チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『フランチェスカ・ダ・リミニ』冒頭のトロンボーンの音/ムラヴィンスキーの愚」

2013年08月27日 23時51分58秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
ダンテの「神曲」地獄篇の第5歌を題材にしたチャイコフスキーの幻想曲
"Francesca da Rimini(フランチェースカ・ダ・リーミニ=リミニのフランチェスカ)"は、
1876年に作曲された。
導入部と主部(第1乃至第3部)から成る。
主部はホ短調が主調であるが、
導入部は何調と特定することができない。
チャイコフスキーは古典的な機能和声・調性音楽作曲家なのであるが、
ときどきこのような箇所が見受けられる。
そのこととは話は違うのだが、

ファゴットと低弦の下降で開始され、金管群がハーモニーを被せる。
ファゴットと低弦は上昇し、今度は木管とホルンがハーモニーを重ねる。
次いで、木管群と両翼ヴァイオリンが半音階的に上昇するのと同時に
ファゴットとトロンボーン・チューバと低弦は段階的に下降する。それが
低い変ホに落ち着くと、他の金管と木管群がハーモニーを被せる。
ここで(第9小節および第10小節)、
ほとんどの木管・金管が
[変ホ、嬰ヘ、ハ]→[変ホ、ト、【ロ(ナチュラル)】]→[変ホ、嬰ヘ、ハ]
というハーモニーを被せるのに対して、
第1(テナー)トロンボーンだけが、
[イ]→[【変ロ】]→[イ]
と動くのである。
この[変ロ]が[(ナチュラル)ロ]なら、常識的である。だから、
1)チャイコフスキーがミスったか、
2)出版社(ユルゲンソーン)が誤記してその誤記をチャイコフスキーが校正時に見のがしたか、
3)出版社(ユルゲンソーン)が誤記してチャイコフスキーは校正の機会なくそのまま見のがしたか、
4)チャイコフスキーが意図的にそうしたか、
の4つの可能性がある、と思ってた。

そこで、最近、
チャイコフスキー・リサーチのフォーラムで質問してみた。
http://www.tchaikovsky-research.net/en/forum/forum0379.html

"Notes for First Tenor Trombone in Francesca da Rimini"
In the bars 9 and 10, the notes for first tenor trombone are [ a ] → [ b-flat ] → [ a ] .
It seems that these notes conflicts with those for other instruments, [ continuous e-flat , f-sharp, c ] → [

continuous e-flat, g, b ( natural ) ] → [ continuous e-flat , f-sharp, c ] .
Therefore ex-Soviet conductor Evgeny Mravinsky had performed them like [ continuous e-flat , f-sharp, c ] →

[ continuous e-flat, g, b-flat ] → [ continuous e-flat , f-sharp, c ] , exept for the recording in 1940.
I'm not sure that they are Pyotr Ilyich's mistakes in writing or publishers' misprints, or else it's fine

just like that.
I can't confirm composer's autographs because I'm an only amateur fun of Tchaikovsky.
Does anyone know the notes Pyotr Ilyich autographed?
Kamomeno Iwao

すると、Langston氏からこのような回答があった。

The editors of the score of Francesca da Rimini in volume 24 the Soviet edition of Tchaikovsky's complete

works (1961), compared Jurgenson's edition with Tchaikovsky's autograph, and found that the trombone parts

were identical in this section. So it was the composer's intention .

(拙大意)ソ連によるチャイコフスキー全集版(1961年編)第24巻の編者らは、「フランチェスカ・ダ・リミニ」の校正にあたって、初版ユルゲンソン版と自筆譜

を比較してみたところ、この楽節におけるトロンボーン・パートが一致してることを確認した。したがって、チャイコフスキー自身が意図したもの

であると結論した。

答えはここまでしか行きつかない。
「自筆譜もこうなってる」という事実があるだけである。
これだと、私の推測の可能性の4つのすべてが否定できない。
チャイコフスキーがこの音符について言及した手紙その他も残ってないのである。
が、いずれにせよ、
「ナチュラルのロがあるべき音」であって、
「フラットのロは誤り」であることはあきらかなのである。
第1トロンボーンの音をナチュラルに直して演奏するか、
そのまま間違った音をトロンボーンにだけ吹かせるか、
のどちらかである。ところが、
"チャイコフスキーの正統派の演奏"
などとお門違いなことが言われてるムラヴィンスキーは、愚かにも、
1940年の録音よりあとの演奏では、
(おそらくチャイコフスキーがミスったのだろう)テナー・トロンボーンにあわせて
他のパートも変ロに統一して改竄してるのである。
ムラヴィンスキーの浅知恵としか言いようがない。
他のチャイコフスキーの作品でもトンデモ演奏をしてる輩であるが、
そんなのを"すごい演奏"などと崇め奉ってるのがけっこういるようである。
真理と多数決が同値でないことがよく判る例である。


(額面どおりに再現したものと、当該箇所をムラヴィンスキー・スタイルにしたものとを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/tchaikovsky-francescadarimini
にアップしておきました)
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