろげる。が、
万葉の歌人たちにはそれを表現することはなかった。
イチョウの木が日本に伝えられたのは鎌倉時代とされてるからである。
公暁は大銀杏の陰に隠れることはできなかったのである。

ともあれ、このように
「カエデ」の語源は、その葉の形が蛙の手に似ているから、
「カヘル手」→「カヘテ」→「カエデ」となった、
というのが一般的な説である。いっぽう、
「モミジ」のほうの語源は……
紅花を「揉み」て抽出した色素で染めた色を紅絹(もみ)と言うが、
それになぞらえて、
葉が色づきおわったことを古語で「もみつ」と表現するようになった。
それが「もみづ」となり、その連用形「もみぢ」が名詞化したもの
……というのが一般に説明されているものである。

たしかに、他にも、
蜜柑を「揉む」とクエン酸を破壊して酸っぱさを減じて、
「こないな酸っぱいもん、よう食エンで、しかし」
などと言われないように「美味しく」なる。その他、
茶葉や塩辛や漬物など、揉んで味の旨さを増す食品がある。
ひとまずそれは置いておくとして、
吉野の国栖(くず)は壬申の乱で大海人皇子が逃れた地として知られてる。
その大海人皇子が大友皇子を破って天武天皇となったのちに編纂させた
「日本書紀」には、国栖の村人が「蝦蟇(ガマ)」を煮て食したところ
美味だったのでこれを「毛瀰(モミ)」と称した、ということが書かれてる。
美味(ビミ)にも通じるかもしれないが、
一説に大和民族以前の先住民である蝦夷の言葉
「モ・ミン(小さい・肉)」という意味をかけてる、
とも言われてるらしい。ちなみに、
蝦夷の「蝦」は「カエル」をも意味する。
モム・チャンという言葉で日本でも知られるようになった
朝鮮語のモム(体=肉)もアイヌの言葉が入ったものかもしれない。

ちなみに、
カエルのもともとの漢字は、
「酋と黽を縦に並べた」形である。
この「黽(ボウ)」は"亀"の下の部分でもある。
魚貝以外のいわゆる水棲生物を表すらしい。
「水黽」で「アメンボ」である。

いずれにしても、
国栖の故事から「モミ」に「旨い」という意味づけがされたと推測できる。
関西では一昔前まで「もみない」というのが「もむない」となって
「旨くない」という意味として使われてた。いっぽうで、
毒があって食えないアマガエルのように「変色」する種がある。
そうした「カエル全般」をとらえて、
モミジの語源もカエルの手に形が似てることと、
「変色する」「旨い」に帰する、と私は考える。
「モミ(蛙)手」→「モミテ」→「モミデ」→「モミヂ(→モミジ)」
なのである。

醜いカエルの私は生物としてミジメな敗北者である。さらには、
伊達政宗の兜の前立てとNIKEのマークの違いを区別できない拙脳であるゆえ、
このような知識を組み立てて
偉ぶる(erable)しかない、という哀れな存在である。
♪ゲゲゲゲゲゲゲゲ、グワッグワッグワッ♪
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