オバQビルはまもなく解体がはじまるらしいが、小学館は
歌舞伎界を舞台にした嶋木あこ女史の人気漫画
「ぴんとこな」の版元である。この漫画が現在、
TBSでドラマ化され、低視聴率ながら、
木曜21時から放送されてる。
<「ぴんとこな」とは、歌舞伎用語で
「男らしさと憎みきれない色気を併せ持つ二枚目の役柄」
を意味してる>
と、TBSのウェブサイトでは説明されてる。一般にも、
「きりっとした芯のある二枚目」
というふうに解されてる。
ときに、
10年前に開業した六本木ヒルズのメトロハット地下の
回転寿司屋がこの「ぴんとこな」を商号にしてる。
<店内は歌舞伎の世界をモチーフにしてる>
のだという。
写楽が描いた三世沢村宗十郎の唇と
岸谷五郎の唇の区別がなかなかにつかない
拙脳なる私にはいまいちぴんとこないが。ちなみに、
「ぴんとこな」に対するのが「つっころばし」だとされてる。
背を突っついただけでもすぐに転んでしまいそうな優男、
という意味と説明されてる。
それはともあれ、
ではなぜ、「男らしさと憎みきれない色気を併せ持つ二枚目」を
「ぴんとこな」というのか、ということは、
どこにも説明されてない。
以下は私の"推測"である。
人形浄瑠璃とそこから題材を採った歌舞伎で、
唐人が登場するとき、象徴として
襟袈裟(えりげさ)を身に着ける。これを
「ぴんとこ」と言う。では、なぜこれをそう呼ぶのか?
これもどこにも説明されてない。私の憶測では、
「襟」のことを中国では「領」、
「袈裟」のようなもののことを「袍」、
と言うのではないかと思ってる。だから、
両方をあわせれば「襟袈裟」は
「領袍(日本の音読みでリョウホウ)」で、
中国式には「リンパオ」のような発音だったのではなかろうか。
「linpao」が「pintoko」のように日本人は聞いたのかもしれない。
襟袈裟とは、よだれかけにカンガルーの育児嚢をくっつけたような、
襟と前垂れがひとつになったものである。これは、
かつての中国仏教僧が托鉢時に身に着けてた
頭陀袋(ずだぶくろ)の一種である。
「ずだ」とは、サンスクリットの"dhuta(ドゥータ)"に由来する。
"dhuta(ドゥータ)"とは、「区別をなくすこと」が原義で、そこから、
「私欲を捨てること」→「削除」「破壊」「棄捨」
→「煩悩を捨てること」→「仏門の修行」
という語義をも意味するようになった。
ちなみに、
托鉢僧が袋を大きく開けて施しの銭を投げ入れてもらった
このドゥーダ・ズダ(dzuda)袋という語から、
井戸に何かが落ちて水面で起きる音を
「dzuda」→「dzudo」→「ズド」「ズドン」と擬するようになったのである。で、
托鉢も襟袈裟にではなく、鉢に入れてもらうようになったので、
その鉢を「ドン」=「丼」から丼鉢というようになった。また、
物が水の中に勢いよく落ちて発する音は、
「dubun(ヅブン)」「dobon(ドボン)」であり、
勢いがいい水に濡れた状態もズブ濡れと言い、
それが「すっかり」という意味に転じて
「ズブの素人」のような表現もされるようになり、また、
すっかり切り刻むことを「ズタズタ」と言うようになった。さらには、
水や水分を含んだ泥や濡れた状態の穴などに
物が深く沈んでくさまを
「dzubudzubu(ズブズブ)」と言うようになり、
一塊の液体が移動するさまを
「dobudobu(ドブドブ)」と表すようになった。同意の
「dzabudzabu(ザブザブ)」が→「zyabazyaba(ジャバジャバ)」→
「zyabuzyabu(ジャブジャブ)」となり、
LAレイカーズのセンターとして相手ティームを翻弄してかき混ぜるように、
水をかき混ぜる音を意味するようになった。
明朝末期の鄭成功を扱った「国姓爺合戦」で
唐人の登場人物が襟襟袈を身に着けてたことで、
「唐人」=「襟襟袈」
というイメージができあがった。また、
江戸時代は主たる外国交易は長崎において
中国とオランダとしか行ってなかった。そのことによって、
一般的な認識としては、日本人以外は
「外国人」というひとくくりな捉えかたとなった。だから、
歌舞伎や浄瑠璃の「唐人」という言葉も、
中国人だけでなく、西洋人もふくめた
「外国人全般」を指すようになったのである。
それにともなって、
「襟袈裟」の定義も、針金を入れて直角に
"ピンと張った"襟をもつ前垂れのみならず、
16世紀に西洋で流行して、いわゆる鎖国ののちも
オランダ人が身に着けてた
ruff(ラフ、襞襟)のことまで含むことになった。
西洋人(白人)は日本人に比して顔の彫りが深い。
「絵に描いたような」風貌である。英語のpaint、pictureは、
ラテン語の動詞pingo(ピンゴー、描く)の過去分詞
pictus(ピクトゥス、描かれた)が由来であるが、やはり
この語から派生したpintoは、
鎖国以前に日本に入ることを許されてたスペインやポルトガルでは、
pintar(描く)の直説法一人称単数現在形である。
「絵に描いたようなイイ男」を、
被写界深度が広い、彫の深い、焦点(pinto)が合ってる顔、
と受け取った可能性がある。
brandpunt(ブラントプント、レンズの発火点)が日本では
→punt(プント)→ピント(焦点)という"外来語"となった。
「焦点が合ってる」とは「鼻筋がとおってる」ことに等しい。
さて、冗談はともかく、
ポルトガル語のpintoという語には
ひよこという意味がある。英語ではcockである。つまり、
男性器を意味してるのである。対して、
ポルトガル語のcono、conaは
女性器を意味する(cone=円錐形だと考えられてたので)。
したがって、
「ぴんとこな」とは「ぴんと+こな」=「男女結合」。
女性が抱かれたいほどに魅力的な顔をした男を表す、
という次第である。
余談に……、
長崎に現在は上小島いう住居表示の一角がある。ここに、
ピントコ坂と通称されてる坂がある。
元禄3年(西暦およそ1690年)、
長崎に来てた明の商人の何旻徳(カ・ピントク)が
贋金造りの疑いで処刑された。同人は色男で、
丸山遊郭の登倭(阿登倭、とわ(おとわ))と契った仲だった。
ちなみに、それを妬んだ長崎奉行所の役人が旻徳に罪をきせた、
ということになってる。
登倭は旻徳の死骸をこの坂に埋葬し、その墓前で自刃して果て、
永久にあの世で結ばれた
……という噺が残ってるのである。いずれにしても、
上記のシモネタもふくめ、
生物的にどの女性からも契りたいと思われない私には
無関係な、ピンとこない話ではある。とはいえ、
京都ponto町に降る雪も、渡月橋に降る雪も、
雪に変わりがあるじゃなし。
溶けて流れりゃみな同じさ。
歌舞伎界を舞台にした嶋木あこ女史の人気漫画
「ぴんとこな」の版元である。この漫画が現在、
TBSでドラマ化され、低視聴率ながら、
木曜21時から放送されてる。
<「ぴんとこな」とは、歌舞伎用語で
「男らしさと憎みきれない色気を併せ持つ二枚目の役柄」
を意味してる>
と、TBSのウェブサイトでは説明されてる。一般にも、
「きりっとした芯のある二枚目」
というふうに解されてる。
ときに、
10年前に開業した六本木ヒルズのメトロハット地下の
回転寿司屋がこの「ぴんとこな」を商号にしてる。
<店内は歌舞伎の世界をモチーフにしてる>
のだという。
写楽が描いた三世沢村宗十郎の唇と
岸谷五郎の唇の区別がなかなかにつかない
拙脳なる私にはいまいちぴんとこないが。ちなみに、
「ぴんとこな」に対するのが「つっころばし」だとされてる。
背を突っついただけでもすぐに転んでしまいそうな優男、
という意味と説明されてる。
それはともあれ、
ではなぜ、「男らしさと憎みきれない色気を併せ持つ二枚目」を
「ぴんとこな」というのか、ということは、
どこにも説明されてない。
以下は私の"推測"である。
人形浄瑠璃とそこから題材を採った歌舞伎で、
唐人が登場するとき、象徴として
襟袈裟(えりげさ)を身に着ける。これを
「ぴんとこ」と言う。では、なぜこれをそう呼ぶのか?
これもどこにも説明されてない。私の憶測では、
「襟」のことを中国では「領」、
「袈裟」のようなもののことを「袍」、
と言うのではないかと思ってる。だから、
両方をあわせれば「襟袈裟」は
「領袍(日本の音読みでリョウホウ)」で、
中国式には「リンパオ」のような発音だったのではなかろうか。
「linpao」が「pintoko」のように日本人は聞いたのかもしれない。
襟袈裟とは、よだれかけにカンガルーの育児嚢をくっつけたような、
襟と前垂れがひとつになったものである。これは、
かつての中国仏教僧が托鉢時に身に着けてた
頭陀袋(ずだぶくろ)の一種である。
「ずだ」とは、サンスクリットの"dhuta(ドゥータ)"に由来する。
"dhuta(ドゥータ)"とは、「区別をなくすこと」が原義で、そこから、
「私欲を捨てること」→「削除」「破壊」「棄捨」
→「煩悩を捨てること」→「仏門の修行」
という語義をも意味するようになった。
ちなみに、
托鉢僧が袋を大きく開けて施しの銭を投げ入れてもらった
このドゥーダ・ズダ(dzuda)袋という語から、
井戸に何かが落ちて水面で起きる音を
「dzuda」→「dzudo」→「ズド」「ズドン」と擬するようになったのである。で、
托鉢も襟袈裟にではなく、鉢に入れてもらうようになったので、
その鉢を「ドン」=「丼」から丼鉢というようになった。また、
物が水の中に勢いよく落ちて発する音は、
「dubun(ヅブン)」「dobon(ドボン)」であり、
勢いがいい水に濡れた状態もズブ濡れと言い、
それが「すっかり」という意味に転じて
「ズブの素人」のような表現もされるようになり、また、
すっかり切り刻むことを「ズタズタ」と言うようになった。さらには、
水や水分を含んだ泥や濡れた状態の穴などに
物が深く沈んでくさまを
「dzubudzubu(ズブズブ)」と言うようになり、
一塊の液体が移動するさまを
「dobudobu(ドブドブ)」と表すようになった。同意の
「dzabudzabu(ザブザブ)」が→「zyabazyaba(ジャバジャバ)」→
「zyabuzyabu(ジャブジャブ)」となり、
LAレイカーズのセンターとして相手ティームを翻弄してかき混ぜるように、
水をかき混ぜる音を意味するようになった。
明朝末期の鄭成功を扱った「国姓爺合戦」で
唐人の登場人物が襟襟袈を身に着けてたことで、
「唐人」=「襟襟袈」
というイメージができあがった。また、
江戸時代は主たる外国交易は長崎において
中国とオランダとしか行ってなかった。そのことによって、
一般的な認識としては、日本人以外は
「外国人」というひとくくりな捉えかたとなった。だから、
歌舞伎や浄瑠璃の「唐人」という言葉も、
中国人だけでなく、西洋人もふくめた
「外国人全般」を指すようになったのである。
それにともなって、
「襟袈裟」の定義も、針金を入れて直角に
"ピンと張った"襟をもつ前垂れのみならず、
16世紀に西洋で流行して、いわゆる鎖国ののちも
オランダ人が身に着けてた
ruff(ラフ、襞襟)のことまで含むことになった。
西洋人(白人)は日本人に比して顔の彫りが深い。
「絵に描いたような」風貌である。英語のpaint、pictureは、
ラテン語の動詞pingo(ピンゴー、描く)の過去分詞
pictus(ピクトゥス、描かれた)が由来であるが、やはり
この語から派生したpintoは、
鎖国以前に日本に入ることを許されてたスペインやポルトガルでは、
pintar(描く)の直説法一人称単数現在形である。
「絵に描いたようなイイ男」を、
被写界深度が広い、彫の深い、焦点(pinto)が合ってる顔、
と受け取った可能性がある。
brandpunt(ブラントプント、レンズの発火点)が日本では
→punt(プント)→ピント(焦点)という"外来語"となった。
「焦点が合ってる」とは「鼻筋がとおってる」ことに等しい。
さて、冗談はともかく、
ポルトガル語のpintoという語には
ひよこという意味がある。英語ではcockである。つまり、
男性器を意味してるのである。対して、
ポルトガル語のcono、conaは
女性器を意味する(cone=円錐形だと考えられてたので)。
したがって、
「ぴんとこな」とは「ぴんと+こな」=「男女結合」。
女性が抱かれたいほどに魅力的な顔をした男を表す、
という次第である。
余談に……、
長崎に現在は上小島いう住居表示の一角がある。ここに、
ピントコ坂と通称されてる坂がある。
元禄3年(西暦およそ1690年)、
長崎に来てた明の商人の何旻徳(カ・ピントク)が
贋金造りの疑いで処刑された。同人は色男で、
丸山遊郭の登倭(阿登倭、とわ(おとわ))と契った仲だった。
ちなみに、それを妬んだ長崎奉行所の役人が旻徳に罪をきせた、
ということになってる。
登倭は旻徳の死骸をこの坂に埋葬し、その墓前で自刃して果て、
永久にあの世で結ばれた
……という噺が残ってるのである。いずれにしても、
上記のシモネタもふくめ、
生物的にどの女性からも契りたいと思われない私には
無関係な、ピンとこない話ではある。とはいえ、
京都ponto町に降る雪も、渡月橋に降る雪も、
雪に変わりがあるじゃなし。
溶けて流れりゃみな同じさ。
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